今朝、出勤前に朝飯を摂りながら毎日新聞の朝刊に目を通していたところ、
25面に掲載されていたある記事の写真に目が行った。
その写真には、こけが生えた鐘が写し出されてた。
「この鐘どこかで見たことがあるぞ…」
見出しは、
「戦火語らぬ『生き証人』」
「供出釣り鐘の代用品 コンクリ魂今も鎮座」
記事を読んでみると、
この鐘は、杉並区荻窪2の中道寺の境内に置かれた
鐘の形をしたコンクリートの塊だった。
「荻窪の中道寺…もしかして?」と思い、
過去の【散策記】の記事を確認してみたら、
やはり2014年3月21日(金)に訪問していた。
※「杉並区PART3 成宗弁財天社〜中道寺」
上記の記事に掲載したのが、こちらの写真。
“苔ティッシュ”な梵鐘で、
以前、鐘楼門に吊るされ、時を刻んだ鐘では?と推測している。
しかし、今日の毎日新聞の記事には、
その予想とは全く異なる驚くべき事実が記されていた。
日中戦争から太平洋戦争にかけて戦局の悪化と物資の不足により、
金属類回収令が出され、多くの寺の梵鐘が対象となった。
過去の【散策記】でも、
回収された後、数奇な経歴を持つ新宿の正受院の梵鐘や、
逆に強制没収を免れた世田谷の豪徳寺の梵鐘に触れている。
※「新宿PART3 正受院&成覚寺」
※「世田谷 2013 PART2 豪徳寺」
正受院の梵鐘
金属類回収令は、1941年、1943年、1945年の3階に渡り公布、改正されており、
毎日新聞の記事によると、中道寺の梵鐘は一番最初の1941年に対象となり没収されている。
安永二年(1773年)建立の鐘楼門と、ほぼ同時期に鋳造された歴史ある梵鐘なのに…。
そして、件のコンクリートの釣鐘は、供出後すぐに吊るされた。
当然、コンクリートなので、突いても鳴らないわけですが、
重りがないと鐘楼門の屋根が強風で吹き飛んでしまう恐れがあり、
このコンクリ製の偽梵鐘を吊るしたという。
戦後、没収された多くの鐘が、溶解もされないまま倉庫に保管されていたが、
中道寺の梵鐘は発見できなかった。
仕方なく中道寺の住職は、新たな鐘を手に入れ、
コンクリ偽梵鐘をその傍らに置いた。
以来、70年間安置された。
まさか苔まみれの梵鐘が、このような歴史背景を持っていたとはつゆ知らず、
毎日新聞の記事を読んで驚かされた。
中道寺には、コンクリ梵鐘に関する説明板などない。
記事を書い佐藤浩氏は、
どうやって中道寺のコンクリ梵鐘のことを知ったのだろうか?
新聞記者の凄さを感じた。
自分も単に行ってきました的な散策記じゃないものを、
いずれは書いてみたいな。
毎日新聞の記事はネットでも読めます。
<コンクリート釣り鐘>境内に戦争の生き証人 東京・杉並