<ディープツアー2016 記事一覧>
「ディープツアー2016 特別編 序章」
「ディープツアー2016 特別編 序章」からの続き。
鎌倉駅東口から乗った京浜急行バスに揺られること20分。
朝比奈バス停で下車。
バス停からは鎌倉名物の切岸が見えた。
子供の頃、鎌倉に来る度にそれと意識せず切岸を見てきた。
鎌倉には至る所に切岸がある。
大人になってから見ると、これぞ鎌倉的な懐かしさが込み上げてきて、
ついつい着目してしまうが、
そんな懐古主義的な思いと関係なく、恒川光太郎も切岸に興奮。
早速、写真をバシャバシャ撮っていた。
朝比奈切通しには、
鎌倉オタクの佐藤アサトと「ディープツアー2012」で訪れているので、
切通しまでの道はわかる。
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「ディープツアー2012 鎌倉 PART1」
前回、朝比奈切通しに来た時に入口手前にあった巨木が印象的だったんだが、
変わらずその雄姿を拝むことが出来た。
早速興味を示した恒川光太郎も写真撮影。
すると「木って写真だとその魅力が伝わらないんだよねぇ」と発言。
小生は、今まで木を撮影する度に全く同様の感想を抱き、
その旨このブログに綴って来た。
恒川光太郎に益々のシンパシーを感じる。
巨木からものの数分で、朝比奈切通りの入口に到着。
ある程度、道がぬかるんでいることは想定していたが、
想像以上で、小川を形成していた。
入口で庚申塔がお出迎え。
朝比奈切通しは、鎌倉幕府三代目執権・北条泰時の時代に、
物資の流通(特に塩)と有事の際の脱出路のために切り拓かれた道だが、
庚申塔は江戸時代のもの。
「ディープツアー2012」の時に撮影した写真と見比べてみると、
各庚申塔に薄らと苔が生えていることがわかる。
2012年は8月の真夏に訪れているのだが、
それよりも緑が濃いということは、
2012年の頃は、庚申塔は定期的に磨かれていたということか?
庚申塔の後ろのシダ(?)の量も多くなっている。
そんな庚申塔を過ぎるとすぐに横浜横須賀道路(横横)。
切岸の上に道路が乗っかっており、景観を損ねているのが残念だ。
しかし、恒川光太郎は庚申塔、切岸の連打に興奮気味。
横横から坂道を登って行く。
写真には写っていないが、ところどころ雨水が流れており、
坂道をたっぷりと濡らしていた。
普通のスニーカーだったら、水浸しになっていたことだろう。
トレッキングシューズを買って大正解だった。
坂道をガツガツと進んでいると恒川光太郎が脇道を発見。
小生は脇道には全く気が付かなかった。
やるなぁ〜。
少し迷ったが、せっかくなので行ってみることに。
そこそこ悪路だったが、途中、簡易的な階段もあり、
明らかに人の手の入った道だった。
さらに階段が登場。
登った先には何が!?
とワクワクしながら階段を登ると送電鉄塔が姿を現した。
この道は送電鉄塔管理用の道だった。
どおりでちょいちょい整備されているわけだ。
送電鉄塔を真下から撮影。
送電鉄塔をこのような角度から見上げるのは人生初だ。
幾何学模様シンメトリー。
恒川光太郎も「アートワークになりそうだ」と同じように撮影していた。
山道は登りよりも降りる時の方が怖い。
雨も降り続いているし、慎重に本道へ戻る。
前回訪問時の記憶を辿ると、
この先少し行ったところにこれぞ切通しという光景があったはず。
あった!
恒川光太郎は大喜びで撮影。
上の写真から判るとおり、
切通しの谷間を雨水が流れ川になっている。
切通しは反対側から撮ると絵になるんだよねぇ〜。
ってことで撮影。
後日、「ディープツアー2012 鎌倉 PART1」を読み返してみたら、
全く同じアングルの写真を撮っていて、独りで笑ってしまった。
人間の手によって掘削された岩肌が風化し丸みを帯び、
時と共に自然と同化していく。
本当に素敵だと心底思う切通しを抜けると、
熊野神社へと続く道との分岐地点。
2012年の時は日没直前につき、熊野神社ヘは行かなかったので、
今回は参拝することにした。
左の道を進んですぐの右手にやぐらを発見。
鎌倉は海と山に囲まれた街。
故に土地が少ない。
そのため切岸に穴を掘って、そこに遺体を安置した。
つまりやぐらはお墓だ。
また、敵が攻めて来た時に迎え撃つために掘られた穴という説もある。
ウィキペディアでやぐらを検索てみると膨大な量の記述がある。
それだけ奥深いってことだ。
数百年も前に掘られた穴が、今も残る。
しかも殆ど放置状態。
この適当さが、鎌倉の魅力でもある。
そして、熊野神社へと続く道は、完全に水浸し状態。
一応、トレッキングシューズは防水なんだが、
どれだけ水の進入を防いでくれるのか不明のため、
道の脇の方を歩き、極力靴が濡れないようにした。
分岐から5分強で、熊野神社の入口に。
木々に覆われていて先が見えず唐突に姿を見せた。
階段をヘイコラと登っていくと拝殿があり、
さらにその脇にある階段を登ると本殿。
小さいが、源頼朝によって開基された由緒ある神社だ。
鎌倉の鬼門の方角であるこの地に、
和歌山県にある熊野三山(熊野本宮、熊野速玉、熊野那智)の祭神を勧請し建立。
因みに熊野三山から勧請を受けた熊野神社は、
全国に3000社もあるという。
後で知ったんだけど、本殿の裏に朝比奈切通しの入口へと続く道があり、
上の写真をよく見ると本殿の左脇に小道が見える。
次回、朝比奈切通しに来たら、このルートを歩いて見るのも良いかな。
本殿を背にして振り返る。
写真だと全くを持って解り難いが、霧が出ていて幻想的。
ピンク・フロイドの世界観。
右手に見える杉の木が印象的だ。
来るときは気が付かなかったが、
拝殿の後ろにかなり急な階段が。
迷わず階段を下る恒川光太郎に続き、へっぴり腰状態で降りた。
階段を下りると右側に小さい社。
風化が激しく、もはやなんの為のものなのか知る由もない。
よくわからないものという点では、
先程の杉の木の下に置かれた銀色の箱も意味不明だった。
結界が張られている。
一体なんなんだ…。
そんな疑問を胸に来た道を戻る。
途中、脇道を発見するも今回は行くのを止めておいた。
また送電鉄塔管理用路だったりして。
朝比奈切通しの本道に戻り、分岐の右側の道を進む。
朝比奈切通しには、切岸がたくさんあるが、
切岸の上部に生えている木に植物の生命力の強さを感じる。
土ではなく、岩肌に根を張っている。
沖縄在住の恒川光太郎は、
この光景を見て「沖縄っぽい」と言っていた。
確かにそうで、石垣島で同じように岩肌に根差した木があったし、
切通しに似た道もあった。
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「沖縄2014 1日目」
切岸にはもう一つ特徴があると勝手に思っている。
断面部が風化して、何かに見えるのだ。
下の写真は猿とチューバッカ。
えっ?見えない?
ってなボケは置いといて、
この岩に掘られた仏様を見た瞬間、
恒川光太郎は「磨崖仏(まがいぶつ)だ」と言った。
なかなか磨崖仏というワードは出てこないぞ。
この様な岩肌に仏像が刻まれた磨崖仏は、
全国各地に分布しており、中には重要文化財に指定されているものもある。
朝比奈切通しの磨崖仏は、残念ながら単体としては文化財に指定されていない。
(朝比奈切通しは、国の重要文化財に指定されている)
ネットで検索すると、朝比奈切通しを訪れた誰もがこの磨崖仏を紹介しているが、
制作年代すらわかならい。
研究されているのかな?
全体的に風化はそれほど酷くないので、
割かし最近のものかもしれない。
それにしてもこの磨崖仏を始め、
年代は不明ながらも、それなりの歴史を感じさせるやぐら、切岸、磨崖仏が、
そのまま放置されているのは、改めて凄いと思う。
心ない人が、落書きや破壊行為をしようと思えば、
幾らでも出来るわけでして。
(やるなよ!!!!!!!!!)
この他にも江戸時代の道造供養塔や地蔵が点在する。
ちょっと検索すると、詳細を記したサイトがいくつかある。
これらの石碑群もいいが、朝比奈切通しの良さは、やはり道そのものかな。
今回、雨に見舞われてガッカリだったけど、
雨だからこそのシーンにも出くわした。
この写真は、今回の朝比奈切通しで撮った写真の中で、
個人的にはベストの一枚。
このモァっとした感じは雨じゃないと撮れない。
恒川光太郎が被写体になっているのもある意味レアでは。
ここいら辺から下りが続く。
前回訪れた際は、湧水が沁みだして徐々に川となっていた。
雨だったから坂道全体が川と化しているかと危惧したが、
意外と普通だった。
熊野神社の往路を抜くとたった1キロ程度の距離だが、
見所満載の朝比奈切通し。
いよいよ最終地点。
三郎の滝。
朝比奈切通しを一夜で切り拓いたという伝説の人物、
和田義盛の三男・朝比奈三郎義秀の名から付けられた滝なのでしょう。
因みに朝比奈切通しが作られたとされる仁治元年(1240年)の頃には、
和田家は滅亡している。
これにて朝比奈切通しは終了なわけですが、
雨にも関わらず、恒川光太郎は「楽しかった。最高だった」と喜んでくれた。
良かった良かった。
平日、雨ということで、誰もいないだろうとは思っていたが、
誰一人とも擦れ違わなかった。
中世の古道貸切。
あれだけ降っていた雨は止み、そのまま太刀洗川沿いに歩いて、
金沢街道の十二所神社(じゅうにそうじんじゃ)バス停へ。
バス停の近くには、以前のディープツアーで発見した気持ちの悪い木が。
恒川光太郎曰く「エレキング」。
そのエレキングの横には、橋が架かっている。
「行き止まりなんで、意味不明なんだよね」
というと、恒川光太郎は橋を渡り「道がある」と。
えっ?と思いながら、橋を渡って右手を見ると確かに道のようなものが。
前回確認した時は、暗かったのでわからなかった。
かつては道だったのかもしれないが、
長い年月の間、誰も足を踏み入れていないのでしょう。
さらにこの十二所神社バス停には、もう一つスポットが。
佐藤アサトに教えてもらった幽霊が出るという公衆電話。
改めてこの公衆電話を調べたんだけど、
心霊スポットとしてヒットするのは、
近くにある鎌倉霊園入口前の公衆電話の情報ばかり。
佐藤アサトの勘違いか?
太刀洗川と合流した滑川(なめりかわ)の側道を鎌倉市街地に向かって歩いていると、
恒川光太郎が、滑川の対岸に超芸術トマソン級の物件を発見。
わかりにくけど、中央少し右に門扉がある
先程の橋を渡った先にあった“道のようなもの”の反対側入口のようだ。
門は必要かな…?
続いて明石橋交差点にあるミニストップの駐車場から見える木が気になるという。
神秘的に見えると。
確かに不思議な枝振りだ。
恒川光太郎の著書を読んでもらえればわかることだが、
日常風景のふとした一瞬に着目し、そこから彼独特の世界観に誘うことが多い。
きっと日々の生活の中で、常に当たり前のことを違った角度から見ているのでしょう。
トマソン物件や木に着目するのも、そういった観察眼があるからなのでは。
さて、時刻は12時過ぎ。
昼ご飯を食べよう。
記念すべき第1回鎌倉ディープツアーで行った釜飯の多可邑と迷ったが、
ミニストップから程近いそば処ちくあん(竹庵)にした。
人気店なだけあって少し待った後、入店。
散策のランチと言えば、コレ。
瓶ビール。
夏の散策時ほどビールを欲しないが、
それでもやっぱり歩いた後のビールは美味い。
そして、2人揃って盛りそば大+かき揚げ丼を注文。
そばはコシがあってとても美味しかった。
コシのないフニャフニャなそばは、口に合わない。
つまり富士そばは美味いと思わないのだ。
かき揚げ丼は、サクサクで甘辛いタレも、
甘過ぎない丁度いい味。
会話は音楽ネタが多く、
恒川光太郎の最近オススメのメタルバンドなどを教えてもらった。
聞いたことがないバンド名のオンパレード。
意外と最近のメタル事情に明るいことに驚いた。
そばとかき揚げ丼は、かなりのボリュームで腹一杯。
胃袋満タン状態で向かったの」は、
十二所と北鎌倉を結ぶ天園ハイキングコース。
実は事前に鎌倉マスターである佐藤アサトに、
この日鎌倉に行くことと天園ハイキングコースにトライすることを伝えていたんだが、
佐藤アサトから「この天気で天園は危ない」というLINEを貰っていた。
しかし、雨は上がっているし、
途中にある百八やぐらを恒川光太郎に見せたかったし、
天園ハイキングコースを通って北鎌倉へ抜けたことがなかったから、
「無理をしない。ヤバそうだったら引き返す」を条件として決行。
以降、「ディープツアー2016 特別編 天園ハイキングコース」へと続く。