2015年01月31日更新

辰巳起点散策5 PART1 八幡橋

前回の「虎ノ門 金刀比羅宮」に続きまして、2014年散策、未アップ第2弾。


2014年11月上旬に用事があり辰巳に行きました。


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2014年は何度辰巳に行ったことだろう・・・。


「辰巳起点散策 PART1 新木場」
「辰巳起点散策 PART2 於岩稲荷田宮神社」
「辰巳起点散策 PART3 鐵砲洲稲荷神社」


「辰巳起点散策2 PART1 富賀岡八幡宮」
「辰巳起点散策2 PART2 木材・合板博物館」
「辰巳起点散策2 PART3 辰巳桜橋」


「辰巳起点散策3 PART1 枝川」

「辰巳起点散策3 PART2 越中島貨物線廃線」
「辰巳起点散策3 PART3 荒川河口橋〜葛西臨海公園」


「辰巳起点散策4 夢の島公園」




毎回、用事の合間を縫って散策に繰り出している訳ですが、
さすがに行くところが段々となくなってきた。


今回も空き時間があり、思案した結果、
門前仲町駅の近くにある富岡八幡宮と深川不動尊が思い浮かんだ。


辰巳からの距離を調べたら3.7キロぐらい。


往復で7.4キロ。


プラス歩き回ることを考えると10キロ程度か。


次の辰巳の用事までに戻るのには少し遠いが、
深川まで走れば大丈夫そうな気がしたので、繰り出すことに。


予め持ってきたジャージに着替え、11時半に辰巳を出発。


かなりゆっくりの速度で走る。


が、しかし、身体が重い。


腹と胸に肉を感じる。
走る度にプルンプルンする。


ついでに腹もブルンブルンする。


辰巳からわずか1.2キロに位置する、
三ツ目通りの東雲東運河にかかる七枝橋地点でまさかの息切れ。


同年6月の「辰巳起点散策3 PART1〜3」で枝川に行った際は、
毎朝走っていたから、まるで大丈夫だった。


8月中旬まで走っていたが、
仕事が忙しくなり、走らなくなっていた。


それから3ヶ月間、それほど怠惰な生活を送ったつもりはないが、
むちゃくちゃ太った。


多分、40年の人生で最大級に肥えた。


中年になり、代謝が落ちるとたったの3ヶ月でこんなにも太るのか・・・。


その影響がモロに出て、塩浜2丁目の汐枝橋の時点で完全グロッキー。


汗をかくこともなく、この後は徒歩。


汐枝橋を越えてすぐ、「辰巳起点散策3 PART2」で確認した越中島貨物線の廃線跡をチェック。


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まだあって良かった。


「イトーヨーカドー」の手前の塩浜橋と並行して架かる水道管。


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何故か蔦の生え方とかに萌える。


こんなものに興味を示す人は、あまりいないということは自覚している。


この写真を撮影した時も、
「なに撮ってるの?」という視線を投げかける通行人が数名いた。


「イトーヨーカドー」を左手に見ながら、
三ツ目通りを直進し、永代通りに出た。


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永代通りを左折し、富岡八幡宮を目指すが、
ここで「東京の歴史名所を歩く地図」(ロム・インターナショナル編)に掲載されていて、
一度行ってみたいと思っていた橋の存在を不意に思い出した。


橋を目指して永代通りを西に進むと、
道路の反対側に「ぱっちぎ!」なるホルモン屋が。


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映画が先か、この店が先か?


どうせなら深川ではなく、枝川に出店して欲しかった。


「ぱっちぎ!」からすぐ、12時前から行列の出来ているラーメン屋があった。


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「博多 まるきんラーメン」


思いっきりチェーンじゃないか。


麻布十番にもあったので、
麻布十番勤務の時代には何度か行った。
※麻布十番店は閉店した模様。


2時には辰巳に戻らなくてはならない。
「昼飯どうしよう・・・」と思いながら、
「博多 まるきんラーメン」を通り過ぎ、すぐの橋を渡って3本目の道を右折。


すると古めかしいパブ&スナックがあった。


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営業しているのかどうかもわからない。


ネットで検索してみたけど、情報がほとんどない。


よくよく建物を見てみると電話番号が3桁。


643-5204


現在、東京23区内の市内局番は、4桁。
1991年に4桁化され、それ以前は3桁だったので、
「パブ&スナック REI」は、1991年以前に開業していたことになる。


数少ない「パブ&スナック REI」のネット情報では、
違う電話番号が記載されていた。


営業しているか電話をかける勇気はない。


そんな「パブ&スナック REI」から1本目の道を左に曲がると、
見るからにかつては川だったであろう八幡堀遊歩道が現れ、
その先に目的の橋、八幡橋があった。


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八幡堀遊歩道の上に橋が架かっているという、
少々変わった光景ではあるが、何の変哲もない橋である。


しかしながら、この橋は国指定重要文化財なのです。


明治11年(1878年)に旧東京市で最初に架けられた日本最古の国産鉄橋。


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橋の下の赤いビーニルの小屋は、野良猫の住まいとなっておりました。


長さたったの15.2m。
幅はアンドレ・ザ・ジャイアントの身長よりも短い2メートル。


元は京橋区(現在の中央区)の楓川に架けられていたもので、
当初は弾正橋(だんじょうばし)という名称だった。


楓川は昭和35年(1960年)に埋め立てられ、
その後に首都高速が建設されている。


古地図を調べてみたら京橋の東側に、
その橋名を確認できた。


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架設から35年後の大正2年(1913年)、
新しい弾正橋が建設されたため、元弾正橋と改称。


さらに関東大震災後に廃橋となり、
昭和4年(1929年)、現在の場所に移設され、
名称も富岡八幡宮に近いことから八幡橋と名を改められた。


橋の下の案内板には、「東京名所図会」に描かれた
明治34年(1901年)頃の弾正橋の絵が掲示されていた。


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左奥の橋が弾正橋。


八幡堀遊歩道を進むとまた橋が登場。


旧新田橋。


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大島川(現・大横川)に架かっていた橋で、
今の江東区木場5丁目から木場6丁目を結ぶ人道橋。


大正時代、岐阜県か上京し、
木場5丁目に病院を開業した新田清三郎さんが、
昭和7年に不慮の事故で亡くなった奥さんの慰霊のために架設した供養橋。


当初は新船橋という名称だったが、
「木場の赤ひげ先生」の異名を持ち、
地域の人たちから愛された新田医師の没後、
いつしか新田橋と呼ばれるようになったそうな。


映画の撮影にも使われているということで、
調べてみたら1952年製作の高峰秀子主演、成瀬巳喜男監督作『稲妻』だった。


元々あった場所を地図で調べてみたら、
現在も同じ場所に橋が架かっており、
2002年(2000年、2003年という記述もあった)に架け替えられたようだ。


「江東区内橋めぐり」


旧新田橋と八幡橋のツーショット


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八幡橋がやや遠い・・・


この2つの橋については、こちらのサイトに詳しい記述がありますので、
リンクを貼っておきます。


かなり短い八幡堀遊歩道の終点は、
首都高9号深川線が上に走る道路だが、
ここもかつて川だったんだろうな。


せっかくなので八幡橋を渡るため、ぐるりと回り込む。


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人だけじゃなくて、鳩も渡ります。


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前出の「東京の歴史名所を歩く地図」には、
“八幡橋の部材の交わる交点には、
 花びら16枚を持つ菊の紋章がある”と記述されおり、
撮影した写真を見てみたら、確かにあった。


kiku_Rr.jpg


16枚の花びらの菊の紋章=皇室の紋章。


そんな八幡橋を渡ると、
すぐに富岡八幡宮の裏手に出る。


以降、「辰巳起点散策5 PART2 富岡八幡宮」へと続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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