8月某日、福岡にやってきました。
41年と半分ぐらい生きてきて、初めて九州に上陸です。
福岡といえば、豚骨らーめん。
築50年の福岡ポートタワー。
東京タワーに登ったことがない。
東京スカイツリーへ行っても東京ソラマチ止まり。
あまりタワーには惹かれないようだ。
HKT48 THEATER。
前田敦子、大島優子、篠田麻里子、板野友美がいなくなり、
AKB48関連のメンバーをフルネームで5人言えないかも…。
ヤフオク!ドーム。
この日は試合がありませんでした。
それにしても2015年のソフトバンクは強かった。
対面にあるZepp福岡。
九州最大のライブハウスだけど、
2016年5月8日に閉鎖が決まっている。
そのお隣のHARD ROCK CAFE FUKUOKA。
IMAGINE DRAGONSというバンドのポスターが貼られていたが、
わし、このバンド知らん…。
調べたらラスベガス出身のバンドだった。
最後に入店したHARD ROCK CAFEは、卒業旅行で行ったラスベガスだったかな。
博多の夜といえば、中洲。
日本を代表する夜の繁華街。
といった感じで、福岡には代表的なランドマークや街がありますが、
他に何か私の琴線に触れるものはないものか?
ということで、福岡市内に繰り出すべく、
iPhoneのマップを開いたところ、
結構な敷地面積を誇る聖福寺という寺を発見。
今いるところからさほど遠くないので、行ってみることに。
東京の比じゃないほど、うるさく鳴り響く蝉の声を浴びながら、
なんとなく適当に歩いてくると、西門に到着。
【散策の部屋】を読んでくれている方ならご存知かもしれませんが、
何故か正門から寺院に入ることがあまりない。
どうやら今回も同様のようだ…。
しかも聖福寺ではなく、西光寺だった。
山門には一朝軒という表札が掲げられており、
一朝軒を調べてみたら普化宗・虚無僧寺の名称だった。
虚無僧(こむそう)とは、頭に「天蓋(てんがい)」と呼ばれる深編笠を被り、
尺八を吹いて、お金を寄付してもらいながら行脚修行をする有髪の僧のこと。
明治4年に維新政府が、普化宗を禁止したため、
一朝軒を含む全国の虚無僧寺は廃滅。
しかし、一朝軒の尺八吹奏は継承され続け、
現在はここ臨済宗の西光寺が、その歴史を守っている。
西光寺のすぐ傍には、拝観をしていない幻住庵。
鎌倉南北朝時代の僧・無隠元晦(むいんげんかい)が、
延元元年(1336年)に開山。
以前は別の場所にあったが、兵火で焼失。
正保3年(1646年)に博多の豪商が、今の場所に再建。
これから向かう予定の聖福寺の名僧として知られ、
天保8年(1837年)に亡くなった仙厓義梵が、
文化8年(1811年)に幻住庵内の虚白院に隠居したと言われている。
幻住庵と聖福寺の壁の間の小路。
何故かこういう光景に心が癒される。
後で知ったが、この小路は、
市民の推薦により、魅力や誇りを感じる自然や歴史、
街並みなどの身近で快適な空間を守り育てる
“福岡アメニティ百選”に選出されていた。
心休まる道を進むと幻住庵の東側に更地が見えてくる。
真ん中にある樹林に、なんか物凄く違和感を覚えた。
木下に石碑のようのものが見えるが、
カメラをズームしてみると、ただの岩だった。
でもこの土地活用はなにかあるに違いない…。
右折し、小道を進むと左手に順心寺があり、
そこの石庭が美しい。
家の庭もこんな感じにしたいけど、
砂利って高いんだよなぁ…。
順心寺のはす向かいが、お目当ての聖福寺なのですが、
やはり参道からではなく、本堂向かって右側から入ることに。
で、最初に現れるのが庫裡(くり)。
人の台所、住職やその家族の住む場所。
聖福寺の庫裡は、拝観謝絶。
まぁ、プライベートな空間なわけだから当たり前か。
庫裡のお隣に位置する本堂(方丈)も拝観不可。
聖福寺は、鎌倉時代の建久6年(1195年)に、
源頼朝の支持・援助を受け、明庵栄西によって創建された
日本で最初の禅宗寺院なだけあって厳格なのかな?
本堂や庫裡の一画の手前にある仏殿は、参拝可能。
結構巨大でカメラに収まらず。
聖福寺は何度も被災し焼けているが、その都度復興しており、
この仏殿は天正17年(1589年)に再建され、改築を繰り返し現在に至っている。
仏殿の中を覗くと、圧巻の光景。
向かって左から弥陀(みだ)、釈迦、弥勒(みろく)の三世仏。
弥陀は阿弥陀(あみだ)のことで、
極楽浄土にいて全ての命あるものを救済するとされる仏。
因みにあみだくじの語源。
あみだくじは室町時代からあり、
当時は中央から放射状に線が引かれており、
それが弥陀の後光に似ていることからこの名が付いた。
釈迦は言わずもがな仏教の開祖、仏陀のこと。
弥勒は、現在の仏である釈迦がいなくなった跡を継ぐ未来の仏様。
釈迦入滅後56億7千万年後に降臨し、世を救うとされている。
天井を見ると家紋や会社のロゴが。
50万円以上寄進すると刻んでもらえるとのこと。
改めて立派な建物だなぁ~と眺めていたら、
仏殿の正面に建つ卒塔婆の一種の回向柱(えこうばしら)という柱と仏殿が、
糸で結ばれていることに気が付いた。
回向柱の案内板によると、この糸は善の綱で、
弥陀、釈迦、弥勒の右手に金糸を結び、善の綱を経て回向柱に繋がっているらしい。
再度、仏殿の中を見てみると、確かに結ばれていた。
回向柱に触れることは、
弥陀、釈迦、弥勒に触れるのと同じ御利益があるという。
勿論、触れました。
仏殿の屋根の鬼瓦。
鬼瓦の歴史を辿ると、
2015年6月にIS(イスラム国)によって破壊されたシリアのパルミラ遺跡に至る。
パルミラ遺跡は、ローマ帝国支配時に建てられた都市の遺跡。
パルミラ遺跡にギリシャ神話の海の精メドゥーサが、魔除けとして彫られており、
その風習がシルクロードを伝って中国に入り、奈良時代に日本にも伝来した。
鬼瓦が、ローマ文化の影響を受けているとは、知らなかった。
回向柱の近くに木が植えてあり、案内板を読んでみると、
日本茶発祥の「茶の木」とのこと。
日本茶は今から約825年前の1191年に、
臨済宗の開祖である栄西が中国の南宋から持ち帰り、
佐賀県脊振村にある霊仙寺(りょうせんじ)内石上坊の庭で、
栽培したのが始まりとされ、その後、聖福寺で栽培されている。
この茶の木は、茶の振興を祈願して石上坊跡に自生する
栄西ゆかりの茶の木を移植したもの。
こちらは山門。
慶応2年(1866年)に焼失し、明治44年(1911年)に再建。
写真だと判り難いが、楼上に「扶桑最初禅窟」の号が掲げらている。
扶桑は、日本の異称。
つまり日本で最初の禅寺である事を意する号で、
後鳥羽上皇から賜わったもの。
無染池という名の池に架かる橋から見た山門は美しい。
後で知ったことだが、聖福寺には源頼朝の位牌も安置されているそう。
地図で見たら大きそうな寺という理由だけで来てみたけど、、
まさか福岡で頼朝縁の寺とは思わなかった。
鎌倉時代からの古刹なだけあって、博多の町割りの基軸線が、
聖福寺伽藍の中心線の延長線である旨が書かれた電信柱が門前にあった。
誰もいないくて、威厳を感じる寺を後にし、
前から気になっていた「東長寺」へと向かう。
以降、「福岡 PART2 東長寺」へと続く。