<ディープツアー2014 散策記一覧>
「ディープツアー2014 鎌倉 PART1」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART2」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART3」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART3」からの続き。
「太田道灌の首塚」を求め、
太田道灌邸跡地に建立された「英勝寺」を訪れたが、
「太田道灌の首塚」には至らず。
「英勝寺」の受付の女性から得た情報を元に「寿福寺」へ。
案内板にあるように、正治2年(1200年)に、
源頼朝の奥さんである北条政子が、前年に没した夫を弔うため、
臨済宗の開祖・栄西を住職に迎え建立した寺。
頼朝の父・源義朝の旧邸があった場所で、裏は源氏山。
北条政子がこの地に「寿福寺」を建立した理由がなんとなくわかる。
「寿福寺」は鎌倉五山第3位で偉いからか、
普段は中門までしか公開されていません。
中門から撮った一枚。
佐藤アサトは、御朱印をもらうべく、
中門右手奥の受付へと向かう。
なかなか戻ってこないので、様子を見に行くと、
ダイナミックな切岸が。
写真じゃ伝わらないんだよね。
受付からは、住職と思しき人の渋い声と、
なぜか平謝りしている佐藤アサトのナレーターとは思えない弱々しい声が聞える。
再び中門に戻り、
中門から見ることの出来る市指定天然記念物ビャクシンを撮影。
暫く佇んでいたら、ようやく佐藤アサトが御朱印帳を抱えてやって来た。
よくわからないが、「寿福寺」には4つの札所があり、
一度に4つの御朱印を欲張ってもらおうとして、
「それはダメ」と、住職に少したしなめられたそうな。
御朱印をもらうのも中々大変ですな。
「寿福寺」の裏手には、北条政子と、
鶴岡八幡宮で兄の頼家の子、公暁に暗殺された
鎌倉第3代将軍・源実朝の墓がある。
中門の左奥にある小道を進むと、やぐら好きには垂涎の光景が。
やぐらは、山肌に穴を掘った横穴式の納骨窟、供養堂。
山と海に囲まれ平地が少なかった鎌倉では、
やぐらがお墓の代わりを果たし、何千というやぐらが現存しており、
決して珍しいものではない。
しかし、人の手によって彫られた穴が、
時と共に風化し、自然と一体化している様は、
人工的な穴であることを忘れさせ、神秘的な威厳すら感じさせる。
このやぐらの前の階段を上がると、北条政子たちの墓があるのだが、
崖崩れのおそれがあるということで迂回すると、
史上最強に心が折れそうになる「注意文」が・・・。
一瞬、怯んだが、十分に注意して通行すると墓地に到着。
普通のお墓とやぐらを利用したお墓が混在する、
鎌倉ならでは(?)の光景が、なんともいえない雰囲気を醸し出す。
こちらが北条政子のお墓。
そばにある源実朝のお墓。
「吾妻鏡」には、実朝は現存していない「勝長寿院」に葬られ、
北条政子も「勝長寿院」の奥に自ら建てた「御堂御所」で火葬されたという記述がある。
また、この日昼飯を食べた「はぶか」の近くにある「安養院」には、
北条政子の墓と伝える塔もある。
ならば「寿福寺」にある墓はなんなのか?
分骨したとか、納骨はされておらず供養塔だとか、
様々な推測がなされているようだけど、謎らしい。
実朝の墓の近くには、墓地の中でも最大級のやぐらがあった。
多分、無縁仏の供養堂じゃないかな。
この他にもやぐらが沢山あったが、
全体的に異様な空気感が漂っていて、どうも居心地が悪い。
そして、何よりもスズメバチが怖い。
墓地でも数匹飛んでいた。
スズメバチではない虫も、飛んでいるとスズメバチに見えてくる。
この日、ハイキングを2つこなし疲労も重なったのでしょう。
大好物のやぐらを前にしながら、
佐藤アサトからも珍しいと言われるほど、テンションが上がらなかった。
さて、「寿福寺」の目的は、北条政子、実朝の墓ではない。
「太田道灌の首塚」だ。
iPhoneの地図を拡大して調べると、
先程の「スズメバチ注意」の貼紙の近くに、
源氏山公園に至る山道があるようなので行ってみると・・・。
またかよ・・・。
本当に萎える。
萎えまくる。
去年のディープツアーにもスズメバチが登場したが、
ここまで頻繁じゃなかった。
今年は台風の本州上陸もあったから、巣が落ちて、
それほどスズメバチはいないと思っていたが、真逆だった。
改めて、ウィキペディアでスズメバチの行動上の注意点を読んでみたけど、
マジで怖い。
戦慄を覚える。
スズメバチ被害の注意勧告を前に、佐藤アサトとどうするか相談。
毎年、ディープツアーでは、何かしら目玉となる場所や史跡に出会うが、
実は今年はまだその類に出会えていない。
この先に「太田道灌の首塚」がある可能性は高い。
結果、意を決して突き進むことに。
上の写真の右奥に行くと、いきなりの急階段。
階段を上ると、切通しとあまり見たいことのない雨水を流すための溝。
ここを通り抜けると右手に墓地がある。
急な階段に坂、道幅も狭く、更にスズメバチの脅威もある。
墓参りするの大変だろうなぁ・・・。
墓地を過ぎた後の道はこんな感じ。
今日、3度目のハイキングですな。
最良策かどうかはわからんが、
スズメバチを含めた虫を避けるために、
タオルをぶんぶんと振りながら直進。
途中、若いカップル1組とすれ違ったほかは、
誰とも出会わない。
この先にある狭い坂と階段では、手を繋いでは通れないよぉ〜。
暫く山道を登ると、あった!
「太田道灌の首塚」!
以前より所在地を知りたがっていた佐藤アサトは、大喜び。
しかし、太田道灌は文明18年(1486年)に、
道灌が仕えていた扇谷上杉家の当主・上杉定正(扇谷定正)によって、
伊勢原で暗殺されており、伊勢原市の洞昌院と大慈寺に墓がある。
ではこの首塚はなんなのか?
首塚に刻まれた文字を調べたが、
風化が酷く建立年とかはわからなかった。
周りの石材の柵の傾きも酷いし、雑草も生え放題。
首塚といっても首や遺骨が埋葬されている首塚はあまりないので、
太田道灌邸跡地の裏山であるこの地にちなんで建立された、
普通の供養塔なのでしょう。
首塚を後にすると、すぐに源氏山公園へ到着。
昼ご飯を食べた「はぶか」以降、座っておらず、
源氏山公園のベンチで少し休憩しながら、この後どうするか相談。
以降、「ディープツアー2014 鎌倉 PART5」へ続く。