ちょっと前の午後、仕事で西新橋へ行った際に、
うな丼が500円という店を発見。
高級化が加速するうなぎが、驚きの500円。
店名は、宇奈とと。
そういえば、久しくうなぎ食ってないなぁ〜。
最後に食べたのは、もしかしたら1年半前の浜名湖?
この日は既にお昼ご飯を食べっていたので、
入店しなかったけど、うなぎが無性に食べたくなった。
うなぎモード、我慢できない!
ということで、翌日のランチ。
奮発して、うなぎ2枚のせ。
たまには良いでしょう。
これで1,000円。
安い。
そりゃ、値段が値段なんで、
数千円もするうなぎ重にはかなわないけど、
この金額でこの味ならアリアリでしょう。
しかし、こんだけ安いってことは…
やっぱり中国産だった。
まぁ、そりゃそうですよね。
さて、宇奈ととから会社に帰る途中、
近代的な高層ビルが立ち並ぶ汐留にある国の史跡へ。
平成15年(2003年)に再建された旧新橋停車場。
明治5年(1872年)10月14日に、新橋-横浜間を結ぶ鉄道が開業。
新橋駅は、日本初の鉄道ターミナルで、
日本の鉄道の歴史は、ここから始まったと言われている。
駅舎はアメリカン人のブリンジェスの設計による、
当時としては珍しい西洋風の建物。
大正3年(1914年)に東京駅が新設され、
旅客ターミナルの機能が移り、
それまでの烏森駅が現在の新橋駅の名称を引き継ぎ、
新橋駅は、貨物専用駅として汐留駅と改称した。
駅舎は大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で焼失。
昭和9年(1934年)には残っていたプラットホームなどが、
汐留駅改良工事のため解体された。
建替えられた汐留駅は貨物駅として、
昭和61年(1986年)11月1日に廃止されるまで活躍した。
意外だったのが、東京大空襲の被害に遭っていないこと。
廃止の1986年まで修繕を繰り返していたのでしょう。
で、1986年廃止…。
1987年の5月か6月にミッキー・ローク主演の『エンゼル・ハート』を
汐留にあるヤクルトホール(1972年完成)で見ているが、
汐留駅の印象はないなぁ…。
その後、汐留駅は解体され、
平成3年(1991年)から再開発に伴い発掘調査が行われ、
明治時代の駅施設の遺構が発掘された。
平成7年(1995年)11月1日に開業した新橋‐有明間を走るゆりかもめ。
当時付き合っていた彼女とデートで行ったのがお台場で、
ゆりかもめに乗車したが、汐留駅はまだ開業しておらず、
周りも開発途中で、ゆりかもめの車中から発掘作業が見えた。
今から20年も前のことだけど、
なぜだかその光景は鮮明に脳裏に焼き付いている。
1年後の平成8年(1996年)に、
駅舎とプラットホームの一部の遺構が国の史跡に認定。
そして、先述の通り、8年後の平成15年(2003年)、旧新橋駅は再建された。
遺構の一部は、保存のため埋め戻されているんだけど、
一部、史料的に展示されている。
これは駅舎玄関の遺構で、
正面玄関の階段の最下段として使用されていた切石。
現在の駅舎は、東日本鉄道文化財団・鉄道歴史室となっており、
この日も特別展が催されていたんだけど、
時間がなく、スルーした。
いつか時間のある時に、行ってみたいと思う。
駅舎の裏に回るとプラットホームがある。
旧新橋駅のプラットホームの全長は151.5m、幅9.1m。
そのうちの25m分が再現されている。
プラットホームの構造は、まんま現場の解説板を転載。
プラットホームは「盛土式石積」。
両側面の真下には、溝状に地面を掘って基礎石を敷詰め、
その上に切石を石垣のように積んで土留め壁が作られ、
内側には土が詰められました。
プラットホームの横には、
切石の遺構が見えるように施されている。
この基礎石には、
旧新橋駅開業の前年に廃藩置県によって解体となった
龍野藩脇坂家や仙台藩伊達家の屋敷の礎石などが使われている。
今でいう再利用。
展示されている切石は、どの藩の屋敷の礎石だったのだろうか?
プラットホームの横には、創業時の線路が敷設されている。
解説板によると、
創業当時、枕木やレールの台座(チェアー)は、
小石や砂の混じった土を被せられ、レールの頭だけを出していた。
そのレールの断面は、双頭レールと呼ばれる上下対照のI字型で、
この復元木戸の半分は小石を被せて、
創業時に近い状態を再現しているそうな。
再現のレールは、明治時代に北海道で開業した官設鉄道で使われた後、
新潟県柏崎市の製油所で使用されたもの。
上の写真だとわかり難いが、
レールの奥には、0哩標識(ゼロマイルヒョウシキ)が見える。
明治3年(1870年)3月25日に測量の起点となる第一杭が打ち込まれた場所。
昭和40年(1965年)「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として、
国の指定史跡に認定されている。
以上、旧新橋停車場。
再現された駅舎の開業は2003年。
旧新橋停車場の隣には、スペースFS汐留というホールがあり、
映画の仕事をしていた頃は、このホールに頻繁に来ていた。
旧新橋停車場の真横も何度も通ったんだが、
その存在に気付くことはなかった。
興味がなかったのでしょう。
それが今ではこの有様。
人間の興味というものは、年と共に変化するんですな。
そんなことを改めて思い起こさせるプチ散策でした。