今更ですが、あけましておめでとうございます。
早いもので今年も1月半ば、
2015年の1/24が終わりました。
この調子だとアッという間に2月、3月が訪れ、
気が付けば、8月になり、瞬く間に年末になりそうです。
と、いうようなことを2014年一発目の「芝大神宮」の記事で書きましたが、
2014年、その通りになりました。
瞬く間に2015年が訪れまして、
正月なんで初詣に行ってきました。
調べたところ、初詣は回数、詣で先を気にする必要はないらしいので、
今年は3カ所行ってきました。
制限なしとはいえ、やはり最初は身近なところから行った方が良いらしく、
1月3日(金)に地元の武蔵野八幡宮へ参拝。
あまりに地元過ぎて、写真を一枚も撮らず、
数年前に撮った初詣の“は”の字もない写真を掲載。
待ち時間は30分ぐらいだったかな。
で、翌日。
冬休み最後となるこの日、特に予定はない。
しかし、晴れているし、あまり寒くなかったので、
久しぶりに自転車で繰り出すことに。
向かった先は、2014年12月14日(日)に開館したばかりの
「武蔵野ふるさと歴史館」。
近隣の世田谷区や杉並区には郷土館があったが、
武蔵野市にはない。
※かなり前に行った世田谷の郷土館の散策記は、まだ掲載していない。
両区の郷土館に行った際は羨ましく思い、
武蔵野市の歴史を学べる施設の設立を望んでいたので、
開館の情報を得た時は嬉しかった。
生憎と開館日には訪問出来なかったので、
この機会に行ってみることに。
かれこれ10年以上愛用しているママチャリにまたがり、
五日市街道をひた走る。
途中、武蔵野市民文化会館の傍にある庚申塔を撮影。
武蔵野市民文化会館の傍に何かが祀られていることは認識していたが、
祠が真新しく、近年に建立された地蔵だと勝手に思っておりました。
しかし、年末に武蔵野市立吉祥寺図書館で、
武蔵野市の歴史の本を閲覧していたところ庚申塔だと知った。
武蔵野市の歴史に関しては、
「多摩の歴史1 武蔵野市/三鷹市/保谷市/田無市」という郷土本を参考にして、
2012年の夏にチャリで巡った。
この本にはかなり詳細に武蔵野市の歴史、史跡が記されており、
ほぼ漏れはないと思っていた。
しかし、昨年の「多摩自転車道 PART1」で綴った
千川上水の更新橋の庚申塔に関する記述もなかった。
この武蔵野市民文化会館の庚申塔にも触れていない。
庚申塔の側面を確認すると嘉永六年(1853)と彫られている。
黒船来航の年だ。
今回、年数を調べていて知ったんだけど、
ペリーって、日本に来てからたった5年後の1858年に亡くなっているのね。
死因は心筋梗塞だが、アルコール依存症、痛風を患っていたらしい。
さておき、この庚申塔は私物とのこと。
再び五日市街道を突っ走り、車が通らない道、
ということで、グリーンパーク緑道へ。
この緑道は、「武蔵野市 PART3 関前編」でも触れましたが、
現在の武蔵野市役所一帯にあった「中島飛行機武蔵製作所」の跡地に作られた
「武蔵野グリーンパーク球場」と武蔵境駅を結ぶ、
「国鉄武蔵野競技場線」の廃線ルート。
「国鉄武蔵野競技場線」以前は、
「中島飛行機武蔵製作所」への物資輸送のための引き込み線として機能していた。
緑道を進むと玉川上水に出るんだけど、
ここに鉄道&戦争遺構が見られる。
わかり難いですが、コンクリート製の橋台が、当時のもので、
「中島飛行機武蔵製作所」への引き込み線の唯一の遺構。
この橋は「ぎんなん橋」で、2012年(平成24)に設置されたばかり。
設置前はこんな感じ。
橋台をそのまま使うことで、遺構を保存する形になっている。
良いことだと思う。
玉川上水に沿って西へと進み、武蔵境通りを左折。
武蔵境駅正面から線路沿いを東小金井駅に向かってチャリを飛ばす。
この道は中央線の高架化に伴って整備された新しい道なんだけど、
途中から工事中となっていた。
いずれ開通するのでしょう。
工事中の地点から少しだけ戻ったマンション群の一角に、
「武蔵野ふるさと歴史館」がありやしたぁ。
館内は撮影禁止
旧石器時代から現代にいたるまでの武蔵野市の歴史が、
発掘品、パネル、写真などで紹介されていたんだけど、
「へっ〜」と思ったのは、
御殿山や吉祥寺南町から長野県や新島で採取される石器が発掘されたこと。
これは当時の人たちが、交易を持っていたことの証。
それ以外は、ほぼ先述の郷土本「多摩の歴史1」で書かれていた情報の範疇。
とはいえ、情報がコンパクトにまとめられているので、
武蔵野市の歴史を学ぶのにはうってつけの施設だと思う。
武蔵野市に暮らす人たちには、是非、一度訪れて頂きたい。
因みにこの日、館内にいたお客さんは、
トータルで5、6人でした。
そんな「武蔵野ふるさと歴史館」を出たのが、2時20分。
昼飯を食べていない。
武蔵境駅近辺でとも思ったが、ここでフッとある地名が頭に浮かんだ。
深大寺。
深大寺といえば、蕎麦。
蕎麦食べたい!
iPhoneで距離を調べたら5キロぐらい。
チャリなら15分程度だし、
実は深大寺へ行ったことがなかったので、レッツラゴー!
で、激込!
参拝の前に蕎麦と思い、いくつか蕎麦屋を物色してみたが、
どこも込んでいてすぐに入れそうもない。
そんな中、そこそこの客入りだが、
席がありそうな「矢田部茶屋」に入店。
深大寺ビールとたぬき蕎麦をオーダー。
深大寺ビールは550円だった。
物色した他の店では500円のところもあった。
なんか損した気分。
深大寺ビールを飲んでいると、割かしすぐにたぬき蕎麦が運ばれてきた。
もり蕎麦じゃないから、そこまで風味とかわからなかったけど、
まぁ、普通に美味しかったです。
天かすが最後までふやけなかったのは何故だろう?
門前町の多くの店では、団子やせんべい、蕎麦饅頭、
おやき、甘酒といった品々が数多く売られていた。
この日、朝10キロ走っていたし、自転車も漕いだので、
一杯の蕎麦では腹一杯にはならない。
ということで、みたらし団子購入。
店のはす向かいにはベンチがあり、
自由に緑茶が飲めた。
この配慮は嬉しい。
さて、食事の後はいよいよ参拝。
寺院好きの心をくすぐる萱葺(茅葺)屋根の山門。
元禄8年(1695)頃に建立されたもので、
深大寺で一番古い建物。
山門をくぐると本堂。
そこそこの人出でしたが、それ程並ばずに済みました。
深大寺は天平5年(733年)満功上人が開山した法相宗の寺で、
天安3年・貞観元年(859年)、天台宗に改宗したかなり古いお寺だ。
本尊は、鎌倉時代前期に制作された木造阿弥陀如来坐像。
並んでいるときに寺務所の裏側に、
これまた萱葺屋根の建物が見えたので行ってみる。
本坊旧庫裡(くり) 保存棟。
本坊は、住職の住む所の意。
庫裡は、台所の意。
幕末の慶応3年(1867年)再建。
再建とはいえ150年も前の建物だ。
本堂の左手にある元三大師堂では、
護摩焚きが行われているようで、本堂以上の列が出来ていた。
流石に並ぶ気になれず、
他を回ろうと一旦境内から出ることに。
山門をくぐり、よくわからない深沙堂なる建物を目指す。
がっ!
早くも小腹が空いた。
おやき購入。
高菜のおやきが良かったんだけど、生憎と売り切れで、
珍しい茄子のおやきにした。
門前町は気を付けないと太るな。
おやきを食べながら、深沙堂の裏手に回ってみると湧水がせせらぎを形成していた。
これこそ深大寺の水源。
深大寺は丘陵地帯に位置しているが、
これは立川市から等々力渓谷まで約30キロに渡って連なる国分寺崖線。
国分寺崖線は、7万年〜3万年前にかけて多摩川が、
武蔵野台地を侵食することによって出来た河岸段丘(かがんだんきゅう)。
崖の上の地面に雨水が染み込み、
地中で濾過され、崖の下から湧水が出てくる。
参考記事:【散策の部屋】「国分寺」
で、なぜか不動明王。
等々力渓谷にも不動明王がいたことを思い出した。
参考記事:【散策の部屋】「ディープツアー2013 等々力」
気になって調べたら不動明王は、火と水を象徴する仏で、
滝場に安置されていることも多いそうな。
深大寺の水源の近くには、断崖のやぐら内にある延命観音。
これがなかなか面白い。
石に光が照らされており、凝視すると、
確かに観音様の姿が浮き上がっていた。
昭和41年秋田県象潟港工事の際、海底の大石を引き上げたところ、
慈覚大師(円仁)自刻の延命観音が刻まれてあり、
縁あって深大寺に奉安されたという。
延命観音の傍に階段があり、
上ってみると深大寺動物霊園があった。
こちらは萬霊塔(ばんれいとう)。
2013年にたまたま訪れた府中にあるペット霊園の慈恵院もそうだったけど、
動物霊園は、普通のお墓とは違う、
他を寄せ付けないような独特な雰囲気がある。
参考記事:【散策の部屋】「府中PART3 府中通信施設」
萬霊塔の入口の左右には、
ペットの写真や愛用品が展示されている部屋があったんだけど、
とてもじゃないけど重くて入れない。
この後、昭和58年の開創1250年大法会記念事業として
新築された開山堂を見に行く。
その開山堂よりも奥にあるモニュメントが気になった。
未来カプセル。
2088年かぁ・・・。
俺、死んでるなぁ〜。
小学生の時に同様のタイムカプセルをした覚えがあるが、
何を書いたか、どこに埋めたのかまるで記憶がない。
開山堂を後にして、再び深大寺の境内へ。
関東最古のほとけさまである白鳳仏が安置されている釈迦堂へ。
金剛釈迦如来倚像。
倚像(いぞう)とは、椅子などに座って両足を前に垂らしている仏像のこと。
大化元年(645年※大化の改新)から和銅3年(710年)間の白鳳時代のもので、
深大寺に祀られた経緯は不明。
金剛釈迦如来倚像の横には、平安時代後期作の毘沙門天像。
毘沙門天の化身が深沙大王(じんじゃだいおう)で、
深大寺を開山した満功上人は、この深沙大王を信仰していたそうな。
毘沙門天の化身が深沙大王とは知りませんでした。
先程、長蛇の列を作っていた元三大師堂は、
一段落したようで、列は大分短くなっていました。
あと不動堂を見ていなかったが、
少し離れたところにあるので、今回はパス。
代わりに訪れたのが、鬼太郎茶屋。
鬼太郎の産みの親である水木しげる先生は、
50年以上、深大寺のある調布市在住で、名誉市民。
水木しげる先生と妻の武良布枝を描いた映画『ゲゲゲの女房』も、
調布の各所で撮影されている。
水木しげる先生は、深大寺にもよく訪れるとのことで、この茶屋がある。
特に何かを買うつもりもなく、
なんとなく店内を物色していると・・・
T-SHIRT-YA.COMの鬼太郎Tシャツ!!
沖縄と深大寺の繋がりに、ちょっと感動しました。
因みに鬼太郎Tシャツ、持っていま〜す。
時計を見ると16時半前。
そろそろ日没だし、寒くなって来たので帰ることに。
途中、大好きなスポットのひとつ、
太宰治が愛した三鷹駅の三鷹陸橋(跨線橋)へ立ち寄った。
陸橋に上り、下り方面を見ると、なんと富士山が!
たまらない光景だ。
反対側にはまん丸の月。
ほぼ同じ時間に撮ったのに、まるで日中のような写真が撮れた。
暫く佇み、帰宅。
そして、翌日は仕事始め。
会社の同僚たちと初詣。
昨年は芝大神宮へ参拝したが、
今年は出世の石段で有名な愛宕神社へ。
愛宕神社には、昨年2月に参拝している。
参考記事:「港区 午前の部」
普段、運動不足であろう同僚たちが、
急な段差でそれなりの段数がある出世の石段を上ったら、
きっとヒィハァ言うに違いないと思い、小生の独断で愛宕神社にした。
しかし、愛宕神社に着くと長蛇の列。
これでは、徐々に階段を上ることになり、ヒィハァ言わせられない。
まぁ、混雑は予測していたんだけどね。
階段をノロノロと上がり切ると、参道の左側にあるスペースに、
ディズニーランドのアトラクション待ちのような行列が。
まぁ、すんなり本殿に辿り着けないであろうことは、
予測していたんだけどね。
それでも想像以上の列だった。
並んでいるとSQUARE ENIXのオンラインゲーム「戦国IXA」のブースが出展していた。
「必勝祈願ブース」なるもので、
私立恵比寿中学のメンバーの直筆サイン入り特性巨大絵馬が展示されており、
その絵馬を撮影してSNSに投稿すると、エビ中の絵馬がもらえるようだ。
正直、由緒ある神社に似つかわしくないかなぁ〜。
そして、職業柄、ブース出展費は御幾ら万円?と思ったりして…。
同僚と正月休みの出来事を話しながら、
並ぶこと1時間少々で、ようやく本殿の前に辿り着いた。
ここで衝撃第1弾!
我々の前に並んでいた30、40代ぐらいのサラリーマンが、
賽銭箱の前に差し掛かり、財布からお金を取り出したのをたまたま見てしまった。
なんと福沢諭吉!
で、なんの躊躇もなく賽銭箱へ。
過去に野口英世投入は見たことがあったが、
福沢諭吉はお初でした。
因みに小生は、地元の武蔵野八幡宮の御賽銭が5円。
深大寺の御賽銭が10円。
愛宕神社に至っては、財布に小銭があまりなく50円。
個人的な重要度で言うと武蔵野八幡宮がトップなんだが、
意に反して、一番低額になってしまった。
続いて、その男性が手を合わせている時に気が付いた衝撃第2弾!
電子マネーで御賽銭!!!
「戦国IXA」のブースもげんなりだったけど、
これはそれ以上に萎える光景だった。
あまりに風情が無さ過ぎる。
調べたら、こちらのサイトがヒット。
昨年、1日限定で試験設置されたようだが、
常設になったのかな?
賛否両論あるようだが、先述の通り、個人的には否かな。
考えが古い人間なのかもしれないけど、
やはり守るべきしきたりというものがあると思う。
以上、2015年正月、初詣三連発でした。