2015年07月02日更新

所沢 有楽町&所沢航空記念公園

このところ【散策記】を書く気力が全くなく、滞り気味で更新頻度ガタ落ち。


流石にそろそろ…といことで、今更ながらGWの出来事なんぞを綴ることに。


5月4日(月)のみどりの日、仕事で所沢航空記念公園へ行かなくてはならなかった。


地元・吉祥寺から所沢航空記念公園までの距離を調べたら17キロだった。


自転車で行けない距離ではない。


昨年6月、吉祥寺から同じく約17キロの多摩湖に自転車で行った経験もある。
しかも西武新宿線の小平駅までは、同じ道のり。


そして、どうせ所沢に行くならば、
何か散策スポットはないかと調べてみたところ、
「東京Deep案内」が、所沢には有楽町(うらまち)という遊郭跡があると伝えていた。


所沢は江戸時代から宿場町であり、
明治時代には日本初の飛行場・陸軍所沢飛行場が開港し、
商人や旅人、軍人たちの慰安のために花街が形成された。


当初は、浦町だったが、楽しみが有る街ということで有楽町となった。
(読み方は、「うらまち」ではなく「ゆうらくちょう」とのこと)


「東京Deep案内」では、当時の栄華を偲ぶ建物がいくつか残っているとレポートしている。


しかし、「東京Deep案内」の記事は2010年のもので5年も前だし、
有楽町界隈は、再開発が進んでいるようだ。


有楽町の今を確認したい、出来れば遊郭跡を肌で感じたい。


所沢航空公園駅へ行くことを考えると徒歩だと厳しいが、
自転車だったら少し早く行って見て回れる。


ということで、天候さえよければ自転車で行こうと決めた。


そして、当日。
晴れたので、相変わらずのボロママチャリで出動。


IMGP4110_Rr.JPG


途中までは高校時代の通学路。
BGMは通学時に聴きまくり、多摩湖に行く際も聴いたモトリー・クルーの「Dr.Feelgood」!


因みに6月1日より道路交通法が改正され、
ヘッドフォンで音楽を聴きながらの自転車走行は、安全運転義務違反となってしまう。


3年以内に2回以上「危険行為」が摘発された違反者は、
自転車運転者講習を受けなくてはならず、
3ヵ月以内に講習を受講しないと、5万円以下の罰金が課せられる。


講習も有料で、なんと5,700円!


皆さん気を付けましょう。


個人的にはチャリを運転しながらの煙草も罰して欲しい。
歩き煙草以上に煙が広範囲に及び、迷惑このうえない。


モトリー・クルーを聴きながら、快調にママチャリを飛ばし、
20分ほどで多摩自転車道へ。


IMGP4111_Rr.JPG


ここから小平駅まで、約5.5キロをひたすら自転車道を走る。


20分後、小平駅に到着。


IMGP4112_Rr.JPG


ここから所沢までは、初の道程になるので、iPhoneのマップを確認しつつ進む。


まずは小平霊園を突っ切って新青梅街道へ出ようと思ったものの、
出口が良くわからず、霊園内を彷徨うことに…。


IMGP4114_Rr.JPG


そこそこ時間をロスし、なんとか新青梅街道へ。


その後は、名称不明の道や国道4号線を通りながら所沢駅へ。


IMGP4118_Rr.JPG
面倒だったので駅の近くまで行かなかったが、奥の建物が駅舎


やはり西武の街だけあって、駅舎の近くには西武所沢店や西友がある。


所沢に来たのは、高校1年生の時以来。
西武所沢店8Fシネセゾン所沢で開催された「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」の試写会。


なんでシネセゾン所沢なんて辺鄙なところで、
この大作の試写会が行われたのかは覚えていないが、
「BTTF PART2」の終わり方に憤慨したことは、よく覚えている。


それにしても高校生の時は、本当に映画が好きだったんだなぁって。
今だったらいくら無料の試写会でも、所沢くんだりまで出張らないよな。


そんな記憶が蘇るシネセゾン所沢ですが、2003年5月に閉館。


そして、今回、所沢に来てみて意外だったのが、ダイエーの存在。


IMGP4119_Rr.JPG


西武の街にダイエー?


調べてみたら、ダイエーが所沢に出店する際に、
西武グループから猛反発を食らっており、それは“所沢戦争”と称されていた。


現在、ダイエーはイオングループの傘下なわけですが、
今もダイエーという名称で営業している店舗が結構ある。


ダイエーの少し先に、かつての遊郭街・有楽町があるのですが、
その手前に昭和レトロな趣の“盃横丁”なるスナック街があった。


IMGP4120_Rr.JPG


銀座通りに面した盃横丁の入口の左側にある「炭火やき鶏 むさしや」の上には、
『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』の看板が。


この手の手書き看板といえば、
北海道の夕張や東京都青梅市の青梅宿映画看板街道が有名だが、
所沢には7枚の手描き看板がある。


夕張はゆうばり国際ファンタスティック映画祭の開催地、
青梅は街全体が昭和レトロを謳っている。


故に古い映画の看板があっても、納得できるんだが、
所沢は…?


なんとなくムリクリなバッタモン臭さを感じる訳ですが、
驚いたことに、これらの看板を手掛けたのは、
最後の映画看板師と呼ばれる久保板観氏であった。


青梅在住で、青梅宿映画看板街道も久保板観作。


本物だった…。


で、昭和臭を漂わす盃横丁に潜入。


IMGP4121_Rr.JPG


写真には写っていないが、「Lounge ACB」という店があり、
その店の前に樽が吊るされている写真がネットにあがっていたんだけど、
今は撤去されてしまったようだ。


昼間…というか午前中なんで、全ての店が営業していない。


この横丁の魅力は夜にならないとわからないんだろうな。


キチンとした公式サイトもある。


盃横丁をL字型に抜け、いよいよ有楽町へ。


まずはバラック発見。


IMGP4122_Rr.JPG


背後に見えるのはフォーラスタワー所沢。


真新しく見えるが築年月は2000年10月。
意外と古い。


バラックが現役なのかは不明。


海老屋横丁と呼ばれる小路の角にも、
昭和を思わせる建物が。


IMGP4129_Rr.JPG


この建物は若干ではあるが、生活臭がある。


先のバラックもそうだったんだけど、
家屋の外にはプロパンガスが設置されていた。


ガス通ってないの!?


建物をよく見ると“やきとり”の文字が読める。


IMGP4130_Rr.JPG


そして、このバラックを左折して銀座通りの方に行けば、
三好亭という妓楼があるはず。


三好亭は、有楽町が遊郭であったことを示す象徴的な建物として、
有楽町について綴られたサイトでは、必ず紹介されていた。


是非、遊郭の名残をこの目で見てみたいと思い、
左折して進むも、三好亭を発見することなく銀座通りに出てしまった。


銀座通りには「海老屋横丁」の道標。


IMGP4126_Rr.JPG


間違いない。
この通り沿いに三好亭があるはずなのだが…。


もしかして、再開発の波に飲み込まれたか!?


ここで「東京Deep案内」を再確認。


三浦橋を渡った右手にあるようだ。


そういえば、小さな橋を渡った。


三浦橋まで戻ると三好亭があった場所には、
真新しい戸建てが…。


IMGP4128_Rr.JPG


ガビィィーン!!!


三好亭は解体されていた…。


2階建ての妓楼建築物で、所沢に唯一残っていた三好亭。
この地が花街であったことの証であり歴史的にも貴重な建物だったのに…。


さらに「東京Deep案内」には、
銀座通りと三浦橋の間の右側に、バラック群が立ち並ぶ写真が掲載されており、
近い将来、バラック群が取り壊されてタワーマンションになると予測している。


的中です。


IMGP4127_Rr.JPG


バラック群全滅。


空家は社会問題化しているし、
311以降、倒壊の恐れのある建物の解体が進んでいる。


不要な建物を取り壊して、新たな建物を建築するのは自然の流れ。
それは分かっているんだけど…なんかねぇ…。


街それぞれの表情がなくなっちゃうような気がしてならない。


仕事の時間までまだ少しあるので、有楽町をもう少し散策。


「海老屋横丁」から2本先の道を右折すると、右側に所沢旧市役所庁舎。


IMGP4125_Rr.JPG


年季入っています。


現在は公益財団法人 所沢市公共施設管理公社が入っている。


旧市役所庁舎からすぐの道を右折し、
しばらく行くと薬王寺。


IMGP4131_Rr.JPG


新田義貞の三男、義宗が開基したと言われる曹洞宗の寺。


義宗は足利尊氏に敗れ、この地で再起を伺っていたが、機を逸し出家。
薬王寺は終焉の地で、お墓もあると伝えられている。


それゆえ境内には、明治10年に義宗の子孫が建てた「新田義宗終焉之地」の碑がある。


IMGP4132_Rr.JPG


多摩湖に行った際にたまたま訪問した金乗院(山口観音)は、
新田義貞と縁のある寺だった。


「多摩自転車道 PART4」


新田義貞は、鎌倉幕府を滅亡させたので、
あまり好きではないのだが、なぜか思いがけず縁の地に訪れる…。


そんな薬王寺の山門の反対側から撮った写真。


IMGP4134_Rr.JPG


フォーラスタワー所沢。


はっきり言って、高層ビルが嫌いです。


空が見えない!


そして、薬王寺の近くには、豪邸がありその門は寺の如き。


IMGP4137_Rr.JPG


きっと古くからこの地に根差す旧家なのでしょう。


そろそろ所沢航空公園へ行く時間となり、
有楽町を離れることに。


有楽町には今もほんの少しだけバラックが残っていたけど、
きっと近い将来、全て解体されてしまうような気がする。


そして、薬王寺から数分で、航空記念公園駅へ。


駅前には、YS-11A-500R中型飛行機が展示されていた。


IMGP4141_Rr.JPG


飛行機の知識は皆無に等しく、
ジャンボ機とセスナ機とプロペラ機と戦闘機の違いぐらいしか分からん。


IMGP4140_Rr.JPG


駅前のファミマで、買い物をした後、
所沢航空記念公園内にある野外ステージでお仕事。


4時間以上立ちっ放しの末、15時15分にようやく昼の休憩。


屋台で残り2つとなった冷え冷えのナンチャラバーガーを購入。
野外ステージを出て近くにあったベンチに座り、2分で胃袋に流し込む。


そのまま座って、疲れを癒せばいいものを、
貧乏性でついつい公園内を歩き回ってしまった。


実は所沢航空記念公園に訪れたのは初めてではない。
確か、高校1年生の時だったと思うんだが、学校の社会科見学で来ている。


なにぶん25年以上前のことなので、うろ覚えなんだが、
多くの飛行機が野外に並んで静態していた記憶がある。


しかし、公園内野外には1機しかなかった。


IMG_7042_Rr.JPG


アメリカ製で台湾空軍が破棄予定だったものを航空自衛隊が購入したC-46A


傍には所沢航空発祥記念館があり、多くの飛行機が展示されている。


調べたら開館は1993年。


わたくし、平成元年(1989年)の時に高校1年生。


所沢航空発祥記念館が出来る前は、
飛行機が野外展示されていたのかも?


しかしながら、それはとんだ記憶違いで、
ウィキペディアに1989年の航空写真がUPされており、
それを見ると当時からC-46Aしか公園内には展示されていなかった。


飛行機群が野外に展示されている光景の記憶は、
一体どこで植え付けられたのだろうか…。


C-46Aの傍らには、「航空発祥の地」の石碑。


IMG_7045_Rr.JPG


有楽町のところで少し触れましたが、
この所沢航空記念公園は、日本初の飛行場である所沢陸軍飛行場の跡地。


明治44年(1911年)4月5日に所沢陸軍飛行場で、
徳川好敏大尉がフランス製複葉機アンリ・ファルマン機に乗り、
高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒の試験飛行を行なった。


これが日本初の飛行場でのフライト。
故に航空発祥の地。


一方で、日本初の航空事故犠牲者を出したのも所沢陸軍飛行場。


今の明治神宮外苑にあった陸軍青山練兵場から所沢陸軍飛行場へ向けて飛び立った、
木村鈴四郎と徳田金一の乗る飛行機が、突風で翼をもぎ取られ、
300m上空から飛行場近辺で墜落。


2名は即死。


今の日本の航空業界は、このような犠牲者の基に成り立っているんだなぁ。


木村、徳田両名が着陸予定だった滑走路は、現在こんな感じ。


IMG_7038_Rr.JPG


名残を感じます。


滑走路左側には格納庫、奥の木が立っている所には気象観測所があった。


近くには合成写真が展示されており、
かつての様子が窺い知れる。


IMG_7041_Rr.JPG


短い休憩後、野外ステージに戻りまた3時間ほど立ち仕事をこなし、
帰路に付くためチャリのサドルに跨る。


往路とほぼ同じ道で、小平駅までやって来たんだが、
とにかく風が強くて、途中、ペダルを漕いでも漕いでも前進しないことも…。


で、この小平駅の踏切が全然開かない。


IMG_7047_Rr.JPG


西武新宿線は、一部区間の地下化立体化が計画されているようだが、
小平駅は範囲外。


近隣住民は大変ですなぁ。


そして、大変といえば、この踏切を渡った後の多摩自転車道。


終始向かい風。


所沢まで自転車で行き、数時間立ち仕事をしてきた身に、
この強烈な向かい風は、残酷過ぎるってなぐらいしんどかった…。


流石にヘロヘロになりながら、吉祥寺に帰還。


この後、吉祥寺に佐藤アサトを呼び出し、
二軒梯子酒+やってはいけない〆のメンラー。


本日の消費カロリー以上のカロリーを摂取しました。


恐らく、所沢にまた行く機会はあまりないはず。


帰りは風がきつかったけど、
自転車で行ったのは、良い思い出となりました。


それにしても、世の中、再開発だらけだ。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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