1月下旬の良く晴れた日曜日の午後、
ぽっかりと数時間予定が空いたので、
自転車で近場の散策へ出ることにした。
何処へ行くか少し迷った結果、
車でその前を何度も通ったことがあるが、
一度も足を踏み入れたことのない
練馬区の石神井公園(しゃくじいこうえん)へ行くことにした。
吉祥寺から5キロぐらいなので、
自転車だったら数十分で着くはず。
途中、都道444号下石神井大泉線の起点に位置する
上井草駅と上石神井駅の間に踏切がある。
そこそこ開かずの踏切なうえ、
千川通りも交差するのも手伝って、慢性的な渋滞発生ポイント。
この日も西武新宿線が上下線で通過。
さらには特急レッドアロー号が立ち往生。
何も踏切のど真ん中で停まらんでも…。
近隣の人たちは大変ですね。
待つこと数分でようやく通過。
都道444号線を北上して程なく、石神井公園に到着。
石神井公園は都道444号線がちょうど真ん中を横断しており、
左右に分かれている。
自転車を駐輪スペースに置いて、
まずは右側の公園へ行ってみることに。
比較的穏やかな気候ということもあってか、
ボチボチな人出。
公園に入ってすぐ、右側に「石神井公園ふるさと文化館」に隣接する
池淵史跡公園を発見したので、行ってみることに。
で、その公園の駐輪場で撮った一枚。
ギャグか?
さて、池淵史跡公園は、昭和47〜48年(1972〜1973年)に
旧石器時代の石器、縄文・弥生時代の竪穴住居跡などが発見された
練馬区登録史跡「池淵遺跡」を埋め戻して保存、整備した公園。
公園に足を踏み入れると左側にある旧家に目が行く。
石神井公園から東南方向に2キロほど離れた中村三丁目にあった
茅葺住宅(旧内田家住宅)を2010年に移築復元した建物で、
明治20年代初めの建築と推定されている。
建物の内部も見学可能だが、今回はパスして公園の奥へ。
園内には道標、庚申塔といった石造物が配置されている。
「従是石神井弁財天」道標。
元禄16年(1703年)の庚申塔。
赤穂浪士による吉良屋敷に討ち入り事件があった頃だ。
今から約5000年前の縄文時代の竪穴住居跡。
丸く地面を掘り下げ、そこに数本の丸太を立て、
円錐状の屋根を草で葺いた簡素なつくりの住まいとのこと。
天保12年(1841年)の庚申塔。
水野忠邦が、農業の重視を基本とした天保の改革を開始した年だ。
享和3年(1803年)の馬頭観音と享保5年(1720年)の庚申塔。
第11代将軍徳川家斉(いえなり)の時代だ。
馬頭観音は、観音菩薩の変化身のひとつだが、
このような観音菩薩の石碑は、
移動や荷物運びの手段だった馬の死に対する供養塔。
これら以外にも馬頭観音、力石などが、置かれていた。
続いて、「石神井公園ふるさと文化館」を訪問し、
2階にある常時展示ルームへ。
かなりの数の土器が展示されており、
この地域が旧石器時代から栄えていたことがわかる。
武蔵野市も御殿山や吉祥寺南町から
旧石器時代の石器が発掘されているが、
なんとなく物量的には負けているような気がする…。
土器の対面には、
鎌倉時代、第9代執権北条貞時の時代の板碑(写真、一番右)や、
室町時代、第9代将軍足利義尚(よしひさ)の頃の板碑(写真、一番左)が、
展示されていた。
文字が読めない写真ですみません…
板碑は、石造の供養塔で、鎌倉時代に始まり、
南北朝・室町時代に最も盛んとなり、
江戸初期には姿を消している。
元々、中世の古文書がほとんど残されていないうえ、
江戸時代の後期には、板碑の収集が流行し、
元にあった場所が不明なものも多数あるようだが、
練馬区では、石神井川流域で多く出土している。
板碑のお隣には、尾張殿鷹場碑。
尾張といえば、徳川家。
江戸時代、鷹狩の際の猟区を定めるためのもの。
「ふるさと文化館」から都道444号線を挟んだ反対側にある三宝寺(さんぽうじ)には、
三代将軍家光が、鷹狩の際に休憩したという記録が残っている。
武蔵野、三鷹もそうだが、この辺りは江戸から近く、
絶好の鷹場だったのでしょう。
そして、練馬といえばこれ!
大根。
※展示の大根はニセモノです。
とはいえ、あまり練馬産の大根を食べたことないかも。
と思って練馬区の公式サイトを調べてみたら、昭和30年頃から栽培が衰退し、
練馬大根が出回ることがほとんどなくなってしまいましたそうな。
どおりで、口にしたことがないわけだ。
もうひとつ、練馬といえばこれ!
アニメーション。
1956年、東映アニメーションが、練馬区大泉にスタジオを設立し、
日本最初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』など、
多くのアニメを制作してきた。
上の写真は、東映アニメーションで、
日本アニメ初期から使用されたアニメーション撮影台。
「西遊記」(1960年)、『さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-』(1981年)などが、
この撮影台で撮影された。
この他、昭和の頃の部屋を再現したコーナーがあり、
これがかなり沁みた。
この部屋は、小生がガキの頃よりも少し前の時代のようだが、
似たような机を使っていたし、定番の地球儀も持っていた。
自宅の電話は、ダイヤル式の黒電話だったし、
テレビはダイヤル式のブラウン管。
人形が飾ってあるガラスケースもあったなぁ。
そして、桐のタンス。
これも未だ現役で使っています。
物心ついた頃にはすでにあったし、
その時点で古ぼけていたので、相当、年季が入っているはず。
この他、戦争にまつわる展示物も。
練馬区に落下した爆弾の破片。
練馬区自体は、昭和19年(1944)に成増(高松)飛行場が建設されているが、
それほど空襲の被害に遭っていない。
お隣の武蔵野市の中島飛行機製作所や、
杉並区の中島飛行機荻窪工場は、空襲の対象になったので、
飛来中に落ちたものだろうか?
爆弾の破片の上には、一際目を引く防毒マスクと木銃。
防毒マスクは、なんとも生々しい。
木銃は、学校や在郷軍人会で銃剣術の基礎訓練に使用したものだが、
こんなもので、五大国列強(米・英・仏・露・中)に勝てるわけがない…。
因みに、ちょうどウリ・ジョン・ロート率いるエレクトリック・サンの
Enola Gay(Heroshima Today?)を聴きながら、
この文章を書いています。
常設展示コーナーの入口には、
地元の中学1年生の生徒さんによる、旧内田家住宅の研究成果が貼られていた。
「なるほど、なるほど、よくまとまっているではないか」と、
感心しながら読んでいたんだが、
<調べた方法>が“インターネット ウィキィペディア”。
時代は変わった。
インターネットの情報なんて…と訝る向きもあるかもしれないが、
書籍に書かれた内容が、全て正しいわけじゃない。
手軽に知識を得られるのは良いことだとも思う。
図書館に行って本を調べたり、本屋で関連本を探して買うのにも限界はある。
さて、「石神井公園ふるさと文化館」の常設展示コーナーですが、
他にも沢山の展示物があり、練馬の歴史を学ぶにはうってつけのスポットですね。
そんな常設展示コーナーを出ると、
正面に「特別展 富士山‐江戸・東京と練馬の富士‐」のポスター。
入場料を300円取られるが、富士塚好きとしては見ないわけにはいかない。
特別展は撮影禁止なので、詳しくは記せませんが、
展名通り、江戸と練馬の人々と富士山との関係を紹介しており、
江戸時代の人たちが、いかに富士山と関わり、
尊んでいたかを窺い知ることができます。
一方で、江戸時代の宝暦4年(1707年)に発生した宝永大噴火による惨状にも触れており、
もしも今の時代に富士山が噴火したら…と思うと、恐ろしくなりました。
富士山と練馬では、主に富士塚と富士講に関する資料が多かった。
練馬の富士塚と富士講については、
同じフロアにある企画展示室で、パネルが掲示されていた。
企画展示室では、練馬区民の手によるアート作品も展示されており、
中にはこんなものも…。
「石神井公園ふるさと文化館」の1階には、また別の展示コーナーがあり、
子供たちが楽しそうに見学していたし、食堂もある。
企画展、ワークショップも充実しているし、
なんと石神井公園の西側に分室まである。
すげぇ。
今年の1月に武蔵野市の「武蔵野ふるさと歴史館」へ行ったが、
比べると完敗…。
※【参考記事】「2015年初詣 武蔵野八幡宮+深大寺+愛宕神社」
武蔵野市、もう少し頑張らないといかんのでは?
超充実施設で羨ましい限りの「石神井公園ふるさと文化館」を出て、
いよいよ石神井公園へ。
公園のほぼ中央を横断している都道444号線の東側、
石神井池を一周してみることにした。
池を左手に見ながら、石畳の遊歩道を歩き始める。
日曜日の午後故に、ボート遊びに興じる人多数。
井の頭公園と違って、カップルがボートに乗っても別れない?
池に沿って走るランナー、犬を連れている人も多く見かけた。
石神井公園は、1959年に開園した公園だが、
この石神井池は、それ以前の1933年に人工的にせき止められたもの。
1周約1.6キロなので、井の頭公園の池とほぼ同じ外周だ。
横に細長い池の右辺からの一枚。
全体的に視界が開けていて、なかなか気持ちが良い。
池の中央からやや左側には中の島があり、
橋が架かっているので、渡ることが出来る。
中の島にはベンチが設置されており、
もう少し暖かくなったら、
ボケェ〜と池を眺めるのも、良いかもしれない。
池の北側には、豪邸が建ち並んでいた。
西武池袋線石神井公園駅から徒歩5分圏内で、目の前が公園。
いいじゃないですかぁ。
石神井池を一周した後、今度は西側の三宝寺池へ。
石神井池が比較的開けていたのとは対照的に、
三宝寺池側は鬱蒼としている。
写真は、三宝寺池の手前にあるひょうたん池の脇。
ひょうたん池を越えると、三宝寺池。
三宝寺池は、井の頭公園の池、善福寺公園の池と並ぶ、
武蔵野三大湧水池。
しかし、井の頭池、善福寺池と同様、
水量は減少し、今は地下水を汲み上げている。
三宝寺池に沿って整備されている遊歩道を進む。
一番、奥から撮った厳島神社。
厳島神社の創建年代は不詳だが、
江戸時代には既にあったという史料が残っている。
現在の社殿は昭和58年に建てられたもの。
橋を渡り、右手に進むと浮見堂があり、
そこからの一枚。
写真だとわかり難いが、木々が生えているのは浮島で、
三宝寺池沼沢植物群落として、国の天然記念物に指定されている。
ミツガシワ、シャクジイタヌキモなどが、
保存されているそうなのですが、
植物に疎いので、よくわかりません。
厳島神社の正面には、宇賀神社 穴弁天。
中を覗いてみたものの、
左右はブロック塀、正面には扉のようなものがあるだけで、
特に何もない。
由緒書きがないので、訪問時は「???」だったのですが、
調べたら洞窟になっていて、
奥には池霊の弁財天像が安置されているとのこと。
毎年4月の上旬の日曜日に開催される春の例大祭では、
一般の人たちにも開放され、中には行ってお参りが出来るらしい。
その様子がYouTubeに上がっていた。
穴フェチとしては、一度入ってみたいなぁ〜。
池に沿って歩くと程なく、最初の橋に戻ってくる。
その橋の右手にあるのが、石神井城址の碑。
石神井城は、中世武士・豊島氏の鎌倉時代後期の城。
石神井城址の碑の右側にある城壁のようなものがあるけど、
案内板には何も記述がないので、
きっと石神井城のものではないのでしょう。
その案内板の最後に、
「落城によって照姫が水中に身を投げた」という伝説が記載されていた。
この伝説によって、石神井公園は心霊スポット扱いされることがある。
三宝寺池に女の霊が、浮かび上がるというのだ。
今から500年も前の伝説のせいで、心霊スポットになってしまうとは…
それだったらリアルにバラバラ殺人の現場となった井の頭公園の方が、
よっぽど心霊スポットだ。
とはいえ、石神井公園は住宅街にあるし、
特に三宝寺池側は、鬱蒼としているので、夜の訪問はちょっと怖いかも。
石神井城址の碑の脇の階段を上がると、
土塁と空堀の跡があるんだが、言われないとただの小山です。
公園に氷川神社が隣接していたので、立ち寄ってみた。
応永年間(1394〜1428年)に、豊島氏が創建した神社。
狛犬がなかなか良い感じ。
近くには三宝寺もあり、立ち寄りたかったが、
そろそろ帰らねばならない時間となり断念。
石神井城の東側の土塁を左手に見ながら、
都道444号下石神井大泉線に出るべく歩いていると、
ステキなものが。
超芸術トマソンだ。
この後、石神井公園の駐輪場に戻り、
行きとは違うルートで吉祥寺へ。
上石神井駅の踏切を渡り、
千川通りの立野橋交差点で、庚申塔と供養塔を発見。
左の庚申塔は、宝永元年(1704年)のもので、
よくある青面金剛(しょうめんこんごう)立像と三匹の猿が彫られている。
右の供養塔は、天保13年(1842年)のもので、
出羽三山(湯殿山、月山、羽黒山)と四国・西国・
坂東・秩父八十八ヶ所観音の文字が刻まれているそうなんだが、
なんの供養なのだろうか?
以上が、石神井公園の散策だったのですが、
純粋に石神井公園は、良い公園だと思いました。
緑があり、池があり、視界が開けているところもある。
「石神井公園ふるさと文化館」に、天然記念物に、
神社に、城址まである。
さらには心霊スポットという一面もある。
「石神井公園ふるさと文化館」には分室もあるようだし、
三宝寺にも行ってみたい。
自転車で行ける距離なので、
また機会を伺って、再訪しよう。