<ディープツアー2014 散策記一覧>
「ディープツアー2014 鎌倉 PART1」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART2」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART2」からの続き。
中華料理を食べて腹ごしらえをした後、再び行動。
場所は定かではないが、
「英勝寺」の裏山にあると思われる「太田道灌の首塚」を目指す。
寺だらけの「神奈川県道311号鎌倉葉山線」を若宮大路方面へと歩き、
横須賀線の線路を越えた下馬交差点の手前にあるが、
葬儀場のカドキホール。
「ディープツアー2011 鎌倉 PART1」でも記述しましたが、
父方の祖父と祖母の葬儀を営んだ場所。
ここから「ディープツアー2011 鎌倉 PART1」に引き続き、
少しだけ想い出の鎌倉散策。
「くろぬま」。
なんとなく外観に違和感を覚えたんだけど、
後で調べたら2階の窓を覆っていた“黒沼紙”の看板がなくなっていた。
2011年撮影。
子供の頃からいた店主は、ご健在だった。
かなり高齢なはずだが、元気で良かった。
店内は果たして今どきの子供が使うのだろうか?と思しき品々も。
「くろぬま」を右手に見ながら、
六地蔵交差点から鎌倉市役所に至る道、今小路通りへ。
この通りは祖父の家から車で帰る時に、いつも使っていた道。
途中には亡父の母校である「鎌倉市立御成小学校」がある。
普通の小学校にはない立派な正門ですが、
これはこの地に昭和6年まで鎌倉御用邸があった名残。
そんな「御成小学校」の敷地には、
「今小路西遺跡(いまこうじにし)」と呼ばれる遺跡がある。
1979年(昭和54年)、御成小学校の改築工事中に、
鎌倉時代中期〜南北朝時代の鎌倉の都市遺構と、
さらにその下の地層から、
奈良・平安時代の鎌倉郡の郡衙(昔の役所)と推定される遺構が発掘された。
まぁ、鎌倉の場合、掘り返せばいくらでも遺構が出てきそうだ。
それにしてもこの道、ずいぶんと広くなったような気がする。
昔はもう少し狭くて、車での通行がやや困難だったと記憶しているんだけど、
拡張工事でもなされたのだろうか?
調べたら2010年に拡張工事が成されており、
その際に、由来の不明な井戸が発掘されていた。
市役所前交差点の角には、1982年創業の「紀ノ国屋 鎌倉店」。
ガキの頃からありますが、うちの家族はここで買い物をしたことはない。
なにせお高いですからねぇ・・・。
因みに1953年(昭和28年)創業の「紀ノ国屋 青山店」は、
日本初セルフサービス方式スーパーマーケット。
欲しいものを手に取りカゴに入れて、レジでお会計という、
今では当たり前のスーパーでの買い物の歴史が、
たったの60年とは・・・。
そのまま道なりに歩くこと5分ほどで、「英勝寺」に到着。
浄土宗の寺院であり、鎌倉唯一の尼寺。
太田道灌5代の子孫である英勝院尼が、
江戸時代の寛永13年(1636年)創建。
創建にあたっては、英勝院の義理の孫を玉峯清因と名付け、
門主に迎え開山した。
水戸徳川家の姫君が代々主僧を務め、「水戸御殿」と呼ばれた。
かつては太田道灌邸跡地とされており、
「太田道灌の首塚」とリンクする。
狭い通用門をくぐり境内へ入ると、
佐藤アサトがカバンから御朱印帳を取り出し、受付の女性に御朱印を依頼。
そのお願いの仕方が、今まで聞いたことのないような物腰の柔らかい丁寧な物言いで、
普段の言葉遣いを知る身としては、違和感を覚えずにはいられなかった。
聞くに、お寺によって御朱印に対する考え方が異なるそうで、
中には気難しい住職もいるらしく、それなりに気を遣うとのこと。
佐藤アサトが御朱印帳を預けた後、
小生がこの辺にスズメバチがいるかいないかを問うと、
今年はあまり見かけないという。
安心して境内を歩ける!
そんな境内は、見どころ満載!
寛永20年(1643年)建立の鐘楼。
袴腰という寺格の高い寺にしか見られない珍しい様式らしい。
中に吊るされている梵鐘も同年鋳造。
そして、いわくつきの山門。
「ディープツアー2013 鎌倉PART2」で、
この「英勝寺」の山門についての記述がある。
「東勝寺跡」からほど近い場所にある荒地に、
佐藤アサトが子供だった頃、「英勝寺」の山門がそびえ立ち、
かなり異様な光景だったとのこと。
大町の荒地 2013年撮影
「英勝寺」の山門は、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊。
そのまま鎌倉市小町3丁目の資産家・間島弟彦が買取。
2年の歳月をかけて、住居敷地内に再建し保存された。
(その後、所有者は変わっている)
鎌倉市小町3丁目を地図で検索してみると、
ズバリ、先述の荒地だった。
小町3丁目の山門は、2001年に住宅開発のために解体。
(住宅開発は凍結された模様)
有志によって、2011年5月16日に現在の地に復元された。
「英勝寺」の山門については、コチラのサイトが詳しい。
右に山門を見て奥に行くと穴!
「三霊社権現」という標識がある。
中に恐る恐る入る。
洞窟自体は短く、階段を下りると出口が見える。
とはいえ、中は暗いので、
iPhoneのアプリでライトを点灯すると、石像が安置されていました。
これが「三霊社権現」?
霊社は、先祖の霊を祭る社の意。
権現は、仏が衆生を救うために、神・人など仮の姿 をもってこの世に現れること。
うーん、よくわかりません。
「三霊社権現」の右横には、まるで整備されていない急な階段があり、
その上に五輪塔らしきものが見える。
勿論、行くでしょう。
結構な荒れっぷりでしたが、「太子堂」とのこと。
「太子堂」は、聖徳太子の像を祀った仏堂の呼称。
うーん、よくわかりません。
超下り難い階段を下りると山門前なのですが、
ここでスズメバチが飛んできた。
いないって言ったじゃん!!!!
幸いすぐにどこかに飛んで行ってしまいました。
山門の奥にあるのが、仏殿。
なんか写真が斜めってます。
山門と仏殿との間に十分な距離がなく、こんな写真になってしまいました。
仏殿の中にはご本尊の阿弥陀如来立像。
徳川三代将軍家光の寄進で、運慶作といわれている。
後から知ったが、仏殿内の天井には、徳川家の三つ葉葵や、
太田家の桔梗の紋が飾られているらしい。
家紋フェチの佐藤アサトも知らなかったようで、
完全にスルーしていた。
中庭の方へと足を進めると、
やぐらを利用した「金比羅宮」を発見。
金比羅は、神仏習合によって生まれた神ですが、
「英勝寺」の「金比羅宮」の由緒は良くわからない。
そんな「金比羅宮」よりも目を引いたのが、
墓石とやぐらに安置された石像。
ちょうど、英勝院の位牌を安置する祠堂(しどう)の裏で、
祠堂の方に回ってみたのだが、通路はなかった。
調べたところ墓石は、英勝院と玉峯清因らのお墓だった。
仏殿・山門・鐘楼・唐門(祠堂門)・祠堂が、
2013年に国の重要文化財に認定されただけあって、
「英勝寺」は見どころ満載だったのですが、
肝心の「太田道灌の首塚」へのルートがわからない。
受付にいた女性に聞くと、
お隣の「寿福寺」の裏に「源氏山公園」へと抜ける道があるが、
その道に「太田道灌の首塚」があるかどうかはわからないとのこと。
ということで、とりあえず「寿福寺」へと向かう。
以降、「ディープツアー2014 鎌倉 PART4」へ続く。