<多摩自転車道散策記一覧>
「多摩自転車道 PART1」
「多摩自転車道 PART2」
「多摩自転車道 PART2」からの続き。
自宅を出てから2時間後、
14:00頃、多摩湖へ辿り着いた。
多摩湖の奥に見えるのは西武ドーム。
多摩湖の正式名称は村山貯水池で、
村山上貯水池と村山下貯水池に分かれている人造湖。
村山上貯水池は、大正13(1924)年3月31日に竣工。
村山下貯水池は、10年にも及ぶ建設期間を経て昭和2年(1927年)完成。
東京市の人口増加に対応した水源確保のため、
多摩川の水を羽村取水堰(はむらしゅすいせき)で取り入れ、
導水管にて村山貯水池に導いて貯水。
なんと羽村取水堰から取水!
江戸の人口増加に伴う水源確保のために作られた玉川上水も、
羽村取水堰から取水している。
江戸、東京の水は羽村!
羽村取水堰には行ったことがない。
玉川上水の流れる武蔵野市住民として、
羽村取水堰には一度行かないとなぁ。
羽村取水堰から玉川上水は地図上に表わされているが、
多摩湖までの上水路は見当たらない。
暗渠なのかな?
しかも多摩湖は結構な標高。
どうやって汲み上げているのだろうか?
で、こちらは昭和2年の親柱。
太平洋戦争時、空爆を避けるためカモフラージュのため、
柱の上部がコールタールで黒く塗られており、その面影が見て取れる。
多摩湖の歴史についてはコチラのサイトが相当詳しいので、
ご興味があるかたは読んでみてください。
読み物として面白かったです。
親柱のある多摩湖沿いの道を行く。
こちらは多摩湖から見える山々。
みんな多摩湖の西側に目を向けるが、
東側も中々です。
やっぱり、空が見えるのって良い。
高層ビルに登って見るよりも、
地上から見られる空が好き。
そのまま対岸に渡ると「西武ゆうえんち」。
タワーに円形の円盤があるのりもの「ジャイロタワー」。
「ジャイロタワー」から見る多摩湖の景色は、格別なのでしょう。
でもね。
下からの景色こそ、人間の本当の目線であり、
等身大の風景だと思う。
そんな「ジャイロタワー」の真ん前には「排水路トンネル」。
大正12年の遺構。
さてさて、この後どうしようか。
多摩湖に来ることが目的だった。
15年ぐらい前、河口湖を歩いて一週したことがある。
その後、河口湖をレンタルサイクルで一周した。
車でも一周した。
昨年、浜名湖を半周ぐらいチャリで走った。
海は一周出来ない。
川も一周出来ない。
一周できるのは、沼、池、湖。
せっかくチャリで多摩湖まで来たのだから一周しちまえ!
地図で見ると結構な距離がありそうだが、
チャリを走らせること8分ぐらいで、西武ドームが見えてきた。
柵の向こうに見える道路みたいなのは、
案内軌条式鉄道レオライナーの軌道。
残念ながら一度も運行時に巡り合わなかった。
それにしても西武ドーム=埼玉というイメージがあったが、
吉祥寺からチャリでも辿りつけるんもんなんだなぁ。
この頃になると曲もチェンジ。
エアロスミスの「PUMP」!
「グッド・モーニング、ミスターテイラー。ゴーイングダウン?」
続いてチャリを激走していると、多摩湖橋へ到達。
ここが、村山上貯水池と村山下貯水池の分かれ目。
反対側に目をやると山門が。
山門の奥に寺院は無さそう。
メチャメチャ気になる。
多摩湖橋を渡り、わざわざ引き返して、山門へやってきた。
慶性門(けいじょうもん)。
元々は村山上貯水池の西奥にあった慶性院の山門で、
多摩湖が造られる際に、慶性院は芋窪に移転。
山門だけが残されて、荒廃。
昭和29年(1954年)、貯水池愛護会の有志達の手により、
この場所に移転し修復。
その後、また荒れ果てたが、
平成4年(1992)に東大和市により、3000万円をかけて復元された。
3000万円の税金がつぎ込まれた山門を拝むべく、
雑草が生え放題の参道(?)を歩き、
門をくぐり少し奥まで行ったが、
なんとなく乗り気がせずに引き返した。
後で知ったが、この山門で首吊り自殺をした人がいたらしく、
心霊スポットとして紹介しているサイトがいくつかあった。
まぁ、人が死んだ場所なんで星の数ほどある。
東京の都心部なんて、江戸の大火、関東大震災、
東京大空襲など、10万規模で死者が出ている。
かつて人が死んだ場所=心霊スポットという公式が成り立つならば、
東京都心部そのものが心霊スポットになる。
ましてや自殺現場=心霊スポットなんて・・・。
自ら命を絶って、勝手に恨んで出てくんじゃねぇーよって思う。
因みに村山上貯水池が建設されるに至り、
現湖底にあった160戸余りの家屋が移転している。
慶性門から再び自転車を走り出すと、
程なくこれまたそそられる山門が姿を現した。
迷うことなく訪問。
以降、「多摩自転車道 PART4」へと続く。