「【掘り起し企画】仙台 2012 PART1」からの続き。
仙台2日目の朝。
部屋から外を見てみると雪景色。
寒そうだ。
バイキングの朝食をしこたま胃の腑に収め、
もう一度、最後の温泉に入った後、ホテルの送迎バスで仙台駅へ。
この日は特に決まった予定はなく、どうしたものかと思っていたところ、
親戚のクミちゃんが、1日乗車券620円で、
仙台市内の観光スポットが観光できる“るーぷる仙台”という循環バスを教えてくれた。
仙台は生涯の中で、鎌倉に次いで多く訪れた地なんだけど、
市内観光をしたことがなかった。
ということで、利用してみることに。
とはいえ、17時前の新幹線に乗らなくてはならないので、
全部を見て回ることは出来ない。
伊達政宗の遺命によって造営された霊廟・瑞鳳殿などを
泣く泣くすっ飛ばして、まずは青葉城こと仙台城跡へ。
バス停で降りて天守台へと向かう途中にあった、
宮城縣護國神社(みやぎけんごこくじんじゃ)。
明治37年(1904年)創建なんで、割かし新し目の神社だ。
日清戦争、日露戦争の戦没者の英霊を祀っている。
仙台藩の象徴である仙台城址にある神社にも関わらず、
戊辰戦争で敗戦し、賊軍となった仙台藩士たちを一人も祀っていない。
天守台には、超有名な伊達政宗公騎馬像。
仙台のランドマーク的存在のこちらの像は、2代目。
初代は、彫刻家の小室達(とおる)が、1935年(昭和10年)に建立。
戦時下の物資不足による金属類回収令の対象となり、
1944年(昭和19年)1月に供出されてしまう。
そして、市民たちからの強い要望があり、
1964年(昭和39年)に保存されていた石膏の鋳型を用いて復元された。
そんな伊達政宗公騎馬像から少し離れたところにバリケードで覆われた塔が。
なんか違和感を覚えたんだが、
それもそのはず、てっぺんにあった17.5トンのトビ(トンビ)の銅像が、
3.11の揺れで倒壊してしまったのだ。
塔の手前のブルーシートに覆われているのが、トビの銅像。
足元からポッキリと折れており、その揺れの激しさを物語っている。
この塔は昭忠塔といい、明治時代、
日本の内外の戦いで戦死した東北各地の将兵の御霊を鎮めるために、
明治35年(1902年)に建立されたもの。
在りし日のトビは、塔の頂上から遠く大陸を睨んでいたそうだが、
この仙台城跡は、仙台市内を一望できる。
下の写真は、北西の方向を撮った一枚。
遠くにうすぼんやりと巨大観音像が見える。
大観密寺の通称・仙台大観音。
日本で2番目に大きいらしい。
この手の巨大像系といえば、真言宗なんだが、
調べたらやはり真言宗だった。
続いて、るーぷる仙台を利用して行ったのが、
「東北大学総合学術博物館」。
ここは大当たりだった。
館内に入ってすぐに、マンモスの牙と骨、
ステゴザウルスの全身骨格標本。
上にはイワシクジラが、宙を漂っておりました。
インパクト大。
インパクト大といえば、巨大なアンモナイトの化石。
こんなに大きなアンモナイトの化石、
なかなかお目にかかれない。
この博物館では、20億年前からの生命の進化をたどる化石や、
地球をかたちづくる岩石・鉱石などが、詳しい解説付きで展示されている。
化石や恐竜の骨なんかは、まぁ、前からロマンを感じてはいたけど、
余り馴染みのなかった岩石や鉱石が、地球の変遷や生命誕生の証になっていたりと、
なかなか興味深く面白かった。
石や化石だけでなく、人間の骨もあった。
宮城県東松島市宮戸島にある日本最大級の貝塚、
浜里貝塚から1918年に出土した一体。
縄文時代の人骨が、こうも綺麗な形で残っているとは…。
縄文人が作った面白い土偶も展示。
イノシシ型土偶。
どうでも良いけど、私の姉はイノシシ年です。
猿型土偶。
どうでもいいけど、私の母はサル年です。
どちらの土偶も見たことがない。
見たことないどころか、聞いたことがないものも。
“冬虫夏草(とうちゅうかそう)”の標本。
“冬虫夏草”とは、昆虫の体に生える菌類「虫草菌」の子実体(しじつたい)と
寄生された昆虫を合わせたものの総称。
子実体とは、キノコのことで、
上の標本のドクダミの根っこのような部分を指しているいるようだ。
漢方薬、薬膳料理や中華料理の素材として用いられることもあり、
高値で取引されているという。
これら以外にも面白い展示物が満載で、
時が経つのを忘れてしまいそう。
もう一ヶ所、るーぷる仙台のルート上にある施設に行きたかったので、
断腸の思いで博物館を後にした。
次に向かったのが、三居沢不動尊。
不動尊奥に、この時期になると凍る滝があると、
親戚のクミちゃんが言っていたので、見てみたかったのだ。
で、行ってみると見事に凍っていた。
晴れていたし、体感温度はそれほど寒くなかったんだけど、
この滝の近辺だけは、なぜかヒンヤリとしていた。
滝壺には不動明王が、鎮座しているらしいが、
氷の塊で認識できず。
そして、滝の周りにも見どころが。
夫婦杉。
夫婦のように仲良く並んで立っている杉よりも、
個人的に興味が引かれたのが、この枝。
まるで注連縄のよう。
どうやったらこんな形になるのだろうか?
氷結の滝、夫婦杉、注連縄と神秘的な不動尊のすぐお隣にあるのが、
「三居沢水力発電所」と「三居沢電気百年館」。
三居沢は日本の水力発電発祥の地。
明治21年(1888年)に日本で初めて水力発電で電灯の明かりを点したのが、
三居沢水力発電所と言われている。
その後技術を向上させ、明治43年(1910)年から運転を開始して以来、
現在も継続しているというから凄い。
三居沢電気百年館は、東北の電気誕生百周年を記念して建てられたもの。
こじんまりとしたスペースに、電気の歴史を学べる資料が展示されている他、
稼動中の発電所内部を見ることも出来る。
「三居沢電気百年館」の2階に上がり、
テラスに出ると現役の水圧鉄管と水路坑口の遺構が。
構造や仕組みは良くわからないけど、
レンガ造りの水路を使って発電が行われていた。
東京駅から新橋駅まで、JRの高架はレンガ造り。
現在、ガンガン耐震工事が行われているが、
なかなか風情がある。
やはりレンガ造りってのはロマンを感じる。
三居沢電気百年館の脇には、変電設備。
いつの頃からか変電所を見るとなぜかわからないが、
ワクワクするようになった。
仙台駅からわずか数キロ(直線距離で約3.5キロ)のところに、
神秘的な凍った滝と水力発電所があるとは、なかなかの驚きでした。
再びるーぷる仙台に乗車。
伊達家縁の大崎八幡宮や「宮城県美術館」などにも興味を引かれたが、
既に13時を過ぎており、腹が減ったということで仙台駅へ帰還。
仙台に来たら食べたいのが牛タン。
仙台駅構内にある「利久」へ。
「利久」には、ちょっと思い入れがある。
今から15年ぐらい前に付き合っていた彼女が、
地下鉄南北線の終点・泉中央に住んでいた。
こちらは東京在住だから遠距離恋愛なのですが、
ちょいちょい泉中央まで会いに行っていた。
泉中央駅から彼女の暮らしているマンションへ向かう途中に、
「利久 泉中央店」があった。
厚切りで、美味しくて安い!というので、彼女に連れて行ってもらったんだが、
おっしゃる通りで、肉厚牛タン、麦飯、トロロ、テールスープ一式で1000円を切る、
衝撃の美味さと安さだった。
「利久」は、今でこそ東京に進出しているが、
当時は仙台にしか店舗がなく、
以来、泉中央に行く度に、「利久 泉中央店」へと通った。
地元の吉祥寺にも平成22年(2010年)に出店しているが、
「利久」といえば仙台なので、吉祥寺店には行っていない。
久々に仙台で「利久」の牛タンを味わえたのは良かったが、
牛タン定食が、1550円はちょっと高過ぎやしないか?
15年前、泉中央店では1000円以下だったのに…。
さらにムカつくことがあった。
牛タンを食べた後、新幹線まで少し時間があったので、
仙台駅周辺をブラブラ散策していると、商店街に「利久」があり、
外に出ていた看板に書かれていた牛タン定食の値段を見てみたら、なんと1300円。
仙台駅から徒歩数分だぞ。
なのに全く同じ内容の定食が、250円もの価格差。
ただでさえ1550円は高いと思っていたのに…。
一瞬で「利久」が嫌いになった。
見なきゃよかったと思いながら、特に目的もなくアーケード街を歩いた後、
仙台駅に戻り、お土産を物色。
17時ちょい前出発の新幹線に乗車。
さらば、仙台。
復路の車中の楽しみは、往路の車中の楽しみと同じ。
それは駅弁!
特製元気みやぎ弁当。
宮城県の名物を詰め合わせた幕の内弁当。
少しでも復興の役に立てればと思い、
この弁当にしました。
ツマミでホヤも購入。
「利久」で牛タン食べてから3時間ちょっとしか経っていないのにも関わらず、
ガッツリ完食し、お腹一杯の状態で帰宅。
2012年の仙台旅行が、終わりを告げました。
以上が「掘り起し企画】仙台 2012」なのですが、
今から4年前のことなのに、結構覚えているもんだなぁ〜って。
震災の被害に関しては中途半端なことは言えないけど、
被害の差を感じた。
津波に襲われているのに、建物が残っていて、
生活が営まれている松島、塩釜。
対して、野ざらし状態だった閖上。
あの光景は一生忘れないだろう。