2014年07月11日更新

代々木ゼミナール立川校

高校時代、受験勉強をあまりやらなかった。


結果、全滅。


姉貴は特待生で、女子大へ。


親父からは「大学ぐらい行け」と。


姉貴からは「あんたは馬鹿だから」と。


劣等感の塊となった。


しかし、ここで腐ると負けだ。
幸い、親父は大学へ行けという。
ということで、浪人。
(後で知ったが、浪人時の費用と大学の入学金は、母方の祖母が支払ったらしい)


当時の予備校四天王は、
「駿台予備校」「河合塾」「代々木ゼミナール」「東進ハイスクール」。


三大予備校になると、「東進ハイスクール」を外した、
「駿台予備校」「河合塾」「代々木ゼミナール」。


「東進」は、英語の金ピカ先生(佐藤忠志)とか、
古文のマドンナ先生(荻野文子)とかを売り出していた。


20年以上前の話ですが、
東進の商法は、“今でしょう!”の今とあまり変わらん。





営業妨害をするつもりはないが、
正直、当時「東進ハイスクール」はあまり評判がよろしくなかった。
(20年以上前ね)


近所にない「駿台」は除外、
吉祥寺に「東進」はあったんだけど、
なんかの番組で自宅の檜風呂に優雅に浸かっている金ピカを見て、
学ぶ身として、fu〇kな感情が湧きたち、学びの場ではないと思った。


結果、「代ゼミ」か「河合塾」かで迷った末、「代ゼミ」にした。


なんで「河合塾」ではなく、「代ゼミ」にしたのかは覚えていないや。


「代ゼミ」の代々木校は、電車で通学する際、上りになり混雑するので、
代々木駅に行くまでの乗車時間があまり変わらないうえ、
空いている下り線の立川校を選択した。


こうして「代々木ゼミナール」で約1年間学んだ。


そして、20年後の2014年6月の某日。
立川に行った。


2年前立川に来た際に、思い出の「代ゼミ」を見てみたかったが、
悪天候により諦めた。


今回も天気が良くなかったけど、帰りがけに立ち寄ってみた。


IMG_4533_R.JPG


正直、この建物だったかよく覚えていないんだけど、
多分、当時の建物だと思う。


この入口はなんとなく記憶にある。


IMG_4534_R.JPG


浪人時代、「代ゼミ」の評判が良かったかというとそうでもない。
マンモス予備校に対する風当たりも強かった。


現役時代、西荻窪にある少人数制の予備校に通ったんだけど、
ひとりバカがいると、先生がそのバカにかかりっきりで授業が止まった。


その間、俺らは待つばかり。


なんでバカのために、次に進まないのか?
というイライラが募った。


しかし、「代ゼミ」は違った。


能動的にやっていかないと置き去りだ。


そのスピード感と割り切りが心地よかった。


少人数制は、甘えだと思った。


「代ゼミ」は、講師の方々も良かった。


今回、この記事を書くにあたり調べたら、
世界史の山村良橘先生が、かなり前にお亡くなりになっていた。


当時から人気のある先生で、冬期講習で受講してみた。


その時の授業内容は今でも覚えている。


世界史は昔のことを覚え知るのではない。
昔のことを踏まえて今の世界情勢を見るのが世界史。


山村先生の持論が、世界史=学問という概念をいい意味で破壊してくれた。


当時、日本では自衛隊のカンボジア派遣が社会問題になっていた。


「カンボジア出るよ。」


山村先生は、あまり教科書にも載っていないカンボジア史を教えてくれた。
今みたいにネットはない時代だ。


山村先生の授業で、ポルポト派、クメール・ルージュ等を学んだ。


そして、成城大学の世界史受験で、
モロにカンボジアが出た。


備えていたので、パーフェクト!


山村先生のおかげです。


あと「代ゼミ」の先生で印象に残っているのは、古文の椎名守先生。


授業中、宝塚もどきの大仰な演技で、古文のひとり芝居。
なんでこんなことをしているかというと、
古文の物語を知っていると、古文の理解が早いから。


自身の授業で物語を語り、古文を知るなら田辺聖子の本を読めと指南してくれた。


実践した結果、苦手だった古文が好きになったし、
授業そのものが大変面白かった。


前述の通り、「代ゼミ」もとやかく言われた予備校でした。
でも実際に通ってみたら、とてもよかった。


幸い大学にも受かった。


今の自分があるのも、一部「代ゼミ」のおかげだと思っている。


そんな「代ゼミ 立川校」の隣の公園。


IMG_4535_R.JPG


今でもあった!って感じ。


時たまこの公園で、一緒に「代ゼミ」に通った女の子と時を過ごしたなぁ。
なんの発展もなかったけど。


そして、この先にはラブホテルがあった。


公園同様、今でもあった。


IMG_4536_R.JPG


最近、移ろいの激しい東京に一抹の寂しさを感じていた。
立川は、近年メチャメチャ発展を遂げている。


しかし、小生の浪人時代にあったと記憶しているものは、
すべて現存していた。


意外。
でも嬉しい。


簡単に済ますつもりが長くなった・・・。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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