<ディープツアー2016 記事一覧>
「ディープツアー2016 特別編 序章」
「ディープツアー2016 特別編 朝比奈切通し」
「ディープツアー2016 特別編 天園ハイキングコース」
「ディープツアー2016 特別編 建長寺」
「ディープツアー2016 特別編 建長寺」からの続き。
建長寺から北鎌倉駅経由で東京に戻ろうかと思ったが、
恒川光太郎が小生への沖縄土産を鎌倉駅のロッカーに預けていたことを思い出し、
必然的に鎌倉駅へ。
どうせなら少し遠回りして切り通しのひとつである亀ヶ谷坂を通って、
鎌倉駅へ行こうかと思ったが、
恒川光太郎に亀もひっくり返るほどの急坂が、その名の由来と伝えると、
「やめよう・・・」と。
まぁ、こちらも大分、足に来ていたので正しい選択だったかも。
県道21号を鎌倉方面へ向うと、
これも切り通しのひとつ巨福呂坂(こぶくろざか)。
正確にはこの場所に切り通しがあったのではなく、
上の写真の向って右側の方にあり、
今でも一部が通行可能のようだが、途中から私有地になっていて、
その先は消滅しているらしい。
消滅時期は明治時代後期から大正時代のようだ。
現在通行可能な巨福呂坂は、明治19年に作られた新道で、
その後何度かの拡張工事へ経て今に至る。
巨福呂坂洞門と呼ばれる落石防護施設が施されたのは平成5年(1993年)で、
通りに設置された解説板によると、
「切通しを歩いている実感を損なわれないようにアーチ状の梁、
大きな六角形の天井開口部、石積み壁などの工夫をしました」
とのこと。
巨福呂坂洞門の脇には横須賀水道(巨福呂坂送水管路ずい道)が通っている。
そういえば、2011年の鎌倉ディープツアーで訪れた小坪トンネルの脇にも、
送水管路ずい道があった。
小坪トンネルの上には、鎌倉と逗子方面を結ぶ名越切り通しがある。
海と山に囲まれた鎌倉市内に水を供給の歴史は、
鎌倉へ入るための数少ない通行の要所と深い関わりがある。
巨福呂坂洞門を抜けると鶴岡八幡宮の南西側へ出る。
せっかくなので参拝することに。
鶴岡八幡宮へお参りに来るのは、4年ぶり。
鎌倉屈指の観光スポットですが、
平日の雨上がりの境内は、かなり閑散としていた。
こんなに人がいない鶴岡八幡宮は、初めてだ。
参拝後、なんだか変な音がするので、
音の方へ行ってみるとリスだった。
どこかにリスがいる
鶴岡八幡宮を出て、今年の3月に改修が完了した段葛を歩いた。
綺麗に舗装されており歩き易いが、
なんだか未舗装の道の感触が懐かしい・・・。
途中、久々に食べたくなった鳩サブレーを購入。
牛乳に浸して柔らかくしてから食べるのが好き。
駅前の島森書店は、今も健在。
小生にとっては、鎌倉のランドマーク。
ここでガキの頃、たくさんの本を立ち読みした…
もとい、購入した。
本離れが進み、多くの書店が閉店している中、
島森書店同様頑張っているのが、
東急ストア前の松林堂。
子供が絵本を選んでいる。
「こうたれ!こうたれ!」
本は良いよねぇ。
恒川光太郎の沖縄土産をロッカーから回収し、
鎌倉駅から横須賀線に乗って東京駅へ。
恒川光太郎もこの日は実家に泊まるとのことで、
地元吉祥寺でお疲れ様会をすることに。
中学校の同級生が働いている某有名焼き鳥店へ行こうと思ったが、
残念ながら定休日。
別の系列店にも行ってみたが、この日は全店お休みの日だった。
仕方なくヨドバシ裏の居酒屋で乾杯。
初めて利用させてもらったが、
燻製料理がメインでなかなか美味しい。
初来店のサービスもあってリーズナブル。
店員さんの対応も良い。
しかもちょっと可愛い。
続いて沖縄在住の恒川光太郎に、
吉祥寺一…いや、都内一美味い沖縄料理を味わってもらいたく琉球へ。
最早、名物となっている女将さんから職業を問われるも、
頑なに作家であることを明かさない恒川光太郎。
こういうところが彼の良いところだ。
琉球を中継ぎにして、
抑えは恒川光太郎との再会の場所となった、
ラム酒バーのスクリュードライバーへ。
あまり酒の飲めない恒川光太郎を思いっきり引きずり回してしまったが、
今日の店選びは、先発・中継・抑えが完璧の完封リレーだった。
以上が、ディープツアー特別編なのですが、
一番印象に残ったのは、恒川光太郎の着眼点の面白さかな。
こういうところに目が行くんだ、興味を持つんだと思うことしばしば。
特に木や草、虫。
こういう観察眼が、彼の作風に生きるんだな。
そんな恒川光太郎の“今日一”は、百八やぐらとのこと。
雨の中、行って良かった。
生憎の天気だったけど、その分、印象に残ったことも多い。
一生、この雨の鎌倉散策は忘れないだろう。
で、一軒目で飲みながら2人で同じことを言っていた。
「また、行きたい」
「明日にでも行きたい」
やっぱり鎌倉は魔界だ。