大学時代、軽音楽部に籍を置いていた。
学園祭とか関東7大学(実際には6大学)による年に2回の発表会など、
お披露目の前には、スタジオを借りて夜通し練習をする、
通称、徹練(テツレン)をよくやっていた。
その日も徹練日で、集合場所は夜中の12時に東横線都立大駅の改札。
時間通りに到着するもメンバーが来ない。
待てども待てども来ない。
当時、携帯電話なる文明の利器はなかった時代。
今思うと超非常識なんだが、夜中の12時過ぎに、
メンバーの自宅へ駅に設置された公衆電話からかけてみた。
するとお母様が出て、メンバーの所在を問うと、
「バンドの練習があるとかで、学芸大学駅へ行くって言ってましたよ」
という返答が・・・。
学芸大学駅は、都立大駅のお隣。
幸い上り電車がまだあったので、
非礼を詫びて電話を切り、学芸大学駅へ。
電車を降りて改札へと向かうとメンバーの姿が・・・。
メンバーたちは、小生が来ないことを訝り、
「まさか都立大で待っていたりして」
「いやー、そこまで抜けていないでしょう」
なんて会話をしていたところに、
「わりぃ、わりぃ、都立大で待っていたよ」
とオイラが駅の階段を下りながら登場。
この勘違いは、在学中に留まらず、卒業後もネタにされた。
そんな思い出の地、都立大学駅へ仕事打ち合わせでやってきた。
仕事終了後、定時を過ぎていたので、散策へ。
と、散策の前に駅前のサンマルクカフェを撮影。
ここはかつてマクドナルドだったらしんだけど、
幽霊が出るマックとして、その筋の人には知られていた。
(どの筋の人だよ・・・)
さて、散策ですが、都立大学駅周辺は、魅力的なスポットの宝庫。
しかし、時間も時間なので、ひとつだけ寺詣を決める。
目的地は、碑文谷1丁目にある「円融寺」。
何故、「円融寺」を選んだかというと古刹だから。
ということで、都立大学駅前から「円融寺」へと向かう。
都立大駅から「円融寺」までは、約1.5キロ。
大した距離ではない。
住宅街を歩き、環七に出て平町一丁目の横断歩道を渡る。
かつてこの地にたくさんあった竹林を少しでも残したいという地元民の遺志により、
寄付、整備された「すずめのお宿緑地公園」を右手に過ぎると、
印象的な「目黒サレジオ教会」が見えてきた。
1954年建造のカトリック教会で、
1985年に神田正輝と松田聖子、1993年に三浦知良と設楽りさ子が、
結婚式を挙げたことで知られている。
「目黒サレジオ協会」のところを右折して、
一本目の道を左曲がった先に「円融寺」があるんだが、
また表参道ではなく裏側から寺詣で。
寺院巡りで正門から入ることは2割ぐらいしかないかも。
大分日が暮れてきたので、境内を突っ切り参道へ。
山門まで行きたいところだったが、
急遽、この後人と会うこととなり、時間がなく断念。
振り返ると仁王門。
以下、公式サイトからの引用。
※太字は引用文。
建立時期ははっきり分かりませんが、
永禄2年(1559年)に仁王像が作成されるのとほぼ同時期と考えられます。
ただし江戸時代の寛文期(1661−1672)と永禄期(1688−1703)の間に大改修が行なわれたため、
足利時代の面影はほとんど残っていないと思われます。
茅葺きだった屋根は、2007年に銅葺きに改められました。
仁王門というぐらいですから、当然、仁王像がおります。
仁王門の両脇間に安置される木造金剛力士立像は、
永禄2年(1559)に鎌倉扇ヶ谷(おうぎがやつ)の権大僧都大蔵法眼によって作られました。
この仁王尊は霊験あらたかなことから江戸時代の庶民の篤い信仰をあつめ、
「碑文谷仁王」「黒仁王」など呼ばれて親しまれました。
江戸後期の資料によると、行楽をかねて泊りがけで参詣する人や、
お堂に篭って断食して祈願する信者もあったようで、
当時の繁栄ぶりがうかがえます。
うーん、この文章を書いた前日に鎌倉扇ヶ谷に行った。
なんたる偶然。
「円融寺」公式サイトに記載されているこの黒仁王像の由来が面白い。
仁王門をくぐると釈迦堂。
室町初期の建立とされ、東京都区内最古の木造建築として知られています
(都内では東村山市の国宝・正福寺地蔵堂に次いで2番目)。
明治44年(1911年)に国の古社寺保存法により国宝に指定され、
昭和25年(1950年)に国の重要文化財に指定されました。
本来の屋根は茅葺きでしたが、
火災予防の見地から昭和27年(1952年)に銅葺きに改められました。
しかし、唐様建築の手法に和様を取り入れた優美なすがたは今日もなお残されています。
「円融寺」公式サイトの釈迦堂のページに記載されているこの釈迦堂の逸話が面白い。
この日の帰りの電車の中で、このまるで落語のような記述を読んで、
思わず笑ってしまいました。
都内最古の木造建築を拝める幸せを噛みしめながら、釈迦堂の裏手に回ると、
打って変わって、昭和50年(1975年)建立という逆に新しい阿弥陀堂がある。
これが新本堂。
本尊は、昭和期に活躍した仏像彫刻の第一人者である松本昇作の阿弥陀如来像。
「円融寺」の特徴は新旧融合。
日没だし、時間もないしで、「円融寺」を後にする。
調べてみるとこれまた思い出の学芸大学駅まで1.3キロ。
都立大駅に行くよりも若干近いので、
学芸大駅へと向かって歩き出す。
途中にあった通り名と住所に目が行った。
鷹番通り、鷹番1-14。
ここはどこだ?
目黒区だ。
目黒といえばさんま。
目黒、さんまとくれば落語の「目黒のさんま」
「目黒のさんま」の名手といえば、三遊亭金馬(三代目)。
小生の知っている「目黒のさんま」とはかなり異なっている。
現役の落語家だと入船亭扇辰師匠の「目黒のさんま」が絶品。
さて「目黒のさんま」は、世間知らず殿様が目黒へ鷹狩に行き、
そこで下魚のさんまを食べ、その美味さに魅了されるという噺。
そして、鷹番という地名。
こ、これは・・・。
調べたら、やはり江戸時代、この地に鷹番屋敷があったようだ。
うーん、面白い。
落語が好きで良かったと思いながら歩くこと数分、
学芸大学駅へ到着。
本日のかるーい散策終了。
今回は、鷹番という地名が収穫。
三遊亭金馬(三代目)のあと、三遊亭圓楽の「目黒のさんま」を聴いてみたけど、
やはり大分違うというのも収穫だった。
そして、本来、学芸大学前の待ち合わせだったのに、
都立大で待っていた学生時代のエピソードは、
なんだか落語のネタになりそうだたなぁ〜。
なんてことを思った次第。