2015年になりましたが、
いくつか2014年の散策をまだ上げておりませんでした。
その第一弾。
10月下旬、虎ノ門にあるポニーキャニオンへ行く用事があった。
職場がある銀座からさほど離れていないけど、
あまり虎ノ門へ行く機会がなく、久々だ。
東京メトロ虎ノ門駅2番出口から地上に上がって、
神谷町方面に歩くといきなり「金刀比羅宮」という文字が目に入った。
寺院の名称を表す碑を社号碑という。知らなかった。
ここは虎ノ門。
近代的なビルが立ち並ぶオフィス街で、まさかの「金刀比羅宮」。
朝一のアポイントメントの時間まで、まだ少しあったので立ち寄ってみた。
桜田通りに面した鳥居。
ビルの柱がまるで連続鳥居の柱の様。
鳥居をくぐると右手に水盤。
奉納者を記した賽銭箱には平成16年とある。
この「金刀比羅宮」との複合施設である高層オフィス、
虎ノ門琴平タワーの竣工年が、平成16年なんで、
それに合わせて作られたのでしょう。
で、この「琴平」ですが、香川県仲多度郡(なかたどぐん)にある地名で、
まさに金刀比羅山があり、門前町として栄えた町。
琴平タワーは三井系のビルで、
当時、「金刀比羅宮」への配慮が垣間見られるリリースを出している。
開発時に寺院をぶっ潰すことをせず、
上手く共存しようとする姿勢は、素晴らしい。
そして、遺さざるおえないなぁと思うのがこの鳥居。
文政四年(1821年)に奉納された明神型鳥居。
明神型というのは、鳥居の横の柱(笠木)が反っているタイプの鳥居。
鳥居の柱には四方の守護神四神の彫刻が施されている。
東は青龍、西は白虎。
南は朱雀、北は玄武(亀&蛇)。
龍のいる鳥居は見かけるが、四神は初めて見た。
こちらが社殿。
当初の社殿は、戦災により焼失。
現在のものは、昭和26年(1951年)に再建された建物。
以下、公式サイトより。
総尾州檜造り、銅板葺きの権現造。
日本最初の建築史家、伊東忠太氏の設計校閲による建物で、
我が国古来の建築技法が随所に用いられています。
平成13年(2001年)に東京都選定歴史的建造物に指定されました。
尚、幣殿の奥に位置する本殿は昭和58年(1983年)に再建されました。
伊東忠太を調べてみたら、手掛けた建築物が半端なかった。
・明治神宮
・一橋大学兼松講堂
・大倉集古館(ホテルオークラの創立者・大倉喜八郎の私立美術館)
・靖国神社神門、石鳥居
・築地本願寺
・湯島聖堂
などなど、他にもたくさんの建築物を設計している。
と、ここまで書いて、伊東忠太に関する本を読んだことを思い出した。
「江戸・東京歴史ミステリーを歩く」(三津田信三編、PHP出版)
この本によると、伊東忠太は年少の頃より空想癖があり、
ノートに化け物や怪獣の絵を描き、
それが後に自身の設計した建築物に取り入れられたとのこと。
確かに築地本願寺には、一風変わった獅子がいる。
湯島聖堂の屋根にいる珍獣は、毎朝通勤時に御茶ノ水駅から見ている。
ということで、改めて虎ノ門の「金刀比羅宮」の社殿の写真を見てみたが、
残念ながら珍獣無し。
もしかして、伊東忠太だから鳥居は守護神四神?
なんて思ったけど、これも関係がないようだ。
それにしても、なんとも不思議な光景だった。
都会に溶け込んでいるように見るけど、
上の写真をよくよく眺めてみると、シュールな気もする。
先日、テレビで同じ様に近代ビルと共存する神社を紹介していた。
九段下にある「築土神社」。
九段下ならば、行動範囲内。
今度行ってみようと思う。
この後、ポニキャンで打ち合わせ。
その際、大学時代の友人が、ポニキャンに勤めており、
約20年ぶりに再会を果たした。
1ヶ月後、その友人を含めた仲間と飲んだ。
この御縁も「金刀比羅宮」のお蔭?