<辰巳起点散策 一覧>
【1】「辰巳起点散策 PART1 新木場」
【2】「辰巳起点散策 PART2 於岩稲荷田宮神社」
「辰巳起点散策 PART2 於岩稲荷田宮神社」からの続き。
「於岩稲荷田宮神社」から「鐵砲洲稲荷神社」へと向かう途中、
江戸前寿司の店が。
あぁー、寿司食いてぇ。
一番好きな食べ物は?と問われた、
焼肉でもラーメンでも焼き鳥でもなく、“美味い寿司”と答える。
しかし、ここで優雅に寿司を食うと、
「鐵砲洲稲荷神社」へ行く時間が無くなる可能性が高い。
諦めて新川二丁目の交差点に至ると、
対岸に「ラーメン亭長助」。
年季の入った建物。
ラーメン一杯380円という日高屋よりも10円安い金額設定。
ここでサクッと飯食っても良いな、
って思ったんですけど、チラリと覗いた店内を見て、
食べたいという衝動には駆られなかった。
このままだと食いっぱぐれるなぁ・・・と思いながら、
「鐵砲洲稲荷神社」へ向かうと、橋の前に小さい稲荷が現れた。
「徳船稲荷神社」
落語の「船徳」なら知っているが、
“徳船”とは如何に?
小さい稲荷ですが、ちゃんと解説板が設置されていた。
御神体を徳川家の遊船の一部で作ったから、
徳船ってことか?
御神体=男根という神社もあるようだけど、
ここは違うか・・・。
稲荷の前に石碑が建っていたんだけど、
あまりに達筆すぎてなんて書いてあるのかわかりません。
時計を見ると12時40分。
14時までには辰巳に戻らなくてはならいので、のんびりしていられない。
「徳船稲荷神社」の近くに架かる南高橋(みなみたかばし)を渡る。
随分と特徴のある橋だなぁって思ったら、中央区民文化財だった。
なんと昭和6年(1931年)に、隅田川に架かっていた両国橋の中央部分を補強し、
橋幅を狭めて架設した橋とのこと。
元となった両国橋は、明治37年(1904年)に架けられたもの。
都内に現存する鉄橋のうち道路橋としては、最古の橋。
三連トラスの中央部分を用いているとのことなんだけど、
トラスってなに?
日本橋梁建設協会「トラス橋」
勉強になりました。
南高橋を渡ってすぐの交差点を左折すると
「鐵砲洲稲荷神社」。
平安時代、現在の桜田門界隈の住民が、凶作の末、
その土地の神を祀ったのが最初で、
その後、何度かの移転と名称変更を経て、
寛永元年(1624年)にこの地域に遷座。
更に明治元年(1868年)に現在の地に移っている。
大正12年(1923年)の関東大震災で甚大な被害に遭い、
昭和10年(1935年)以降、本殿等が再興され、
東京大空襲の被災を免れ現在に至っている。
「鐵砲洲稲荷神社」公式ホームページ
80年以上も前に建てられた本殿は、
流石に味があります。
作りがしっかりしているからこそ、
東日本大震災にも耐えたのでしょう。
本殿向かって右奥に行くと、富士塚登場!
寛政2年(1790年)に作られたもので、
江戸後期に歌川広重の『名所江戸百景』「鉄炮洲稲荷橋湊神社」に、
この富士塚らしきものが描かれている。
残念ながら登山は禁止。
うーん、登りたかった・・・。
しかし、奥に進むと柵のない階段が。
登ろうと思えば登れるが、
怒られるよなぁ・・・。
断念。
そんな富士塚の麓には、首が無くなった狐と、
アントニオ猪木をしている恵比寿さん。
この他、針塚や力石、百度石、
終戦直前の昭和20年3月に蒋介石が、
日本に送り込んだ使者の石碑などがあった。
石碑を読むに蒋介石の使者は、
昭和天皇との謁見しようとして叶わなかったみたいなんだが、
なぜその石碑が「鐵砲洲稲荷神社」にあるのかはよく判らなかった。
この時点で12時50分過ぎ。
昼飯を食べることを考えると、さすがにそろそろ辰巳に戻らねば。
昼飯はのんびり食べる時間はなさそうだけど、
とりあえず八丁堀駅から京葉線に乗って、新木場駅まで行くことに。
八丁堀駅に向かうと、先ほどの南高橋が見えた。
近代的な高層ビルの中に馴染む、明治時代に起源を持つ橋梁。
南高橋に限らず、大都会にも関わらず、
由緒ある神社や鉄道遺跡が残る街、東京
本当に東京は魅力的だ。
この後、新木場駅に到着。
時間的な関係で、昼飯はここに。
断然、松屋派なのですが、
「江戸東京博物館」の後に行ったダンス大会で配布された
「牛丼並一杯無料券」があったのでした。
利用期限が結構ギリだったので、ちょうど良い。
流石に牛丼並だけでゼロ円というのも悪いので、
一緒に生野菜をオーダー。
今年初となる吉牛をかっ込み、辰巳方面へと早足で歩く。
途中、「あけぼの水門」奥に見える東京スカイツリー。
今日、たくさんスカイツリーを見た。
そういえば、スカイツリー行ってないなぁ。
以上が辰巳を起点にしての散策になるのでが、
この日以降も辰巳起点散策が続きまして・・・。
後日、アップしたいと思います。