6月22日(日)。
久々の完全オフの日なのに、朝から雨模様。
家の中で悶々としていたんだが、
13時を過ぎたころになると雨が止んだ。
いてもたってもいられない。
よしっ!どこかに出かけよう!
でも、どこに出かけよう。
暫く考えた末、以前、某大手ケーブルテレビ局勤務、小金井在住のOさんが、
自転車で多摩湖まで行ったという話を思い出した。
Oさんが多摩湖に行く際に利用したサイクリングロードは、
母校・都立田無高校の近くを通っている。
実際に学生時代、毎日利用していた。
しかし、多摩湖までは行ったことがなかったので、
自転車で母校周辺の現在の様子を確認しつつ、
サイクリングロードを通って多摩湖へ行ってみることに。
14時過ぎ、ボロボロのママチャリにまたがり、
いくつかあった通学路のルートのうち、
初めて田無高校に行った通学路を辿ることに。
BGMは、高校時代を疑似体験するために、
通学時に良く聴いていたHR/HMのアルバムのみとした。
音楽を聴きながら自転車に乗るのは、あまり良いことじゃないけど、
想い出探究にはHR/HMが必要だ。
まずはモトリー・クルーの4th「Dr.Feelgood」!
1曲目のイントロ「TNT (Terror 'n Tinseltown)」から「Dr. Feelgood」の繋ぎは、
何度聴いても痺れる!!!
ザクザク刻むリフを聴くと、勝手にペダルを漕ぐスピードが上がる。
善福寺公園方面へ北上し、
住宅街を抜けて吉祥寺通りへ。
市役所方面に抜ける道をひた走ると、
立野公園の手前にタバコの自動販売機がある。
ここは高校時代、タバコやちょっとした飲食類が買えるお店だった。
自動販売機の横に、中村あゆみがイメージキャラクターを務めていた
カナダドライ ジンジャーエールのポスターが貼ってあった。
当時、中村あゆみの大ファンだったんで、
そのポスターがスゲェ欲しかった。
さてさて、吉祥寺通りとか立野公園とか、
地元民じゃないと判らんと思うので、ここで地図。
そして、地図にある通り、道なりに進むと庚申橋があり、
あれ・・・解説板には「更新橋」って書いてある・・・。
さっきの地図、「庚申橋」としてしまった。
しくじりました・・・。
で、解説板にある通り、橋のたもとには庚申塔。
この庚申塔の存在は、昨年の夏に知った。
暇だったんで、練馬区の関前公園に行ってみた時に見つけた。
その散策は、あまりネタになるものがなく【散策記】を書かなかった。
不思議なのが、武蔵野市にある庚申塔にも関わらず、
「多摩の歴史1 武蔵野市/三鷹市/保谷市/田無市」に記述がないこと。
この本は、武蔵野市の散策のみならず、
三鷹市の散策において、参考にさせてもらった、
今の小生の散策好きに多大なる影響を与えた一冊。
武蔵野市の歴史的な寺院、史跡はこの本に網羅されているのだが、
この庚申塔には触れておらず、
故に武蔵野市散策時に訪れていなかった。
解説板だとこの庚申塔がどこにあったのかはわからない。
ちょうどここは武蔵野市と練馬区の境なんで、
もしかしたら練馬区側にあったのかも。
「更新橋」からの一枚。
千川上水。
玉川上水から取水し、板橋区まで流れる用水路だ。
雨上がりだからか、水の量と勢いが結構激しい。
「更新橋」から道なりに進み、五日市街道と合流。
五日市街道と井の頭通りが交差する関前5丁目交差点から
多摩自転車道がスタートする。
高校時代、毎日ここを自転車で走っていた。
この多摩自転車道は、
山口・村山貯水池(現・狭山湖と多摩湖)から境浄水場に水を送るため、
大正12〜14年(1923〜1925年)の間に作られた水道施設を利用して敷設されたもの。
なんてことはまるで知らずに、
高校時代は、雨の日も雪の日もチャリ通していた。
多摩自転車道の序盤は、畑が多かったんだけど、
真新しい一軒家が立ち並んでいる。
近年、何度か多摩自転車道を通って、
小金井公園に行くことがあったので、
高校時代と景色が大分変っていることは知っていた。
特に激変していたのが、石川島播磨重工業の田無工場があった場所。
フェンスと鬱蒼としていた木々に囲まれた工場はなくなり、
広場とタワーマンションが立ち並ぶ、再開発地となっていた。
数年前、初めてこの光景を見た時は結構衝撃を受けた。
多摩自転車道には、始点からの距離を示すプレートが埋められている。
自分の中では、多摩自転車道の始点から田無高校までは、
それなりの距離があると思っていたが、たかだか1.3キロ。
このところ、朝なるべく走るようにしている井の頭公園の池の周囲が1.6キロ。
多摩自転車道から田無高校の方が、距離があるように感じけど、
どうやら錯覚のようだ。
そんなことを思いながら、田無高校がある西東京市向台町五丁目へ。
(かつては西東京市ではなく、田無市で、2001年1月21日に保谷市と合併)
多摩自転車道から外れて、田無高校周辺を散策。
自転車道から一本北寄りの道に、
放課後、何度ラーメンを食べに行った中華料理屋があった。
まだあるのか?
あった!
が、しかし、この正栄だったかどうかは定かでない。
続いて、正栄の近くにある田無市民公園。
なんとなくタコを彷彿とさせる遊具に見覚えがあるような、ないような・・・。
田無市民公園のとなりにあるマンションは、廃屋となっていた。
この建物の記憶はあまりないな。
田無高校の前には、農家なのかなんなのかわかりませんが、
この地の地主なのか、デカイ家があった。
そっちの印象は強烈に残っている。
なぜならば、その家が孔雀を飼っていたから。
孔雀の鳴き声を耳にしながら、授業を受けておりました。
流石に20年以上前なんで、孔雀はこの世を去っているでしょうが、
(因みに孔雀の平均寿命は24歳らしい)
なんとなく敷地の広さが、当時の名残を偲ばせる。
でもこんな絵が描かれた塀はなかったし、剣道の道場もなかった。
はす向かいが田無高校。
小生が在校生だった頃は、セコムしてますか?のこの門から入り、
先にある駐輪場にチャリを停めていた。
うーん、懐かしい。
まじでモトリー・クルーをバリバリ聴きながら通学していたなぁ。
iPodなんてあるわけもない時代。
友達やレンタル屋のYOU&IからCDやレコードを借りてきて、
カセットテープに落として、ポータブルオーディオプレイヤーで聴いていた。
金持ちやこだわりがある奴らは、ソニーのウォークマンを持っていたが、
こだわりは持ちたいが、金もなく、ソニーのウォークマンの所有が無理だった小生は、
ゴツゴツとしていてスタイリッシュさの欠片もないSANYOのプレイヤーを使っていた。
田無高校の正門からの一枚。
物凄く久しぶりに母校を見たけど、ほとんど印象は変わらない。
それがちょっと嬉しい。
田無高校の正門から田無駅方面へと続く坂道を下ると運動場。
体育の時間、1.5キロを計るため、この周囲を走った。
佐々木君と及川君が走るの早かったなぁ〜。
そんな体育の先生の一人が、太田潔さんでした。
太田先生は学校を辞め、サッカーの審判として活躍。
落雷事件が有名。
調べたら今は主戦での審判はあまりやっておらず、
後身の育成に励んでいるようだ。
【ネタ元】
で、太田先生へのあまり上手とは言えないインタビュー記事を辿ったら、
田無高等学校同窓会公式ホームページに辿り着いた。
8年ぐらい前から更新されていない。
にしても、こんなサイトがあるとはびっくりだ。
(現在、誰が管理しているのだろうか?)
田無高校の正門前の通りから、多摩自転車道までの間に、
パンとかを売っている個人商店があったが、今は住宅になっていた。
よくお昼ごはんを買った店だった、
そんな変化はあるにはあるけれど、
それなりに20年前の風景を感じられたなぁ。
最後に、田無高校を全国的に有名にした事件をご紹介。
2005年10月28日にセスナ機が、田無高校の校庭に緊急着陸した。
当時の記事
怪我人は出ましたが、死者がなくて良かったです。
以降、「多摩自転車道 PART2」へと続く。