「東京ソラマチ〜浅草寺 PART1」からの続き。
東京ソラマチを出て、浅草寺へ。
大した距離ではないので、歩いて行こうかと思ったが、
とうきょうスカイツリー駅に、
なにやら白と赤のかっこいい電車が停まっていた。
乗ってみたい!
ということで、とうきょうスカイツリー駅から浅草駅へ行くことに。
東武スカイツリーラインという路線のようなんで調べてみたら、
2012年に東武伊勢崎線の浅草駅〜東武動物公園駅間と、
押上駅〜曳舟駅間に、「東武スカイツリーライン」という愛称がつけられたみたい。
で、浅草行きを待つこと数分、
やって来た電車は・・・
白と赤のかっこいい電車ではなく、普通の電車だった・・・。
普通の電車こと東武伊勢崎線の先頭車両に乗り込み、
運転席の車窓から景色を眺めていると、
丁度、隅田川橋梁で対抗車両が登場。
先程とうきょうスカイツリー駅で見た、白と赤の電車とも違う、
と思っていたら、同じく運転席の車窓を食い入るように見ていた少年が、
興奮気味に「スペーシアだ!」と言った。
鉄ちゃんではないワレも、スペーシアという名は聞いたことがあるぞ。
日光・鬼怒川へ行く電車だ。
浅草駅が近く、また橋の先が急カーブだからか、
徐行運転をするため隅田川橋梁から、良い写真が撮れる。
隅田川、吾妻橋、うんこビル。
とうきょうスカイツリー駅から浅草駅までの所用時間は数分だったけど、
スペーシアや素敵な風景を見ることができた。
乗って良かった。
浅草駅には、先ほど見かけた白と赤の電車が停車中だった。
東京と栃木・群馬方面をつなぐ“りょうもう”という特急列車でした。
スペーシアは東武100系、もうりょうが東武200系・250系という車両名らしい。
200系と250系は見た目は同じだが、主要機器の仕様が異なるそうな。
東武伊勢崎線浅草駅。
昭和6年(1931年)5月25日開業。
東京で初の駅とデパートが併設したターミナル。
当初は浅草雷門駅という名称だったが、
昭和20年(1945年)10月1日に浅草駅に改称している。
昭和20年といえば、日本が終戦を迎えた年。
8月15日が終戦記念日だから、そのわずか1ヶ月半後に名を変えている。
1945年3月10日の東京大空襲で、浅草一体も焼け野原になったはず。
ちょっと気になって調べてみたら、
伊勢崎線沿線も被災しており、壊滅的な被害が出た中、
浅草駅は、内部は焼けたが、建物自体は倒壊せず残ったそうな。
東京大空襲から10月1日の間の運行状況は分からなかったけど、
運休せずに走っていたのだろうか?
なお、東武伊勢崎線浅草駅は、
昭和49年(1974年)に外観をアルミ製のカバーで覆う改修工事が実施され、
長らくその状態が続いたが、2012年にカバーが外されリニューアル。
昭和6年(1931年)の建設当時の姿に戻っている。
浅草駅から雷門通りを通って、浅草寺の雷門へ。
流石は都内でも指折りの観光スポットなだけあって、
たいへんな賑わいだった。
推古天皇36年(628年)に、漁師の兄弟が、
隅田川で漁をしていたところ、一体の観音像が網にかかった。
兄弟の主人である土師中知(はじのなかとも)は、
その像が、聖観世音菩薩であることを知り出家し、
自宅を改めて寺とした。
これが浅草寺の縁起。
雷門は、天慶5年(942年)に創建され、何度か消失しており、
現在の門は、慶応元年(1865年)の火事で炎上し、
明治7年(1874年)に補作されたものを、
昭和35年(1960年)に松下幸之助の寄進によって完全に再建された。
大提灯も松下幸之助寄贈。
因みに雷門は、浅草寺の山門ではなく“総門”。
雷門をくぐり仲見世通りに入ると、
これまた凄まじい人出。
己のペースで歩くのはもちろんのこと、
真っ直ぐ歩くことも出来ない。
仲見世通りにある模擬刀の店。
7年前、一緒に光武蔵人監督と浅草に来た際に、
光武監督は、この店で『サムライ・アベンジャー/復讐剣 盲狼』の小道具として、
模擬刀を購入していた。
仲見世通りを抜けると宝蔵門。
天慶5年(942年)建立。
何度も火災で燃えている。
徳川家光により、慶安2年(1649年)に再建。
昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で焼失。
昭和39年(1964年)にホテルニューオータニの創始者、
大谷米太郎の寄進で復興再建された。
宝蔵門は単なる山門ではなく、
名前の通り収蔵の役目も担っている。
雷門といい、宝蔵門といい、
浅草寺は日本の名立たる実業家に支えられてきたんですな。
本堂も徳川家光が建立したが、
やはり東京大空襲で焼け落ちた。
現在の本堂は、昭和33年(1958年)に建てられたもの。
木造に見えるが、鉄筋コンクリート造。
浅草寺の本尊は、先述の聖観世音菩薩。
絶対の秘仏で写真すらないという。
秘仏本尊の前に安置して、代わりに拝む御前立(おまえだち)本尊は、
年に一度、12月13日の午後2時に御開帳される。
柳家喬太郎が復活させた落語の「擬宝珠」に登場する五重塔。
「擬宝珠」の若旦那が舐めたがった擬宝珠を頂きに配したこの五重塔も、
家光によって建てられ、戦時中に宝蔵門、本堂と同じ末路を辿った。
再建は、昭和48年(1973年)。
浅草寺の歴史は古いが、建物自体は割かし新し目のものが多い。
東京大空襲さえなければなぁ・・・。
香炉の前では、煙を体にかける人多数。
悪いところに煙をかけると良くなるというので、
頭にたっぷりとかけておきました。
浅草寺にはこの他にも、都内最古の木造建造物とされる六角堂など、
まだまだ見所はたくさんあるんだが、昼のうどん屋以降、座っていない。
人出も多く撤収を決める。
仲見世通りの西側にある側道で、せんべい購入。
人形焼も・・・と思ったが、東京ソラマチのサザエさん茶屋で、
波平さん焼もんじゃ味 モチ・マヨネーズ入りを食べたことを思い出す。
ということで、人形焼はお土産にした。
なんと8個入り2袋で500円!
後日、電子レンジで少し温めてから食べました。
銀座線に乗る前に、夕暮れ時の東京スカイツリーも見ておきたく、
隅田川沿いへ。
東京スカイツリーと東武伊勢崎線隅田川橋梁。
隅田川橋梁の開業は、浅草駅と同じ昭和6年(1931年)5月だが、
前年の昭和5年(1930年)に完成。
常磐線に続いて、隅田川に2番目に架かった鉄道橋梁だ。
車窓からの景観を損ねないよう、柵を低くする工夫が施されている。
この橋も東京大空襲で被災しているが、
YouTubeに上がっていたNHKの「カラーでよみがえる東京」を見たら、
浅草駅同様、崩壊は免れていた。
(それでも酷い被害だったことでしょう…)
さて、そろそろ帰る時間。
東京メトロ銀座線の浅草駅のホームから撮った一枚。
銀座線は、昭和2年(1927年)12月に上野〜浅草間が開業。
日本初どころか東洋で初じめての地下鉄。
地下の構造物の大半は、当時のものが使用されている。
もちろん補強は施されているんだろうけど、
それでも90年弱の間、天井を支えている鉄骨群。
凄いなぁ。
思いの外、鉄道ネタが多くなりましたが、
以上が、「ソラマチ東京〜浅草寺」の散策記。
飛鳥時代を起源とする浅草寺。
今を象徴する東京スカイツリー。
そして、戦火の爪痕と復興。
伝統的な文化を大切にしながらも、進化していく。
そんな日本人の底力を感じました。