<沖縄2014 散策記一覧>
「沖縄2014 1日目」
「沖縄2014 2日目」
「沖縄2014 2日目」からの続き。
沖縄3日目。
この日も朝6時に起床し、朝食はバイキング。
前日にはなかった料理もあり、
連泊でも舌を飽きさせない配慮がなされていた。
どれも美味しそうなんで、しこたま食べたかったが自粛。
なぜならば、この日のメニューは、シーカヤックと登山。
つまりトイレがない。
お腹を下してしまったら、まったく楽しめない。
食べたい気持ちを抑えて、部屋に戻り荷造り。
この日で、「グランヴィリオ」ともお別れ。
部屋から撮影した1枚。
これまでホテルは寝れれば良いというポリシーで、
あまりこだわってこなかったけど、
「グランヴィリオ」は、景色、接客、客室、食事など、
どれも大満足で、ホテルの質の大切さを学ばせてもらいました。
また泊まりたいと思いました。
さて、本日のシーカヤックと登山でお世話になるのは、
大堀健二さん、則子さんの夫婦が営むエコツアー「ふくみみ」さん。
「グランヴィリオ」から、則子さんの運転するバンに乗り込み、
大堀家の自宅を兼ねた「ふくみみ」さんのある石垣島北部野底へ。
車中、大堀夫婦の馴初めを聞くと、
琉球大学で出会ったそうな。
健司さんは、地質学の勉強をし、
則子さんは、なんと池袋サンシャイン水族館に
勤務していたことがあるとのこと。
更に驚いたのが、健司さんの出身が高円寺。
小生の地元である吉祥寺から近い。
更に驚いたのが、自宅でヤギを飼っていること。
雑草を食べてくれるそうな。
「ふくみみ」の路地奥へ進むと形が印象的な山が。
こちらが本日登る野底岳ことマーペーなのですが、
その前にシーカヤック。
平久保半島の(恐らく)名もなき海岸がスタート地点。
シーカヤックに乗り込み、一旦、海に出てから吹通川へ。
浅いし、川の流れを逆行するので、なかなかしんどかったが、
なんとか吹通川へ侵入成功。
健二さんのナビのもと、主流から支流へ入ると、
早速マングローブ。
健二さんは、「自分でやってください」というスタンスで、
シーカヤックの操作に関しては、いい意味で放任主義。
川幅も狭く、引潮で水深も浅い。
時たまマングローブの根っこに引っ掛かりながらも、
頭を使って漕ぎ進む。
満潮時は水嵩が増し、
マングローブの合間をシーカヤックで進むことも可能だが、
同じような景色なので、健二さんでも方向感覚を失うという。
この後、一旦、主流に戻り、
上流へ向かってガシガシ漕いだ後、再び支流へ。
支流は細く、深さもひざ下ぐらいに。
これ以上、無理ってところで、シーカヤックを降りて干潟に上陸。
たくさんの生き物が生息していた。
赤い甲羅のベニシオマネキ。
片方の鋏が大きいのがオス。
そして、昨年、沖縄本島オクマにてシーカヤックをした際に知った、
トントンミーことミナミトビハゼが、凄まじ速さで移動。
ほとんど瞬間移動の俊敏さに、その容姿の写真を撮るのもやっとです。
この他にも、ベニシオマネキとは違う種類の蟹など、
たくさんの生き物が干潟で暮らしていた。
遠目に見ると、ウジャウジャいるのに、
近づくと一斉に穴に入ったり、瞬間移動したりする。
本能ってすごいなぁーと思った。
トントンミーを捕まえてみようとしたが、とてもじゃないけど無理。
我を忘れて、カニやトントンミーを追いかけていると、
健二さんが植物を拾い上げた。
オヒルギの花。
オヒルギは、常緑高木でヒルギの中でも樹高が高いそうな。
そういえば、2003年に沖縄に行った際、
飲み屋でヒルギさんというプロの歌手と出会った。
普通にお客さんとして飲みに来ていたんだけど、
その場でアンプラグドライブをやってくれた。
メチャクチャ上手かった。
同年、「カナスムヌ〜愛する者〜」CDデビューを果たし、
そのCDも持っている。
3曲入りなんだが、
ライブで歌ってくれた3曲目の「ンヌツヌアーグ〜命の歌」が特に良く、
ちょいちょい聴いていた。
しかし、1年後の2004年9月、
10万人に1人が発症するという「脳幹脳炎」にかかり一時音楽活動休止。
2006年に難病と闘いながら、活動再開という記事をネットで見たが、
その後、あまり追いかけていなかった。
この機会に調べてみたら、完全復活していた!
http://profile.ameba.jp/hirugico/
しかも上京していて、阿佐ヶ谷でライブやってるじゃないか!
「カナスムヌ〜愛する者〜」のCDを引っ張り出して、
久しぶりに聴いておりますが、
youtubeの映像を見ると大分ブルージーな感じになっておりますね。
さて、シーカヤックに話を戻しましょう。
そろそろ戻らないと、引潮で不味いということで、
支流、本流、海へと戻り、シーカヤック終了!
1年前にオクマでマングローブ・シーカヤックをやったけど、
今回の方が、漕いだし、難関箇所があったし、干潟に上がったしで、
相当、充実、満足、楽しかった。
「ふくみみ」に戻ると昼食タイム。
しかし、お昼の用意は自分たちで!
ブログでは書きませんが、〇〇たちが、
健二さんの指導のもとフーチャンプルを作ってくれました。
ジューシーのおにぎりは、
子供のバスケの試合の付き添いに行っている則子さん作。
完全手作りのお食事なわけですが、
お客なのになんで昼ご飯を作らないといけないの?
と、思う人がいるかもしれない。
でも、小生は健二さんの方針に大賛成。
教育上素晴らしい考えをお持ちの方だと思いました。
で、フーチャンプルもジューシーも、超美味かった!
健二さんはお昼ごはんを食べながら、
この後登る野底岳が、なぜマーペーと呼ばれるのか、
その由来を教えてくれた。
薩摩の附庸国となった琉球王国は、
米やさとうをもっと多く納めるように求められた。
1732年、黒島と新城島にいた島民たちは、
より多くの作物を育てるため今の野底に強制的に移住させられた。
野底は1732年に黒島と新城島から移住者たちによって作られた村。
黒島で暮らしていたマーペーという娘とカニムイという青年は、
結婚を誓い合っていたが、移住者の区分によりマーペーだけが、
野底へと連れて行かれてしまった。
やがてマラリアにかかり絶望したマーペーは、
カニムイが住む黒島を一目見ようと野底岳に登ったが、
於茂登岳にさえぎられて島の姿さえも見えず、
絶望して山頂の石と化した。
こうして、野底岳はマーペーと呼ばれるようになったそうな。
石になってしまったというのは、作り話だろうけど、
野底村が黒島と新城島からの強制労働者によって新設されたのは事実。
そういった移住者のことを寄百姓(よせびゃくしょう)や島別け(シマバギ)と呼ぶ。
寄百姓の悲痛な思いを忘れないよう伝承されてきた話なのかな。
健二さんが昼食の後片付けと登山の準備をしている間、
好きなことをしていてくださいということで、
少し周辺を散策することに。
「ふくみみ」の近くに放牧場があったので、行ってみた。
こちらを全く気にしない牛、
少し気にする牛、
気にし過ぎて攻撃的な態度をとる牛。
いろんな牛がいました。
攻撃的な牛
牛とサヨウナラをして、サトウキビ畑へ。
サトウキビ畑。
沖縄独特の光景。
なぜかわからないんだけど、サトウキビ畑が大好き。
耳を澄ますとザワワですよ。
風の音、サトウキビのザワワの音。
聞えるのはそれだけ。
都会じゃ考えられない。
美しい景色というビジュアルもいいが、
耳に入る音の美しさも重要だと思う。
サトウキビとハイビスカスのデュエット。
グルっと一回りした後、
「ふくみみ」敷地内のハンモックへゴロン。
40歳にして人生初のハンモック。
遠くに聞えるヤギの鳴き声。
のどか。
なんか、パソコンに向かって、
日々、細かい作業をしているのがアホらしくなってくる。
人生、一回しかないんだよなぁ。
なんて思っていると、登山タイム。
健二さんが運転する車で、マーペー登山道入口まで行く。
健二さんの車の近くに赤い乗用車が一台停まっており、
60代以上と思われる男性が降りてきた。
その男性もマーペーに登るのだろうか?
登山道入り口はこんな感じ。
最初こそ歩き易い道だったが、
やがて荒れた道となり、勾配もきつくなってきた。
すると後方から足音が聞えてきた。
振り返ると先ほどの乗用車の男性。
登山に慣れた様子でとても健脚。
道を譲り先に行ってもらった。
途中、健二さんが何かを発見。
「あそこにヤモリがいます」
指さす方を見ると確かにヤモリがいた。
確か健二さんはミナミヤモリと言っていた記憶があるが、
違うかもしれない。
健二さんがいなかったら、
気付かないで通り過ぎていたことでしょう。
続いて健二さんが教えてくれたのが、
このボロボロの木について。
腐食の原因は、シロアリ。
自宅の庭にウッドデッキを置いていたら、
なんか木がスカスカになり、バリッと割ってみたところ、
大量のシロアリが出てきたことがある。
(以来、庭にはウッドデッキを置かないようにしている)
木造建築の柱や床板が、
シロアリにやられるという話も良く耳にするが、
この木は、地面に根をさしている木だった。
倒木でなくてもシロアリにやられてしまうんですね。
暫く歩くと、ミミズ腫れのような筋が、
幹に付着した木があった。
なんとこの筋は、シロアリの通路、蟻道(ぎどう)だという。
蟻道を破壊しても、すぐに修復するらしいので、
試しに壊して、帰りに確認してみることにした。
そして、近くの木にちょっとグロい巨大な塊がくっ付いていた。
これがシロアリの巣。
表面部分をガリガリと剥がすと、
中からシロアリが姿を現した。
因みにシロアリは、アリという名がついているが、
ゴキブリの仲間です。
マーペーの山道には、
この他にもいろんな生き物が生息しており、
こちらの穴は、カニの巣。
全く水気がない場所なのに、カニがいるんですね。
残念ながら、カニは姿を見せませんでした。
やがてマーペー山頂までの道は、
生物の観察をする余裕がないような状態に。
至る所にロープが張られ、掴みながら登っていく。
それほど急な道ということ。
途中には行く手を阻むような倒木も。
整備されているんだかいないんだかわかりませんが、
ワイルドな道程の方が、
頂上に辿り着いた時の感動は一入のはず。
ほぼ毎朝走っていて、体力がまだあった、
8月の山中湖の「石割神社」や「鎌倉ディープツアー 2014」。
その後、ジョギングをしなくなり、
たった3カ月で身体は鈍り、腹はぶよぶよ。
当然、体力も落ちており、
正直、マーペー、ちょっとだけしんどかった。
特に後半は、道は狭くなり、勾配もきつくなり、最後は、岩をよじ登る。
でも!頂上は、そんな思いも吹っ飛ぶぐらいの絶景!
かなりの強風が吹き荒れており、吹っ飛ばされそうになりながら、
頂上の岩場に立つと、ち〇こが萎縮!
いやー、スゲェー!
柵も何もない。
断崖絶壁で、一歩間違えれば滑落死。
あえて安全処置を取らないのが良い。
自己責任なところが素晴らしい。
石垣島といえば海だが、
海ばかりでなく魅力的な山はないかと調べた結果、
「ふくみみ」のサイトに辿り着いた。
申し込んで良かった。
是非、石垣島を訪れる機会があったら、
マーペーにアタックして欲しい。
ルートは二つあり、今回、小生が登ったのはハードコース。
もう一つは15分ぐらいのライトコース。
http://www.zephyr.justhpbs.jp/mapei_climb.html
ハードコースでも、体力のある幼稚園児であれば、
登れると思うので、ファミリーでも楽しめます。
事実、頂上には子供の姿がチラホラと。
360度、大パノラマは時を経つのを忘れさせる。
この山名の由来である、
マーペーさんのこともすっかり忘れていた。
山頂にどれぐらいいただろうか?
やや空がガスってきて、風もますます強くなり下山開始。
登りよりも降りの方が膝にくるので、
負担をかけないように慎重に降りる。
膝への負担を軽減するのには、ブレーキをかけずに、
一気に駆け下りた方がいいんだけど、
まぁ、無理だよね。
下山の途中、発見した幾つかの生物。
もはや生物ではありませんが、カニの死骸。
ハカワラタケ。
そして、そして、先ほど破壊したシロアリの蟻道を確認すると、
修復途中でした!
そうこうするうちに、登山道入り口に到着。
約2時間半の登山でした。
適度にハードで、頂上絶景。
大・大・大・満足でした。
充実感に浸りながら、
健二さんの車に向かう途中、
ふっと登る前に駐車していた乗用車がないことに気が付いた。
乗用車の運転手の男性は、我々を追い越して先に行った。
しかし、よくよく考えるとその男性は、頂上にいなかったし、
擦れ違いもしなかった。
山頂に到達した後、もう一つのルートで下山したのでは?
と健二さんに問うと、「全く別なところに出る」という返答が。
果たして、男性は、彼の乗用車は何処へ行ったのか?
ちょっとした怪事件でした。
健二さんの車に乗り、「ふくみみ」へ帰還。
健二さんが本日撮影した写真をCD-Rに焼いてくれている間、
再び庭のハンモック。
聞えてくるのは、風の音と草木が揺らぐ音と、
風鈴の音のみ。
風が止むと静寂。
近くにスーパーもない。
コンビニもない。
自動販売機もない。
東京の暮らしに比べたら、不便なのは間違いない。
でも東京での日々の生活では得られない空間と時間がある。
こちらは観光客。
実際に暮らすのは大変なのかもしれない。
しかし、健二さんは、高円寺出身。
都会を知っている身。
東京から移住し、自然に囲まれ、
大らかに生活をしている。
一方、雑踏でせわしなく、日々追われている小生。
いろいろ考えちゃうよね。
様々な思いが去来する中、
健二さんに本日の宿泊先のホテルまで送ってもらう。
途中、通った於茂登トンネル。
全長1174メートルで、沖縄県内最長のトンネル。
工事期間に2年半費やし、総工費は51億2千万円だと!
その割には、いつも修復工事をしているらしい。
健二さんに送ってもらった本日の宿泊先は、
ホテルグランビュー石垣。
部屋番号を伝えられ、自分で荷物を運び込む。
普通、ホテルの従業員が運んでくれないか?
鍵を開け入室すると、狭くて薄暗い。
窓はあるにはあるが、1つのみ。
道路に面しており、景色は良くない。
連泊したグランヴィリオとの落差も激しく、
どこが「グランビューなんじゃ!」と毒づく。
人間、一度贅沢を味わうとダメですな。
荷物を置き、今回のツアーでいろいろとお世話になった
石垣島の老舗旅行会社「平田観光」の奥平さんに挨拶をしに行く。
前回の石垣島旅行の際、
このブログを置かしてもらっている「Tシャツ屋ドットコム」の社長さんに
紹介してもらったのが、奥平さん。
9年ぶりの再会。
しばし世間話をした後、
奥平さんに今晩の夕食の場となる居酒屋を紹介してもらった。
「ひるぎ」
この日はなにかと“ヒルギ”だな。
石垣出身という名札を付けた店員に、
「おすすめのクース(古酒)は?」と聞いたら、
「クースってなんですか?」と返されたのには驚いたが、
八重山の泡盛の飲み比べをしながら沖縄料理で舌鼓。
食後、土産屋を見つつホテルへ。
風呂に入り、明日に備えて早寝。
以降、「沖縄2014 4日目」へと続く。