2014年06月22日更新

辰巳起点散策2 PART1 富賀岡八幡宮

またまた辰巳である。
※関連記事【散策の部屋】 「辰巳起点散策 PART1〜3」


快晴、気温高の朝、8時過ぎにとりあえずの用事を済ます。
次の時間まで2時間弱ある。


当然、出掛けるよね。


で、行こうと思ったのは、江東区南砂7丁目の「富賀岡八幡宮」。
なぜならば、砂町富士と呼ばれる富士塚があるから。


4月に訪問した「江戸東京博物館」で、
江東区に富士塚があることを知った。


IMGP1559_R.JPG


江東区というと埋立地が多いイメージがあり、
富士塚が存在することに少なからず驚いた。


調べたところ、江東区にはかつて5つの富士塚が存在していたが、
現存しているのは、「富賀岡八幡宮」の砂町富士のみ。


googleマップで調べてみたところ、
南砂町は辰巳からそんなに遠くなさそう・・・に見えたが、
実際に距離を検索してみたら4.7キロもあった・・・。


週に3、4日、朝、5キロ以上走っている。
5キロだと、大体30分ぐらいか?


往復10キロで、1時間。
行けないことはない。


いやいや、結構な速度で走って30分だ。
結構な速度ってことは、この気候だと汗かくよな?


一応、Tシャツの着替えは持ってきていたが、
パンツとズボンは持ってこなかった。


汗びっしょりかいて、1日中不快+異臭を漂わすのは嫌だ。


でもまだ8時台だし、
そんなに暑くないし、ゆっくりと休みながら走れば大丈夫か?


ということで、8時10分に繰り出した。


国道357号線から明治通りに入り、「夢の島公園」を横に見ながらゆっくり走る。


こちらは夢の島大橋から葛西方面を撮った写真。


IMGP1677_R.JPG


なんとなく朝靄がかかっている。


この後、楽しくもなんともない明治通りを北上し、
佐川急便ロジスティックセンターを右折。


しばらく進むと「九重橋」を渡るんだけれど、
丁度、砂町北運河の終着地点=堀留。


IMGP1680_R.JPG


江戸と明治の古地図を見ると、今の形とは異なるが、
砂町北運河の前身ともいえる運河を確認できる。


kochi_R.jpg


川の水面を見ると、細かい波紋が幾つも広がっており、
なんだろうと良く見てみると、魚の群れだった。


IMGP1683_R.JPG


東京メトロの「南砂町駅」、「南砂三丁目公園」、住宅地を抜け、
8時50分、「富賀岡八幡宮」に到着。


IMGP1686_R.JPG


ガッツリ走っていないし、
途中、写真を撮るために足を止めたりしたにも関わらず、
40分で辿り着くとは!


「富賀岡八幡宮」は、平安時代末の749年に創立という古社。


その他に関しては、境内にある由緒書きに譲ります。


IMGP1687_R.JPG
文字小さくて読めないか・・・


境内にはいってすぐ左手に「砂村新左衛門 顕彰碑」がある。


江戸時代初期、開拓の達人である砂村新左衛門は、
縁戚者と言われている砂村
新四郎(弟という説もある)らを指導し、
寄洲だったこの界隈を埋め立て、新田を開発した人物。


「富賀岡八幡宮」の本殿。


IMGP1689_R.JPG


「富賀岡八幡宮」は、別称「元八幡」とも呼ばれている。
寛永年間(1624年〜1649年)の初めに、
本尊が深川の「富岡八幡宮」に移されたため、
元にあった方の「富賀岡八幡宮」を「元八幡」と称したと言われている。


本殿の裏手に行くと、目的の砂町の富士塚がありました。


IMG_4485_R.JPG


「鳩森八幡神社」にある千駄ヶ谷富士塚と同じ高さ6メートル。
千駄ヶ谷富士塚の方が高いような気がするが・・・。


江戸時代末の天保4年(1833年)に築かれた砂町富士塚は、
元々土山だったが、昭和8年(1933年)に水害で崩れたため、
大量の溶岩(伊豆黒ボク石)で固められた。


土の中には本物の富士山の土が混ぜられているという。


IMGP1691_R.JPG
昭和30年頃の砂町富士塚


その後、昭和37年(1962年)、敷地所有の事情で30メートルずらし、
現在の場所に移築された。


度重なる改築修築を支えたのが、
御水講という地元の富士講の方々。


いまだバリバリ現役だという。


後方に回ると、より富士山ぽい。


IMGP1695_R.JPG


富士塚の定番アイテム浅間大社奥宮のミニチュアや、
相当な数の講碑群の中、なぜか弾丸型のものを発見。


IMGP1701_R.JPG


なんでしょう?


この他、力石、「江戸祭囃子」、「砂村囃子」の記念碑などがあった。


IMGP1700_R.JPG


砂村囃子は、約300年前からこの地で継承されてきたお囃子で、
昭和55年(1980年)無形民俗文化財の認定されたそうな。





さっきの「砂村新左衛門 顕彰碑」の裏側に広場があったんだけど、
なぜか立ち入り禁止。


辰巳に戻るために境内を出た際に、
その理由が判明しました。


IMGP1704_R.JPG


こんな巨大な石碑の下敷きになったら大変です。


来た道をそのまま帰るのはつまらないので、
「九重橋」まで違うルートで行くことに。


IMGP1705_R.JPG
途中にあった空き地と工場。


なんとなーく、こういう光景が好きだ。


高いビルが多くなった昨今。
こうやって視界が開けていて、空が見えるのはいいことだ。


この後、明治通りに出てると、正面に踏み切りらしきものが見えた。


ちょっと気になったが、時間がないし、暑いしで、
今回はスルーして辰巳に戻りました。


そして、辰巳で2度目の用事を済ました後、
またまた中抜けの時間。


今度は、1時間半ぐらい。


とりあえず、飯を食おう。


以降、 「辰巳起点散策2 PART2 木材・合板博物館」へと続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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