<ディープツアー2016 記事一覧>
「ディープツアー2016 特別編 序章」
「ディープツアー2016 特別編 朝比奈切通し」
「ディープツアー2016 特別編 朝比奈切通し」からの続き。
ちくあんでそばとかき揚げ丼を食べた後、天園ハイキングコースへ。
途中、明石橋交差点にある石碑群。
卵型が特徴のお墓である無縫塔や五輪塔、石仏、庚申塔などがあり、
恐らく江戸時代のものと思われる。
民家の隣のスペースにあるんだけど、荒れていて無縁仏状態。
鎌倉は平地が少ないため、墓地が少ない。
にも関わらず墓がある。
写真には写っていないが、それなりに大きな墓もあり、
その大きさから身分の高い人のものなんだろうけどねぇ…。
なのに無縁仏級の放置状態。
こんな光景も鎌倉らしい。
石碑群を通り過ぎ、裏手の細い道を進み、明王院へ。
鳥居の形が珍しい。
嘉禎元年(1235年)、鎌倉幕府四代将軍 藤原頼経によって建立。
鎌倉で唯一、五大明王を祀っているとのことで、
参拝したいところだが、先を急ぐ。
明王院の横の小路に入ると、これまで住宅街だった景色が一変。
そして、ここでまた雨が降り出した。
勘弁して欲しい。
緩やかな坂を登ると二股。
左手の未舗装の道が天園ハイキングコース。
この天園ハイキングコースの入口もそうだが、
鎌倉は唐突にハイキングコースが現れることが多い。
しょっぱなから結構な急勾配の坂道を登って行く。
ちょっとした山登りだ。
このところの運動不足…いや、運動はしているんだが、
ランニングをしていないからか、持久力の低下を感じる。
暫くすると笹(?)が行く手を阻む。
ちょっとピヨッたが、恒川光太郎が笹のトンネルへと突進していく。
置いて行かれないよう小生も、中腰になりながらトンネルの中へ。
トトロな気分。
トンネルを抜けるとトトロがいるわけもなく、
代わりに超簡易な標識が。
いいのか?木に書いて…。
トンネルから5分ほど歩くと、巨木と鳥居が出現。
恒川光太郎はやはり木が気になるようだ。
ワシも気になったが、それよりも傾いた鳥居の方にご執心。
鳥居の奥の社は、説明書きがなく、現場で何の社なのか不明だったが、
コチラのサイトによると弁天社(初め弁天)というようだ。
2008年の撮影の写真が掲載されており、
その写真に写っている鳥居は、真っ直ぐ建っている。
この8年の間に何があったのだろうか?
で、この弁天社の先に分岐があり、
左へ進むと大江広元の墓と言われる五輪塔があるのですが…
そう、天園ハイキングコースに大江広元の墓があることは知っていた。
しかし、天園ハイキングコースに入ったら、そんなことは忘れてしまった。
よって、特に意識することもなく、
分岐を完全に見落としてスルーしてしまった。
後悔…。
大江広元の墓の“は”の字も思い出さないまま、歩いているとやぐら発見。
奥津城(おくつき)やぐらというらしい。
奥津城とは神道式の墓の意味なんだが、
鎌倉武士の墓所という説があり、よくわからん。
そして、この近くに北条首やぐらがある。
大江広元の墓同様、天園ハイキングコースに入る前までは、
この道中に北条首やぐらがあることを認識していたのだが…。
また忘れちゃった…。
でもこのやぐら群が北条首やぐらかな?
落ち葉に覆われているんだけど、
ネットに上がっている北条首やぐらに近い形なんだよね。
情報によると分岐があり、少し入ったところにあるようなので、
やっぱり違うのかな。
その分岐、目印となる石の道標もあるんだけど、
反対側の金網の奥に見え隠れする瓦屋根の建物に目が行き、見落としがちとのこと。
それがこちら。
瑞泉寺の偏界一覧亭だということは、後で知ったのだが、
我々が歩いている山道からは入ることが出来ないし、
高所に位置しており、一体何の建物なのか?と注視してしまった。
故に北条首やぐらへの分岐の道標を見落としたか…。
偏界一覧亭から3分ほど歩くと、大亀石なる巨石に遭遇。
確かに亀に見える。
鶴と亀のペアで五芒星と六芒星を…という説明書きがあるんだけど、
妙に砕けた文章だし、何を言いたいのかがイマイチわからん。
大江広元の墓、奥津城、北条首やぐらなど、天園ハイキングコースは史跡が多いが、
それらの史跡と比べると、この大亀石の情報量は圧倒的に少ない。
最近、上記の文章を書いた人が(勝手に)名付けたのかもしれない。
続いて待ち受けていたのが、石の上の赤い靴下。
なんでこんなものがここに落ちているのか…?
子供用じゃないし、紐も付いているし…不気味だ。
謎の靴下から5分ぐらいしたところに貝吹地蔵。
元弘3年(1333年)、新田義貞の鎌倉攻めによって、
東勝寺で北条高時やその一族、家来たちが自害したが、
高時の首を新田軍に渡すまいと逃げた家来がいた。
新田軍の追手が迫る中、地蔵が現れて貝を吹いて瑞泉寺の裏山に導き、
家来は逃げ切ることが出来て、先述の北条首やぐらに高時の首を埋めたという伝説がある。
貝吹地蔵のすぐ傍には、真新し地蔵。
「トイ・ストーリー」のバズ、ドラえもん、ダースベーダー、
新幹線、ケロロ軍曹など、なぜかおもちゃ(フィギュア)がお供えされている。
真新しい地蔵の脇の道が、超魅力的。
鎌倉の切通しは7つあるが、これも切通しなのか?
雨水や湧水が作ったと思われる岩肌の窪み具合がたまらない。
この後は比較的平坦な山道をテクテクと歩く。
写真では上手く伝わらないが、スモークがとても幻想的。
雨は降ったり止んだりで、時折猛烈に降ってくる。
木々に覆われているから、多少は雨を防げているが全身ずぶ濡れ状態。
完全防備してきて良かった。
そして、この日、朝比奈切通し、天園はキングコースを歩いてきて、
誰とも擦れ違わず、一切人と出会わなかったんだが、
突然、上の方から人の声が聞こえてきた。
一瞬、ギョッとしたんだが、
天園休憩所を運営しているおじさんとおばさんの話し声だった。
愛想が良くて人懐っこい恒川光太郎は、おばさんとゆんたく。
目指している百八やぐらまでの道のことや、
休憩所が100年前からあることなんかを教えてくれた。
休憩所の脇にある階段を登ると四輪駆動の車が停まっていた。
聴くにおばちゃんたちが、乗って来た車とのこと。
この山道を車で!?
「毎日通っているんだから、もう慣れたわよぉ。四輪駆動じゃないと無理だけどねぇ」って。
その車が通る道がこれ。
急勾配、細い、凸凹、ぬかるんでいる。
確かに四輪駆動じゃないと無理だな。
この坂を登ったところに、
木材や調理器具のようなものが放置されている一角があった。
炭を焼いたようなキナ臭い匂いが漂っていたので、
バーベキュー場か何かかと思ったが、
この場所が、かの有名な天園峠の茶屋の跡地だと知ったのは6月初旬のこと。
その日、メタル仲間のN博士が、これまで何度も踏破している天園ハイキングコースへ行き、
LINEで「天園峠の茶屋がなくなっていた!」と知らせてきた。
どうやら今年のGWの最終日をもって、閉店したと。
名物のおでんは美味かったらしい。
その天園峠の茶屋のあった場所が、横浜市内最高地点で、海抜159.4m。
(あまり知られていないけど、横浜市と鎌倉市は隣接している)
晴れていれば、鎌倉市街、相模湾が一望できる絶景ポイントなんだが…。
ガス+木で何も見えない。
横浜市内最高地点から先は下り坂。
濡れた葉っぱは滑る。
トレッキングシューズの威力発揮。
この前もこの後も、トレッキングシューズで良かった!
と思うことが多々ありだった。
坂を下り切ると鎌倉パブリックゴルフ場。
ゴルフは興味がないし、やりたいとも思わないけど、
こうやってコースを見下ろすと気持ちよさそうだな。
料金を調べたら、ラウンド平日\15,390、土日祝\19,710。
思ったよりも高くない。
まぁ、やらないけどね。
道標に従い、ゴルフ場を背にして、拓けた道を行く。
右側にゴルフ場の施設なのか建物があり(クラブハウス?)、
そこからピアノの音が聞えてきた。
人気もなく、結構不気味。
ふと、大学時代、部活の春合宿で行った河口湖で、
先輩から聞いた山中湖でのゾッとする体験談を思い出し、恒川光太郎に披露。
気鋭のホラー・ファンタジー作家に対して、
この手の話をするのはおこがましいが、それなりに響いていた。
良かった。
えっ?どんな話かって?
ネタ的に書けないっす…。
そんな話をしながら歩いていると、突如、崖が行く手を阻んだ。
えっ?これの登るの?
岩肌の左側に道らしきものがあるが、道標はない。
登ってみて違っていたら嫌なので、
もう一度ゴルフ場のところの分岐にあった道標を確認しに戻りながら、
鎌倉といえばの師匠・佐藤アサトに電話をするも出なかった。
分岐まで戻って道標を確認していると、
佐藤アサトから着信が。
こちらの状況を伝えると、どうやらあの崖を登るらしい。
念のためLINEで崖の写真を送ると「間違いない」と。
師匠、頼りになります!
見た目よりも意外と楽に登れた。
そこからの景色がコチラ。
歩いて来た拓けた道
大平山(おおひらやま)で、海抜159.2m。
鎌倉市内最高地点。
横浜市内最高地点に0.2m負けています。
大平山の近くにあったキノコ。
食えるのか?
2013年に、沖縄へ行った時、
「国頭村森林公園(くにがみそんしんりんこうえん)」の散策ツアーに参加した。
【参考記事】
「沖縄3日目」
ガイドをしてくれた篠原太郎さんが、
植物学者は、なんでも口に入れて、
食べられるかどうか確認したと言っていたことを思い出す。
篠原さんは、先輩に騙されて毒のある葉っぱを食べてしまい、
一日中腹痛と痺れに見舞われたこともあったとか。
上のキノコ、まぁ、普通の人は食えませんよね。
キノコから歩いて15分ぐらいのところの道。
道というか、ほぼ溝?
突然、こういう光景が現れるのが楽しくてたまらない。
一体、どれぐらいの歳月をかけて、
丸みを帯びた形状になるのだろうか?
さらに5分ぐらい歩くと巨大な岩が転がっていた。
山の上層部から転げ落ちてきたんだろうけど、
一体、それは何年前?
名前等があってもおかしくないが、名称はないようだ。
巨石から暫くすると分岐。
ここは「ディープツアー2013 鎌倉PART3」の時に通過しており、
左に曲がってすぐに百八やぐらがある。
先程から雨が酷くなってきているが、
やぐらに強い関心を持つ恒川光太郎にも、
「ディープツアー2013」で百八やぐらを見た時の感動を味わってもらいたい。
左折してすぐ、ぽっかりと口を開いた穴が我々を出迎えてくれた。
ここから少し下がったところに、
横一列のやぐら群が密集しているので案内する。
足を踏み外せば滑落するようので、慎重に歩を進める。
雨に濡れた葉っぱが行く手を阻むし、足元もぬかるんでいる。
それでも行く価値がある。
さらに奥に進むと折り返して上段へ行ける小道を発見。
より一層、シダの葉などが茂っている。
奥の方にあったやぐら。
この首のない像は、弘法大師像らしい。
天園休憩所のおばちゃんが、
「賭博師がゲン担ぎで、百八やぐらの地蔵尊の首を切って持ち去った」
と言っていた。
この一列のやぐらの中の地蔵尊たちは、
首なしが多かった。
弘法大師像の前には、「第九二●」という札が立て掛けられている。
百八やぐらはその名の通り、108以上のやぐら群。
実際には150基ぐらいあるらしい。
本当に別世界だ。
一度来ているのに、やっぱり興奮する。
初訪問の恒川光太郎も大満足の様子で、
スゲェー喜んでいた。
来て良かった。
ここから建長寺方面へ抜けて行くことにして、
先の分岐点に戻る。
少しきつめの上り道を行くと、ロープ。
せっかくなんで使って登ったが、
手が真っ黒になった。
恒川光太郎は、ロープを頼らず登った。
使わなきゃよかった。
ここら辺で、雨脚が今日一ぐらい強くなってきた。
天気予報では3時頃に、雨があがると言っていたのだが…。
アテにならん。
と、ここで本日初、ハイカーと擦れ違った。
背の高い、ヒョロッとした眼鏡をかけた若い男性で、
長袖のTシャツ、履いている靴はパンプスタイプのコンバースという軽装だったので、
厳密に言うとハイカーという感じではなかったが…。
よくあの装備で、この天候時にアタックしたものだ。
そんなことを話しながら歩いていると、
作りがしっかりとしたやぐらがあり、中には首なし地蔵が。
ものの見事に4体とも首がない。
これも博徒の仕業か?
天園ハイキングコースを検索しても、
この首なし地蔵尊に関する情報はほとんどなく、
一体なんなのかよくわからなかった。
入口の右側に文字が彫られているんだけど、
真ん中の文字が「王」と読み取れるぐらいで解読不能。
ここから急斜面。
晴れなら大したことはないのだろうが、
この天候だとキツイ。
何度も言うが、トレッキングシューズにして本当に良かった。
防水タイプを選んで購入した甲斐あって、
これだけの雨模様でも靴の中への浸水皆無。
普通のスニーカーだったら、滑るだろうし、
浸水も免れなかっただろう。
そして、この坂が最後の難関で、突如、視界が開けた。
建長寺の裏手に辿り着いたようだ。
がっ!
ここで重大な見落としをしてしまった。
すぐ傍にあったであろう磨崖仏が彫られた十王岩をスルーしてしまった…。
昔は閻魔十王像が浮き彫りになっていたが、
風化が激しく、今は三体だけになったと言われている十王岩は、
風が吹くと人が泣いたような音がするらしい。
元々、風が吹き上げると木々や岩の間を風が抜け音を出し、
人々に恐れられたから、鎮めるために十王像を彫ったという説もある。
この日、大江広元の墓、北条首やぐら、十王岩に気が付かなかった。
散策を趣味にしてから、
その手のものを見つける嗅覚は磨いてきたつもりだったが、
今回はまるで駄目だった。
きっと雨のせいだ。
そうに違いない。
さて、天園ハイキングコースの入口でもあり、
出口でもあるこの展望台は、勝上献(しょうじょうけん)。
晴れていれば、鎌倉の街と海が一望できるのですが…。
それでもしばらく景色を眺めていると、霧が段々と晴れてきた。
気が付けば、つい先程まで降っていた雨もやんでいた。
たった数分で景色が変わる。
右手の静岡方面を見ると、霧が山肌をかすめて漂っており、
筆舌に尽くし難い美景を見せてくれていた。
雨は厄介だったけど、雨だからこその風景や体験もあるわけで、
こうして無事に天園ハイキングコースを踏破出来たし、
まぁ、それはそれで良かったのかなって。
数年後、恒川光太郎とこの日の事を語らったとしたら、
間違いなく「雨」というワードは出てくるはずだ。
以降、「ディープツアー2016 特別編 建長寺」へと続く。