またまたまた辰巳である。
※関連記事【散策の部屋】
「辰巳起点散策 PART1〜3」
「辰巳起点散策2 PART1〜3」
今年何度目?
今回も用事の合間合間に空き時間がボッカリと・・・。
“もう徒歩圏内で行く場所もあまりない”とぼやいたら、
佐藤アサトから、「コリアン・タウン、枝川へ行ってみたら?」という提案が。
井筒和幸監督作『パッチギ!LOVE&PEACE』の舞台になった場所だ。
見たけど2007年の作品なんで、時代設定が1974年(ワシが生まれた年)で、
ヒロインを演じた中村ゆりが、とんでもなく綺麗だったこと以外、
細かいことはあまり覚えていないが・・・。
しかし、『パッチギ!LOVE&PEACE』のおかげで、
枝川がコリアンタウンであり、多くの在日の方々が、
バラック小屋みたいな家屋で暮らしていたことを知ることができた。
とはいえ、映画の時代設定は40年前だ。
豊洲は凄まじいほどの再開発が進んでいる。
お隣の枝川だってそれなりに進化しているだろう。
ってことを確認すべく、辰巳から走って枝川へ。
辰巳から枝川まではいくつの橋を渡る。
一番最初が「七枝橋」。
この後も「八枝橋」、「汐枝橋」なんかを渡る。
多くの橋に“枝”が付く。
枝川の地名の由来は、
“運河が街を細く縦横に走っている形状が枝状だった”から。
同じように橋も枝葉に分かれている様から命名されたと思うんだけど、
「六枝橋」とかないんだよね・・・。
とにもかくにも橋が多い地域ですが、
今回、特に注目なのが、首都高速枝川出口に近い「白鷺橋(シラサギバシ)」。
架け替え中。
こちらは現行の橋。
こちらが新設の橋。
平成26年9月30日に工期が終わる予定なので、
今年の秋口には、今日渡った橋は無くなる。
“いつまでもいると思うな、産みの親”だけでなく、
最近、“いつまでもあると思うな、建築物”を感じる。
それはあらゆる点で311以降、加速している。
話を戻そう。
「白鷺橋」を渡ると枝川だ。
枝川一丁目交差点そばから南方面に撮った一枚。
普通。
どこにでもある風景。
この後、枝川の南側、
かつてバラックが建っていた界隈に行ってみることに。
ところで、なぜ、枝川がコリアン・タウンになったのか?
1936年のIOC総会で東京オリンピックを1940年に開催することが決定。
その会場の一部として深川の塩崎等が指定された。
塩崎には朝鮮人集落があり、
東京市は埋め立てを終えたばかりの枝川に、朝鮮人を移住させようとする。
東京オリンピックは日中戦争の激化により中止となるが、
移住計画は継続され、
1941年7月に簡易住宅を230戸建て、1,000人以上の朝鮮人を強制移住させた。
その地は衛生的に劣悪な環境であり、
とても人間の住むような場所ではなかった。
というような記述が多く見受けられた。
これに対して“ちゃうでぇ!!!”という意見もあった。
非常にセンシティブで、
なにか語るならば、それなりの勉強も必要な題材なので、
個人的な意見は述べませんが、
今の強引ゴー!な安倍政権以上に右傾化していたであろう、
大戦直前の日本の政治を考えると、
どっちの言い分が正しいのか、なんとなくわかるような気がする。
さて、枝川散策。
結論から言うと、普通の住宅街でした。
以前はタクシーも寄り付かなかったようですが、
ちゃんと巡回バスも来ている。
このバス停の前にあるのが、「東京朝鮮第二初級学校」。
『パッチギ!LOVE&PEACE』のロケにも使われた学校。
土地の使用料を巡って、石原都知事時代の東京都と大いに揉めた学校だ。
いろいろと思うところはありますが、
通学している子供たちがかわいそう。
数年前は知りませんが、今は普通の小学校の風情。
ちょうど運動会だったのか、横断幕なんかも掲げられていました。
因みに「東京朝鮮“第一”初級学校」は、荒川区西日暮里にあります。
「東京朝鮮第二初級学校」を後にし、さらに住宅街に切り込むが、
割かし新し目の家屋が建ち並ぶ。
狭い路地と建物の密集率が、バラックを連想させるけど、
このような狭い路地は、今の東京都内にも多く見受けれらる。
バラックがあったことを知らなければ、
気にも留めないでしょう。
ぐるりと回り込んみ、折り返したころで、良いのか悪いのか、
この建物の行き着いた。
バラックの名残りを強く感じたのは、これぐらい。
コリアン・タウンという割には、焼肉屋や韓国系の店もほぼ見かけなかった。
「東京朝鮮第二初級学校」の校庭近くにあった雑貨店だけ。
昔は劣悪な環境だったかもしれないけど、
今は普通の営みが出来ているように感じた。
ただ、人気(ひとけ)があまりにもなく、それがやや不気味だった。
(日曜日の朝だから仕方ないか)
この後、「枝川橋」を渡り、走って辰巳に戻った。
そして、昼手前。
また空き時間があり、繰り出した。
以降、「辰巳起点散策3 PART2 越中島貨物線廃線」へ続く。