前週に引き続き、2016年2月初旬の平日、
私用があり半休を取ったところ、思いの外、用事が早く済んだ。
折角なんでどこかに行こう。
本当だったら思い切って、「逆向き列車」の如く、
地元の吉祥寺駅から空いている逆方向の高尾方面の電車に乗って、
東京都の西側を攻めたいが、半休には時間制限がある。
東側で何か良いところはないかと考えていると、
ほんの数日前の毎日新聞の月1コーナー、
「春風亭一之輔のぶらっと落語歩き」で、
「初天神」の舞台・亀戸天神社を紹介していたことを思い出した。
正月が終わった後、天満宮で行われる最初の縁日「初天神」に行く親子のやり取りを、
コミカルに描いた「初天神」は、前座からトリの真打まで演じる落語のド定番。
頭から途中のエピソードは伸縮自在で、長講にも短めにも出来て、
下げの部分がお団子、凧揚げなど様々なバージョンが存在する。
(個人的には下品なお団子バージョンの方が好き)
一之輔はお団子バージョン(二ツ目時代)
「春風亭一之輔のぶらっと落語歩き」によると、
「初天神」は元々上方(大阪)落語で、舞台は大阪天満宮。
しかし、東京版の舞台は特定されていないという。
なのになぜ亀戸天神社なのかはよくわからんが、
落語好きとしては、「初天神」の舞台へ行ってみたい。
ということで、最寄駅の錦糸町駅へ。
曇天で風も強くかなり寒い中、
錦糸公園、TOHOシネマズ錦糸町を眺めながら歩く。
因みに錦糸町の地名の由来は、はっきりわかっていない。
錦糸町駅から1キロほど歩くと、横十間川に架かる天神橋。
徳川四代目将軍家綱の時代、万治2年(1659年)に架橋。
かなり古い橋で、当時は亀戸橋という名称だった。
寛文2年(1662年)、(小生が昨年訪れてがっかりした)太宰府天満宮の神職が、
天神信仰を広めるため菅原道真公の像を祀ったのが亀戸天神社の始まりで、
それに伴いこの橋は天神橋と呼ばれるようになった。
その亀戸天神社は、天神橋から徒歩1分ぐらいなんだけど、
毎度のことでまた表参道ではなく横から境内に入ってしまった。
なんで一発で表参道から参拝できないんだろう…。
苦笑しながら表参道へ行き、鳥居を撮影。
この鳥居、公式ホームページでは、特に触れられていない。
鳥居をくぐると心字池にかかる太鼓橋があるんだが、
その前に燈篭の基礎と思しき物体が。
施された意匠はうさぎだろうか?
そんな燈籠の基礎と太鼓橋と東京スカツリー。
太鼓橋は、太宰府天満宮の境内に倣って造られたもの。
確かに昨年、太宰府天満宮を訪れた際に、境内に入ってすぐの太鼓橋を渡った。
公式ホームページによると心字池と太鼓橋は、
人生に見立てた「三世一念の理」に基づき、
最初の太鼓橋(男橋):過去
次の平橋(ひらばし):現在
最後の太鼓橋(女橋):未来
を表し、3つの橋を渡ると心が清められるとのこと。
そして、平橋から梅を鑑賞。
冬至梅という品種で、名前の通り冬至の頃に咲くが、
開花時期は12月〜2月とバッファがある。
桜の開花はニュースになり、花見という行事もあることから、
桜>梅という感が否めないけど、個人的には梅、結構好きですね。
花びらに顔を近づけて、匂いを嗅ぐとほのかに漂う梅の香が好き。
家の近所にある本田(ほんでん)北公園は、
昔、梅林公園という名前で、敷地の半分以上が梅林だった。
2月になると梅の花が咲いて綺麗だった。
そんな記憶を呼び起こす亀戸天神社ですが、
年に3回、季節に合わせて花祭が開かれている。
2月:梅まつり
4月:藤まつり
10月:菊まつり
この他、1月の初天神、7月の筆塚祭、9月の敬老延寿祭など、
毎月何がしかの祭が開催。
女橋を渡ると拝殿。
何故かあまり拝殿に関する情報がなく、定かではないんだが、
恐らく現在のものは、昭和36年(1961年)建立。
以前のものは、東京大空襲で消失している。
学問の神様・菅原道真が祀られているだけあって、
受験シーズンには、多くの学生が参拝するという。
そして、天満宮といえば、これ。
牛。
左遷されて大宰府に赴任した菅原道真は、
傷心からか着任後僅か2年で、
「自分の遺骸を牛に乗せ、人に引かせず、
その牛の行くところにとどめよ(墓をつくれ)」という遺書を遺して死んだ。
なので、全国にある天満宮には、
ほぼ間違いなく牛の像がある。
この他、末社、石碑など、
それ程広くはない境内にたくさんの史跡がある。
全ては紹介しきれないので、割愛!
で、この日のベストアングル。
拝殿と東京スカツリーと翌週開催の梅祭の準備をする職人。
東京スカイツリー…。
高いだけあってこれまでの散策で、
あらゆる場所で撮影した写真に写っていた。
東京、いや日本屈指のランドマークなんだなぁ。
境内を一回りして気が付いた「東京十社めぐり」の看板。
<東京十社>
亀戸天神社
富岡八幡宮
王子神社
根津神社
神田神社(神田明神)
日枝神社
白山神社
芝大神社(芝神宮)
品川神社
氷川神社
きちんと参拝したことがあるのは、
亀戸、富岡、神田、芝、品川の五社。
王子が若干厄介だが、それ以外は行動範囲内。
御朱印目当てで、一日で巡ってみるの良いかも。
そんなことを考えながら、亀戸天神を後にし、
次に向かったのは、600mほどの距離にあう法性寺。
「春風亭一之輔のぶらっと落語歩き」によると、
この寺には、落語の柳家の記念碑「昔ばなし柳塚」がある。
落語好きとしては、ここまで来たのだから立ち寄りたくなる。
途中に目に付いた光景。
銭湯の煙突と東京スカイツリー。
残念ながら銭湯、天神湯は店を閉めていた。
先日、久々に地元吉祥寺、東急の裏にある弁天湯へ行った。
成蹊大学の学生や常連と思しきオッサンなど、
結構な混雑だった。
最初、成蹊の学生がいるのが嫌だったけど、
彼らは礼儀をわきまえていて、
大声で話したり、はしゃいだりすることはなかった。
常連ともども、譲り合いながら湯船に浸かった。
やっぱり銭湯はいいねぇ。
銭湯=公共浴場の歴史を辿ると、
なんと鎌倉時代に行き着く。
750年もの歴史を誇る風呂文化を無くしてはいけないと思うが、
亀戸の天神湯のように商いを辞めてしまう銭湯も多いだろう。
昭和の名残がバリバリな天神湯の裏側に回ると、
これまた昭和風漂う住宅が。
明らかに人が住んでいないと思しき住宅。
住んでいる気配のある住宅。
どちらか判断できない住宅。
なんにしても活気がない。
全くない。
そんな住宅街を進み横十間川にぶち当たったところで、
右折し川沿いを歩く。
途中、龍眼寺という勇ましい名の寺があったが、
スルーして、東京都道453号本郷亀戸線を左折して橋を渡ると、
お目当ての法性寺に到着。
ビル型の寺だった。
なんか入り難い。
すると50代ぐらいの女性が、すたすたと歩いてきて、
ビルの1階にあるお堂、妙見堂へ迷いもなく入っていた。
中からは木魚の音がする。
入れません!
とにかく「昔ばなし柳塚」を拝むべく、
境内をうろうろ。
お墓の方まで行ってしまい若干迷ったが、発見。
落語の一派、柳家の記念碑。
風化が激しく建立年は不明。
以下、解説板に記されていた江戸時代の落語の歴史。
江戸時代、睦会(ムツミカイ)と称して運営されていた落語は、
明治17年(1884年)三遊派・柳派に分裂して覇を競うようになりました。
明治22年(1889年)には、
三遊派の記念碑「三遊塚」が区内の木母寺に建立されています。
やがて大正6年(1917年)になって、寄席が会社組織となり、
300人余りの芸人が月給制の下に統一されたため、
派閥は解消されましたが、統一に反対する150人もの芸人が、
睦会を結成して対峙しました。
知らんかったぁ〜。
落語界の揉め事だと、1978年の落語協会分裂騒動が有名だけど、
60年前にもいろいろとあったのですね…。
小生、落語好きではありますが、
この落語協会分裂騒動をあまり理解できておりません。
さて、法性寺は葛飾北斎と縁のある寺院で、
石碑もあったし、公式サイトでもタグを設置して紹介している。
でも公式サイトでは「昔ばなし柳塚」に触れられていない。
まぁ、いいや。
法性寺の次はどうするか決められないまま都道453号線を歩く。
スカイツリーが間近に見える。
このまま浅草まで歩こうかと思ったが、
急にまさかの膝痛に襲われた。
いままで散策時に膝が痛くなったことはない。
これも年なのか…。
時刻は11時50分。
この界隈でランチを食べて会社に行くことにした。
タワビュー通りなる新しい通りを歩く。
とはいえ、昔からあった道なのでしょう、古い商店が健在。
今のご時世、店名を検索すれば、どんな店でもそこそこヒットするけど、
この「そうざい みたざき」を紹介するサイトはあまりない。
こちらのサイトによると、その場で天ぷらを揚げてくれるらしい。
錦糸町駅に大分近づいたところにあった、
瓦屋根の木造一軒家。
築何年なのだろうか?
人は住んでい無さそう。
真新しいマンションやビルが立ち並ぶ中、
昭和な雰囲気も醸し出すタワービュー通りですが、
歩いていてあることに気が付いた。
電柱がないのだ。
東京スカイツリーを見易くするために、
邪魔になる電柱を排して、電線は地下に埋めたのでしょう。
タワービュー通りを歩きながら、食事処を物色。
いくつか良さげな飲食店もあったんだけど、
混んでいる、喫煙OKそうなどの理由から却下。
結局、JR錦糸町駅ビル・テルミナ2の中華そば 青葉へ。
本店は中野で、平成8年(1996年)創業。
96年…割と若いラーメン屋じゃん!という印象だが、
既に20年前…。
丁度、小生が社会人になった頃だ。
同期じゃん!
そんな青葉ですが、地元に近い中野が総本店にも関わらず、
食したことがなかった。
お味は魚介系の和風ととんこつ。
この年になると脂ギトギトは無理なんだが、
かなりアッサリしていて食べやすい。
美味しかったんだけど、
残念なのはカウンター席の狭さ。
昼時で常時満席なのは仕方がないが、
あまりに詰め詰めで身を縮めながら食べた。
だいぶ窮屈。
あとで、かつて錦糸町勤務だったメタラー仲間のN博士から、
『孤独のグルメ』で取り上げられた菜苑の純レバ丼を教えてもらった。
<br>
亀戸天神の目と鼻の先じゃん!
ここで食べればよかった!
以上、落語「初天神」の舞台・亀戸天神社と柳家縁の寺院へ訪れた。
散策の〆はラーメン。
落語には「時そば」(上方だとうどん)という名作があるが、
ラーメンを題材にした噺はあるのか?と思い調べてみたら、
あった。
古今亭今輔の「ラーメン屋」
桂三枝のネタに「人情ラーメン」というのもあるみたい。
で、落語、ラーメンと言えば!
木久蔵ラーメンを失念していた。
なぜか家に丼がある。
店舗には行ったことがないが、インスタント麺は食べたことがある。
普通に美味しかった記憶がある。