<辰巳起点散策 一覧>
【1】「辰巳起点散策 PART1 新木場」
「辰巳起点散策 PART1 新木場」の続き。
11時頃、辰巳某所での用事が一旦に終わった。
次の用事は、14時だ。
3時間の空時間。
Time Is Money.
時は金なり。
もったいないからどっかに行こう。
しかし、辰巳から徒歩で行けるところは限られている。
どうしようと思った時に、フッとある場所が閃いた。
2012年、四谷にある「四谷怪談」所縁の地、
「於岩稲荷田宮神社」と「陽運寺」へ行った。
その記事をアップした際に、
「於岩稲荷田宮神社」は中央区の新川にもあり、
お岩さんのお墓は、巣鴨の妙行寺にあります。
と記述した。
新川の場所を調べたら、月島の近くだった。
この前、辰巳から豊洲まで歩いた。
豊洲から月島も以前歩いた。
これは行けるかも!
辰巳界隈は食事処が少ない。
新川に行けば、江戸っぽい粋な昼飯にありつけるかもしれない。
ということで、
新川の「於岩稲荷田宮神社」へと向かった。
まずは辰巳から3キロ弱の豊洲を目指して歩く。
【散策記】「豊洲 春海鉄道橋」で既に踏破しているので、
道に迷うことはない。
地図も不要だ。
テケテケと歩き、20分ちょっとで豊洲に到着。
そして、やっぱりこの橋に萌えるのであります。
この半年で3度目。
何回見てもたまらん。
豊洲は開発がガンガン進んでいる。
以前より築地市場の移転先最有力候補として名前が挙がっていた。
ところが、土壌汚染が問題視され滞っていたけど、
近い将来、移転されるんじゃないかな。
「新たな首都圏の基幹市場“豊洲新市場”」
仮に移転となったとしても、
この廃線橋は撤去しないで残して欲しい。
更に2020年の東京オリンピック開催が決まり、
豊洲界隈もオリンピック用の開発が予定されている。
開発しても良いが、この廃線橋は撤去しないで欲しい。
歴史的遺産ですよ!!
こちらは東京都道304号線を月島駅の方へ歩いている際に撮った一枚。
流石にスカツリーは高いだけあって、
様々なところから見ることが出来ます。
東京都道304号線から、月島駅に至り、
清澄通り(東京都道463号上野月島線)を右折。
程なく、相生橋(あいおいばし)。
渡し船しか渡島手段がなかった月島に、初めて架けられた橋。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で焼失。
大正15年(1926年)、再び孤島となった月島に、
これまた最初に再築された橋とのこと。
相生橋手前を左折し、佃界隈をテクテク歩いていると、
右手にヒンデンブルグが!!
なんのためのオブジェなのでしょうか?
そんなことを思いながら歩き続けると、
隅田川に架かる中央大橋に辿り着いたのですが、
どっかで見たことのある光景だ・・・。
見上げると高層タワーマンション。
このマンションはかつての同僚で、
今は某配給会社に勤めているSが住んでいたマンションでは?
一緒に遊びに行った際に、何度か車で送り迎えしたことがあったんだが、
いつも夜だったし、今から10年以上も前の話なので、
確信が持てなかった。
しかし、後でSに確認したら、やっぱり正解でした。
中央大橋からは、またまたスカイツリーが拝める。
今日、何度目のスカイツリー?
中央大橋を渡ると、「於岩稲荷田宮神社」のある新川エリア。
細い道を右折してチョロチョロっと行くと、
「於岩稲荷田宮神社」に到着!
早速境内に入る。
そんなに広くないし、参道が一直線ではなく、
曲がる作りになっている。
拝殿もコンパクト。
四谷の「於岩稲荷田宮神社」は、
「東海道四谷怪談」の主人公・田宮伊左衛門の屋敷社があった場所。
こちら新川の「於岩稲荷田宮神社」の方が歴史は浅く、
お岩さんというよりは、歌舞伎俳優・市川左団次の色が濃い。
市川左団次の十八番は「東海道四谷怪談」。
上演の度に四谷の「於岩稲荷田宮神社」へ詣で、公演の成功を祈った。
しかし、四谷は遠かった・・・。
市川左団次が、「於岩稲荷田宮神社」を近くにと要望していたところ、
明治12年(1879年)の火事で四谷の「於岩稲荷田宮神社」が焼失。
移転先となったのが、新川の「於岩稲荷田宮神社」。
昭和20年(1945年)に東京大空襲で新川の社殿も焼失したが、
戦後、四谷ともども再築された。
さて、新川「「於岩稲荷田宮神社」です。
本殿の横にある石造の鳥居は、
明治30年(1897年)に作られた中央区に現存する2番目に古い鳥居。
(一番はどこ?)
解説板によると「柱下部には断面が花形の根巻と四角い台座が付いています。」とある。
それが特別なものなのか知る由もないが、確かにその通りの形をしていた。
鳥居の奥にはお百度参りで使用する百度石があり、
こちらは中央区に現存する最古の百度石。
四代目市川左団次が、大正13年(1924年)に奉納したもの。
市川左団次あっての新川「於岩稲荷田宮神社」からお暇して、
近場で江戸前の美味いものでも食べて、
月島駅から有楽町線に乗って辰巳に戻ろうと思ったところ、
本殿に「ぶらりと粋な中央区お江戸下町 神社案内」が置いてあった。
更に「御朱印をお求めの方は、鐵砲洲稲荷神社で代筆する」との貼紙が。
別に御朱印を集めてはいないが、「鐵砲洲」という響きが良い。
代筆の貼紙があるぐらいだから、ここから近いはずと、
「神社案内」を見るも距離感が良くわからない。
iPhoneで調べたら大した距離ではなかった。
粋な昼飯は?という思いもあったが、せっかくなんで行くことに。
「於岩稲荷田宮神社」を出ようと踵を返すと、
「村田竹次郎の碑」。
村田竹次郎とは何人か?
町火消でした。
今でいうところの消防士さん。
江戸町火消の纏(まとい)を担いでいたのでしょうか?
こんなでっかい石碑で讃えられているんだから、
その筋では凄い方だったのでしょう。
「於岩稲荷田宮神社」を後にし、「鐵砲洲稲荷神社」へと歩を進める。
以降、「辰巳起点散策 PART3 鐵砲洲稲荷神社」へと続く。