2014年09月17日更新

羽村取水せき

2014年の夏が終わりました。


夏休みの宿題といえば、自由研究。


小生は大人になった今、毎年、
夏に散策という名の自由研究をしております。


童心にかえり。


【僕の夏休み2014 自由研究レポート】


僕の住んでいる武蔵野市には、有名な川が流れています。
その川とは「玉川上水」です。


僕の家の近くだと井の頭公園の中を流れている川ですが、
その歴史は江戸時代にさかのぼります。


そんなに古くからある川とは知りませんでした。
きっと「玉川上水」には、いろんな歴史があるに違いありません。


そこで、今回、「玉川上水」についていろいろと調べてみることにしました。


「玉川上水」の源流は、羽村取水せきというところで、
東京都と神奈川県の境界線となる多摩川から、水を引きこんでいるそうです。


確認するために、羽村取水せきに行ってみるとことにしました。


吉祥寺駅から中央線に乗り、1時間かからないぐらいで羽村駅に到着しました。
羽村駅で降りるのは初めてです。


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羽村駅から歩いて羽村取水せきへと向かう途中に、「稲荷神社」という神社がありました。


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創建年月はわからないようですが、
江戸時代後期の「風土記」という本にこの神社のことが書いてあり、
その頃には既に存在していたみたいです。


本殿は嘉永元年(1848年)のもので、平成2年にリフォームされています。


「稲荷神社」の近くには、
文禄2年(1593年)に建てられた「禅林寺」がありました。


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山門は文久2年(1862年)建築。
今から150年も前の建物です。


羽村駅から羽村取水せきまでは、少し距離がありますが、
「稲荷神社」「禅林寺」があったので、それほど遠く感じませんでした。


ここが羽村取水せきです。


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さて、「玉川上水」は、なぜつくられたのでしょうか?


答は江戸の人口が増大したため、生活用水が足りなくなったからです。


では、誰が作ったのでしょうか?


徳川幕府の命令によって、庄右衛門・清右衛門の兄弟が、1653年4月に工事を始めました。
羽村から四谷大木戸までの全長43キロにも及ぶ「玉川上水」は、
同じ年の11月には完成しているので、なんと建設に1年かかっていないのです。


一体どれだけの人たちが、工事に関わったのでしょうか?


庄右衛門・清右衛門の兄弟は、
完成したあと、その功績をたたえられて、玉川という苗字をもらいました。


そんな兄弟の銅像が、羽村取水せきの広場に建っていました。


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教科書にこの銅像の写真が載っていて、
いつか生で見てみたいと思っていたので、嬉しかったです。


広場には、堤防が壊れないようにするための「牛枠(うしわく)」が、
展示されていました。


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昔の人たちの知恵と経験は凄いと思います。


広場の奥の方へと行くと、まさに多摩川から水を取っている水門がありました。


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この日の多摩川や上の写真の水門の流は穏やかだったけど、
第二水門の上から見た「玉川上水」の流れは速く、水の量が多かったです。


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うちの近所の「玉川上水」は、流れは遅く、水の量も少ないので、
その違いにびっくりしました。


羽村取水せきの近くには、
「玉川水神社」や「玉川上水羽村陣屋跡」がありました。


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「玉川水神社」の案内板の文字が剥げて一部読めなかったけど、
もっとも古い水神社のひとつであったそうです。


「玉川上水羽村陣屋」は、「玉川上水」を管理するためのお役所です。


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さて、「玉川上水」は江戸時代に作られ、ここから四谷大木戸まで水を流し、
そこから江戸の町に水を送っていたわけですが、
江戸時代以降の「玉川上水」はどうだったのでしょうか?


その歴史を僕のお父さんの力を少し借りて調べてみました。


明治時代に入ると、人口が増加し、「玉川上水」が汚れてしまいました。
そこで明治31年に新しく淀橋浄水場を造りました。


場所は西新宿。
都庁がある辺りです。


京王線の明大前駅と代田橋駅の間にある地点で、
「玉川上水」から分けて「玉川新上水」をつくり、淀橋浄水場へ水を流しました。


東京の街に水を送る役割を果たした淀橋浄水場ですが、
昭和12年、新宿の街の開発のため、他に移す計画が立てられました。


そして、昭和40年に、移転先である東村山浄水場が完成。
淀橋浄水場は終了となり、その後、都庁や新宿公園となりました。


「玉川新上水」も役割を終え、今は、埋め立てられて道になっています。
今と昔の地図を見比べてみると、今の道と新上水の道筋がぴったりと重なっていました。


東村山浄水場は、近くにある多摩湖(村山貯水池)から水を得ています。


お父さんは、今年自転車で吉祥寺から多摩湖に行っています。


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【散策の部屋】「多摩湖」


この多摩湖ですが、羽村取水せきから水を引いた直後の「玉川上水」から、
水を得ているのです。


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羽村取水せきの広場の案内板
村山貯水池が多摩湖で山口貯水池は狭山湖


東村山浄水場の完成により、
玉川上水駅付近から下流の「玉川上水」は、その役目を終えました。


「玉川上水」の上水としての役割が終わると、
ほったらかしにされ、やがて水がなくなってしまいました。


さらに高井戸より先は、都市開発のため「玉川上水」の水路がなくなりました。


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現在の「玉川上水」は、高井戸駅近くの神田川との合流地点が、終着点。


江戸の町を根底から支えた「玉川上水」が、なくなってしまうなんて、
残念でしかたがありません。


ところが、昭和64年に、「玉川上水」を復活させるための動きがあり、
羽村から高井戸までの「玉川上水」が整備され、「玉川上水」が生き返りました!


高井戸から先は無くなったままですが、
羽村、高井戸間の「玉川上水」は、平成15年、国の史跡に指定されました。
歴史的に価値があり、大切にするべきものと国に認められたのです。


やったぞ!「玉川上水」!


さて、今回、「玉川上水」に触れてみていくつか気になったことがありました。
この疑問もお父さんの力を借りて解決しました。


Q1.江戸時代、四谷大木戸にたどり着いた水は、その後どうなったのか?


答:木で作られた水道管やオケをつかって、いろいろなところに水を送っていた。


お父さんのブログ【散策の部屋】「江戸東京博物館」でそのことについて触れています。


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「江戸東京博物館」に展示されている「上水桝」




Q2:僕は武蔵野市に住んでいるけど、家の水はどこから得ているのでしょうか?
近くに境浄水場があるからそこかな?



境浄水場は、東村山浄水場から地下の水道管をつかって水を得ていて、
お父さんが多摩湖へ自転車で行った際に通ったサイクリングロードの下に、
水道管が埋められているそうです。


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多摩湖自転車道、武蔵野市側入口


武蔵野市が境浄水場の水を利用していたら、
その水は元々「玉川上水」から引かれた水といことになります。


もしかしたら私は「玉川上水」を流れた水を飲んでいるかもしれません。


そんな期待を胸に調べていたのですが・・・。


答:武蔵野市の水は、8割が地下水、2割が利根川から得た水を東京都からもらい、
  それを混ぜて、武蔵野市の2個の浄水場で水をきれいにしてから、家庭に送られている。


つまり、境浄水場から水を得ていませんでした。


東日本大震災のあとの3月24日に、
利根川支流の江戸川から取水している金町浄水場で、
放射能物質が検出された時に、
武蔵野市の水道水も危ないと言われていた理由がわかりました。


「玉川上水」は、僕がいつも使っている水とは、関係がありませんでした。
でも「玉川上水」からもれた水が地下にたまって、地下水にまざり、
それを武蔵野市がくみ上げているかもしれません。


以上、【僕の夏休み2014 自由研究レポート】なのですが、
この日、羽村取水せきから福生駅まで歩いてみました。


羽村取水せきから「玉川上水」沿いに遊歩道がありました。


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柵の向こう側に「玉川上水」が流れているため、
あまり川沿いを歩いている気がしませんでしたが、
よく見ると「玉川上水」の水はとても綺麗です。


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羽村取水せきからそれ程離れていないのですが、
かなり穏やかでした。


この後、「玉川上水」から離れ、住宅街を歩きました。
すると伸び放題の雑草の中に「高崎治平」という名前が刻まれた石碑がありました。


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調べてみると福生の発展に寄与した方を讃える碑でした。


詳しくはコチラ


もうお昼を大分過ぎていてお腹が空きました。
「高崎治平」の石碑の近くにうどん屋さん「丸亀製麺」があったので、
そこでお昼ごはんを食べました。


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とろ玉うどんと豆苗の天ぷら。


天ぷらとかおかずが「はなまるうどん」より、
リーズナブルだし、バリエーションが豊富だなと思いました。


「はなまるうどん」は、もう少し揚げ物の種類を増やして、
値段も下げて欲しいです。


お昼ご飯を食べた後、福生駅へ向かうと、
なんとこの日はお祭りでした!


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10周年ということで、あまり歴史は長くないお祭りのようですが、
すごい人出でした。


少しはお祭り気分を味わいたくって、
1杯100円のかき氷を食べました。


他にも美味しそうな食べ物があったけど、
うどんでお腹がいっぱいだったので食べれませんでした。


台風が来ていて、今にも雨が降りそうだったので、
福生駅まで行き、家に帰りました。


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お終い。

  

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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