高校時代、受験勉強をあまりやらなかった。
結果、全滅。
姉貴は特待生で、女子大へ。
親父からは「大学ぐらい行け」と。
姉貴からは「あんたは馬鹿だから」と。
劣等感の塊となった。
しかし、ここで腐ると負けだ。
幸い、親父は大学へ行けという。
ということで、浪人。
(後で知ったが、浪人時の費用と大学の入学金は、母方の祖母が支払ったらしい)
当時の予備校四天王は、
「駿台予備校」「河合塾」「代々木ゼミナール」「東進ハイスクール」。
三大予備校になると、「東進ハイスクール」を外した、
「駿台予備校」「河合塾」「代々木ゼミナール」。
「東進」は、英語の金ピカ先生(佐藤忠志)とか、
古文のマドンナ先生(荻野文子)とかを売り出していた。
20年以上前の話ですが、
東進の商法は、“今でしょう!”の今とあまり変わらん。
営業妨害をするつもりはないが、
正直、当時「東進ハイスクール」はあまり評判がよろしくなかった。
(20年以上前ね)
近所にない「駿台」は除外、
吉祥寺に「東進」はあったんだけど、
なんかの番組で自宅の檜風呂に優雅に浸かっている金ピカを見て、
学ぶ身として、fu〇kな感情が湧きたち、学びの場ではないと思った。
結果、「代ゼミ」か「河合塾」かで迷った末、「代ゼミ」にした。
なんで「河合塾」ではなく、「代ゼミ」にしたのかは覚えていないや。
「代ゼミ」の代々木校は、電車で通学する際、上りになり混雑するので、
代々木駅に行くまでの乗車時間があまり変わらないうえ、
空いている下り線の立川校を選択した。
こうして「代々木ゼミナール」で約1年間学んだ。
そして、20年後の2014年6月の某日。
立川に行った。
2年前立川に来た際に、思い出の「代ゼミ」を見てみたかったが、
悪天候により諦めた。
今回も天気が良くなかったけど、帰りがけに立ち寄ってみた。
正直、この建物だったかよく覚えていないんだけど、
多分、当時の建物だと思う。
この入口はなんとなく記憶にある。
浪人時代、「代ゼミ」の評判が良かったかというとそうでもない。
マンモス予備校に対する風当たりも強かった。
現役時代、西荻窪にある少人数制の予備校に通ったんだけど、
ひとりバカがいると、先生がそのバカにかかりっきりで授業が止まった。
その間、俺らは待つばかり。
なんでバカのために、次に進まないのか?
というイライラが募った。
しかし、「代ゼミ」は違った。
能動的にやっていかないと置き去りだ。
そのスピード感と割り切りが心地よかった。
少人数制は、甘えだと思った。
「代ゼミ」は、講師の方々も良かった。
今回、この記事を書くにあたり調べたら、
世界史の山村良橘先生が、かなり前にお亡くなりになっていた。
当時から人気のある先生で、冬期講習で受講してみた。
その時の授業内容は今でも覚えている。
世界史は昔のことを覚え知るのではない。
昔のことを踏まえて今の世界情勢を見るのが世界史。
山村先生の持論が、世界史=学問という概念をいい意味で破壊してくれた。
当時、日本では自衛隊のカンボジア派遣が社会問題になっていた。
「カンボジア出るよ。」
山村先生は、あまり教科書にも載っていないカンボジア史を教えてくれた。
今みたいにネットはない時代だ。
山村先生の授業で、ポルポト派、クメール・ルージュ等を学んだ。
そして、成城大学の世界史受験で、
モロにカンボジアが出た。
備えていたので、パーフェクト!
山村先生のおかげです。
あと「代ゼミ」の先生で印象に残っているのは、古文の椎名守先生。
授業中、宝塚もどきの大仰な演技で、古文のひとり芝居。
なんでこんなことをしているかというと、
古文の物語を知っていると、古文の理解が早いから。
自身の授業で物語を語り、古文を知るなら田辺聖子の本を読めと指南してくれた。
実践した結果、苦手だった古文が好きになったし、
授業そのものが大変面白かった。
前述の通り、「代ゼミ」もとやかく言われた予備校でした。
でも実際に通ってみたら、とてもよかった。
幸い大学にも受かった。
今の自分があるのも、一部「代ゼミ」のおかげだと思っている。
そんな「代ゼミ 立川校」の隣の公園。
今でもあった!って感じ。
時たまこの公園で、一緒に「代ゼミ」に通った女の子と時を過ごしたなぁ。
なんの発展もなかったけど。
そして、この先にはラブホテルがあった。
公園同様、今でもあった。
最近、移ろいの激しい東京に一抹の寂しさを感じていた。
立川は、近年メチャメチャ発展を遂げている。
しかし、小生の浪人時代にあったと記憶しているものは、
すべて現存していた。
意外。
でも嬉しい。
簡単に済ますつもりが長くなった・・・。