2015年05月12日更新

小塚原回向院〜石浜神社〜北千住

2015年3月7日(土)、もはや恒例の辰巳で用事があったのですが、
数時間ポッカリと空き時間が発生したため遠征。


新木場駅から京葉線に乗り八丁堀駅へ。
八丁堀駅から日比谷線に乗り換え南千住駅へ。


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生まれて初めて下りた南千住駅の壁面は、
何の汚れかわかりませんが、若干ばっちい。


そんな南千住駅で下車した理由は、
都道464号言問橋南千住線を挟んだ駅の反対側にある。


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品川の鈴ヶ森、八王子の大和田ともに江戸の三大刑場といわれた
小塚原(こづかはら)刑場の刑死者を供養するため、
寛文7年(1667年)に創建され小塚原回向院。


元々は、参拝者が運をあやかるため墓石を削る義賊・鼠小僧次郎吉の墓や、
千体地蔵尊で有名な両国にある回向院の別院だったが、現在は独立している。


大和田刑場跡は史跡が何も残っていないので未訪問だが、
史跡として残っている鈴ヶ森刑場や小伝馬町牢屋敷跡などには行った訳でして、
小塚原回向院にも一度、来てみたかったのであります。


※参考記事
「小伝馬町」
「小伝馬町牢屋敷のその後 Part1 市谷」
「小伝馬町牢屋敷のその後 Part2 中野」
「江戸の刑罰史めぐり」


寺院の入口には、吉展地蔵尊。


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訪問時は何のお地蔵さんなのかわからなかったのですが、
後で調べたら1963年3月に起きた誘拐事件「吉展ちゃん事件」で殺害された
村越吉展ちゃん(当時4歳)を供養するために建立された地蔵尊だった。


この「吉展ちゃん事件」は、日本初の報道協定が結ばれた事件であり、
報道協定解除後、テレビなどのメディアを通して、
一般に情報提供が求められた初めての事件でもある。


日本の犯罪史に残る誘拐事件なので、
興味のある方は調べてみてください。


さて、この回向院の建立のきっかけとなった小塚原刑場ですが、
1800坪の敷地面積を持つ刑場で、
火罪、磔、獄門(晒し首)などの刑罰が執り行われた。


また、明和8年(1771年)には、蘭学者の杉田玄白、中川淳庵、
前野良沢(りょうたく)が、刑死者の解剖に立ち会い、
後に「ターヘナルアナトミア」を翻訳し、「解体新書」を出版している。


さらに境内には、井伊直弼の安政の大獄により、
伝馬町牢屋敷だ斬首された幕末の思想家、頼三樹三郎、橋本左内や吉田松陰の墓がある。


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吉田松陰の墓


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橋本左内の墓


3人とも伝馬町で処刑された後、回向院に埋葬されたのですが、
橋本左内と吉田松陰は、文久3年(1863年)に縁者によって
それぞれ菩提寺である福井の善慶寺、世田谷区若林に改葬されている。


吉田松陰の墓所には、明治15年(1882年)に松陰神社が建てられた。


頼三樹三郎も、京都の長楽寺と松陰神社に墓がある。


※参考記事
「世田谷 2013 PART1 松陰神社」


さらにさらに、
両国の回向院にも墓がある大名屋敷専門の窃盗犯・鼠小僧次郎吉や、
歌舞伎の『天保六花撰』に登場する小悪党・片岡直次郎の墓がある。


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鼠小僧次郎吉の墓


2人ともここ小塚原で処刑されている。


因みに、ここ南千住の鼠小僧次郎吉の墓所は、
義賊に恩義を受けた人々が建てた墓だと言われている。


この他、強盗殺人の罪で打ち首となった最後の女性死刑囚といわれている
高橋お伝の墓もある。
(明治12年市ヶ谷監獄で執行)


檀家のお墓と史跡としてのお墓は区分されており、
後者の敷地面積は相当狭い。


にも関わらず、これだけ著名な人たちの墓がある寺はなかなかないのでは?


さて、小塚原処刑場と検索すると、首切地蔵の画像がヒットする。


しかし、この回向院には首切地蔵はない。


明治29年(1896年)に鉄道の線路敷設により回向院が分離され、
主に小塚原の刑場跡地があった側が、延命寺として独立。


回向院から常磐線とつくばエクスプレスの線路を越えると延命寺で、
そこに首切地蔵がある。


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寛保元年(1741年)に20個の花岡石を組み合わせて建立。


小塚原処刑場は、慶安4年(1651年)に創設。
供養のため首切地蔵が、この地に鎮座したのが110年後。


その間、一体何人死刑に処せらたのだろうか?


この首切地蔵は、関東大震災にも耐え、
空襲の被害も免れていたが、
2011年3月11日の東日本大震災で左腕が落下、
胴体部分も大きなズレが生じてしまった。


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まだ完全に修繕は終わっていないらしい。


江戸時代の刑罰・刑場に興味を抱いて数年。
ようやく回向院と首切地蔵を見学することができて良かった。


本日の小塚原刑場跡へ訪問するという目標は、達成したわけですが、
まだ時間があるし、せっかく南千住まで来たのだから、
他に何かないかと検索してみると、
少し離れた隅田川沿いの石浜神社に富士塚があるようなで、
行ってみることに。


延命寺を出て歩道橋を渡ると、
下にはJR東日本の貨物路線が走っていた。


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1966年(昭和41年)〜1978年(昭和53年)の間に量産された
DE10形ディーゼル機関車。


「辰巳起点散策6 PART1 東陽町」でも登場した。


技術が未熟なので、上手く撮れないが、
この歩道橋からの光景は、結構壮観でして、
鉄ちゃんの撮影ポイントらしく、カメラを構える人たちがチラホラ。


でもって、この歩道橋、揺れます。


歩道橋を渡ると明治通りに。


交差点名を見ると泪橋。


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泪橋といえば、「あしたのジョー」だ。
「あしたのジョー」では、泪橋の下に「丹下拳闘クラブ」がある。


現在は暗渠になっているが、
かつてこの辺りを石神井川の支流である思川が流れていた。


泪橋はその思川に架かっていた橋で、
受刑者たちが小塚原刑場へ向かう際に渡った。


受刑者にとって、親族やこの世との別れの場ということで、
泪橋と言われるようになったという。


「あしたのジョー」の時代設定は1969年〜1973年頃で、
この頃には既に思川は暗渠になっており、史実と異なっている。


とはいえ、ここは「あしたのジョー」の舞台。
所謂“ドヤ街”というやつですが、
この交差点を見る限りでは、あまり“ドヤ街”臭はない。


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「あしたのジョー」が大好きで、
小生にその素晴らしさを教えてくれた悪友Iに、
泪橋に来た旨を伝えるべく、交差点の写真をLINEで送った後、
明治通りを東の方へ進む。


東京都心にも関わらず、歩いている人がほとんどいない。


数分で隅田川に架かる白鬚橋へ。


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ここを左折してすぐに石浜神社があるのですが、
神社よりもまず巨大なガスタンクが目を引く。


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このガスタンクは「あしたのジョー」にも登場している。


因みにガスタンクが丸い形をしているのには、理由があります。


興味がある方は調べてみては?


で、タンクを正面に回れ右すると石浜神社。


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ここいら辺からかなり天候が悪くなり、
風も強く寒さも厳しくなってきた。


そのせいか、石浜神社の境内は人っ子一人おらず、
ひっそりとしていた。


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神亀元年(724年)に鎮座というから相当古い神社だ。


文治5年(1189年)、源頼朝が奥州征討の際に立ち寄り祈願。
勝利を得たことから、社殿を寄進している。


それにしても、
源頼朝が奥州征討の時に勝利を祈願したという神社、多いなぁ…。


本堂向かって右側に、お目当ての富士塚。


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宝暦8年(1758年)建立。
白髭富士というらしい。


登るタイプのものではないが、そこそこ大きい。


この他にも境内には、多くの神社や石碑があるのですが、
このサイトが詳しいので、そちらに譲ります。


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狛犬とガスタンク。


時計を見ると12時。
雨降りそうだし、寒いし、お腹空いたし、
14時半には辰巳に戻らなくてはいけない。


ということで、北千住駅へ向かう。
北千住駅はビッグステーションなので、なんか飯処あるでしょう。


石浜神社の目の前にある隅田川の土手に上がり、
テクテクと歩いていると、
途中の橋の上にJR貨物のコンテナを積んだトラックが停まっていた。


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先程の貨物列車が運んでいたコンテナは、
こうやってトラックで輸送されているんですね。


なんてことを思いながら、
北上しているとタワーが出現。


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汐入タワー。


アーティストの川俣正によるアートプロジェクトの建設物で、
2011年3月20日(震災直後だ)に竣工し、2016年まで設置。


ってことは、来年にはこのタワーはなくなってしまうのか?


せっかくなので、登りました。


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隅田川、スカイツリー、ガスタンク。


汐入タワーを降りた辺りから遂に雨が降り出し、傘投入。


雨の日の散策は、最悪だ。


千住汐入大橋を渡り、墨田区へ。


千住曙町の交差点を左折し、京成本線の京成関屋駅を横切り、
東武スカイツリー線の踏切を渡る。


あと少しで北千住駅だ。
昭和の風情が色濃く残る商店街がなかなか良い。


その商店街の終わり辺りに、
「牛骨らぁ麺マタドール」というラーメン屋があり、
店の前に行列が出来ていた。


ラーメン大将史上初4部門同時受賞という触れ込み。


あまりこの地に来る機会もなく少しそそられたが、
行列が苦手なのでスルー。


「牛骨らぁ麺マタドール」を過ぎるとすぐに、
再び東武スカイツリー線の踏切。


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踏切を渡ってから撮った一枚


踏切には、踏切保安係員が就いていた。


この日の1週間ほど前に、
東京スカイツリー線の竹ノ塚駅近くの踏切で、
東武伊勢崎線と軽自動車の接触事故があったことを思い出す。


この踏切のお隣には、常磐線、つくばエクスプレスの踏切が併設されていたが、
こちらは2011年10月1日に障害物検知装置が設置され、
無人監視の踏切となっていた。


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そして、踏切を渡り、右側に入り込むと夜だったら…という路地。


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やっている店もいくつかあったが、
やっぱり来るなら夜という感じ。
(しかも2軒目)


路地を抜けると北千住駅西口。


駅から国道4号線まで続く商店街で、昼飯の店を物色。


すると反対側に「名代 宇奈とと」があった。
うなぎも良いなぁーと思ったが、「宇奈とと」だったら新橋で食える。
※参考記事「旧新橋停車場」


そのまま歩き続け、散々迷いに迷った結果、
「究極の塩だし そば助」にした。


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決めては、そばが食いたかったのと、
どうやら完全禁煙のようだったから。


夜はまぁ、百歩譲るとして、ランチ時にタバコは勘弁して欲しい。


ということで、入店し、元祖・豚そば(つけそば)をオーダー。


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まぁ、美味しかったのですが、
“究極の塩だし”を感じることが出来なかったのもまた事実。


量も少ないなぁーと思いながら、ズルズルとそばを啜っていたら、
目の前に“「ちょい飯」ください。”という貼紙があったので、
思わず頼んじまった。


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流石にタブル炭水化物で、腹はパンパン。


近くに史跡・千住宿本陣跡があるようなので、
iPhoneを片手に探してみたら…。


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大名が参勤交代などを行う際に宿泊する場所を、
拠点という意味で本陣と呼んでいたそうなのですが、
現在、本陣は百均ショップとなっていました。


時代の波とは恐ろしいものです。


この後、辰巳へ戻るべく北千住駅から日比谷線に乗車。


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車中、LINEをチェックすると泪橋の写真に対して、
悪友Iから反応があり、そこにあるサイトのURLが記載されていた。


そのURLをクリックしてリンク先のサイトへアクセス。


なんと泪橋の近くに、矢吹ジョーが、力石が死んだ時に泣き崩れ、
紀ちゃんとデートしてトマトサンドウィッチを食べ、
カーロスとはしゃいだあの玉姫公園が、実在していたと知る。


さらにこの日撮影した写真を見ていたら、
延命寺と涙橋の間の歩道橋から撮った貨物列車の写真に対して、
既視感を覚えた。


どこかで見たことがある…。


自宅に帰り、もしやと思いながら、
「図説 街場の鉄道遺産 東京23区編」という本の
“隅田川駅”を紹介しているページに、
ほぼ同じ構図の写真が掲載されていた。


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かつての隅田川駅には、
隅田川から引き込まれた運河に設けられた船渠(せんきょ:ドッグ)があり、
その遺構が隅田川の土手を歩いている際に見かけた
JR貨物を積んだトラックの停まっていた橋の傍にあるではないかっ!


さらにさらに!
この本には今はなき東武千住線の千住貨物駅を偲ぶ、
土に埋まったレールも紹介しており、
それがなんと北千住駅に向かう際に通った京成関屋駅の近く。


「図説 街場の鉄道遺産 東京23区編」では、
48個の鉄道遺跡が掲載されていて、
そのうちの半数以上を肉眼で見ている。


見られるものは見ておきたい。


しかも滅多に行く機会のない場所となれば、
尚更見ておきたい。


にも関わらず…。


念願だった小塚原刑場跡を巡ることが出来て良かったが、
「あしたのジョー」の舞台となった公園と鉄道遺構を取りこぼしてしまい、
とても悔いの残る散策となってしまった。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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