6月中下旬、井の頭線の明大前駅が最寄駅の明治大学和泉キャンパスで、
ほぼ一日中、所用があった。
日曜日ということで、あんまり人はいないかなと思ったらさにあらず。
写真には写っていないが、外国人向けのセミナーが開催されていて、
様々な人種が集まっていたし、部活に励む在学生の姿も多々見受けられた。
多くの若い大学生と擦れ違う。
40過ぎのオッサンとしては、少し肩身が狭い。
自分が大学生だったのは、もう20年も前。
ついこないだのような気がするんだが、
体力の衰え、髪の毛に白いものが混じり、
腹の回りに贅肉がへばり付いているのをみると、
ついこないだではないんだよね…。
さて、ランチタイムに時間的余裕があったので、
昼飯を食べがてら、少し周辺を見て回ることに。
明大前駅の近辺になんかあるだろうと行ってみる。
日曜日だからか、営業している店は少ない。
学生街だけあって、ガッツリ系のラーメン屋が多い。
ちょっと躊躇する。
一通り見て回った結果、久々に油そばを食べることに。
油そば専門店・春日亭のとん黒油そば。
油そばと聞くと、そのネーミングからカロリーが高そうだが、
普通のラーメンより、カロリーが150〜200も少ないうえ、
塩分も半分なんですね。
とん黒油そばは、8時間かけた秘伝の黒油が、
風味・香り・味を引き立てるそうな。
で、お味の方は、予測したほど香ばしさは無く、
見た目よりアッサリしていた。
食後は散策。
今回、どうしても行きたいところがあったので、
そこを目指し、甲州街道へ。
甲州街道の下を井の頭線が駆け抜けていく。
対岸に写っている緑に覆われた橋こそ今回のお目当て。
あちらの方へ行ってみよう。
玉川上水公園の遊歩道。
凄い数の自転車だ。
その名称が示す通り、この遊歩道はかつて玉川上水だった。
玉川上水は、江戸の人々に生活水を供給するために、
承応3年(1654年)に完成した上水路で、
その距離は、多摩川の水を取る羽村から四谷大木戸水門まで、
約42キロにも及ぶ。
その羽村取水せきには2年前に行っている。
※関連記事
【散策の部屋】「羽村取水せき」
詳しくはそちらに譲りますが、
昭和41年(1966年)に東京の生活水は利根川から引くこととなり、
玉川上水はその役目を終え、次第にその姿を消していく。
この公園は、そんな玉川上水の名残り。
遊歩道を少しあるくと、先ほど甲州街道から見えた橋の上に来る。
玉川上水橋と呼ばれる橋には、
蔦に覆われた巨大な水道管が並走している。
解り難いが、下にもうひとつ水道管があった。
gooの地図で、昭和22年の航空写真を確認したところ、
まだ玉川上水は水路を保っていて、この水道管はなかった。
果たしていつ用水路はなくなり、
水道管に取って代わったのか。
そして、今回、この記事を書くにあたって、
色んなサイトを閲覧したけど、
掲載されている写真は、ここまで蔦に覆われてはいなかった。
まだ季節は6月。
蔦がそれほど伸びる時期ではない。
長年放置されているのだろうか?
水道管に沿って井の頭線の線路を渡り玉川上水公園を進むと、
その先には和泉給水所がある。
先の水道管は、この和泉給水所に繋がっているようなので、
もしかしたら未だに水道管の中には水が流れているのかもしれない。
公園の最終地点に小さな水門みたいなものがあった。
なにも説明書きがないので詳細は不明だが、
玉川上水の道筋だったのかな?
gooの昭和22年の航空写真を見ると、
鮮明ではないので確信は持てないが、
この水門の方へ玉川上水が流れているように見える。
水門の近くにあった木。
ズル剥け。
植物に詳しくないので、なんで樹皮が剥けているのかわからないし、
そもそもこの木の種類すらわからないだが、なんだか痛々しい。
来た道を戻っている最中に見つけたトンボ。
デカイ。
植物同様、昆虫も詳しくない。
調べたところオオシオカラトンボ(メス)のようだ。
玉川上水橋を永福町側から撮った一枚。
井の頭線の上下線だけでなく、もう二線路分の橋桁が存在する。
これは第二の山手線として構想されながらも幻となった、
東京山手急行電鉄の第二山手線の遺構。
大正時代に、品川区の大井町から江東区の洲崎まで、
山手線の外側を放射状に結ぶ路線が計画された。
それが第二山手線。
しかし、大正12年(1923年)の関東大震災、世界大恐慌、戦争などで実現せず。
明大前駅は、井の頭線と山手急行とのアクセス駅になる予定だった。
それを見込んで、この玉川上水橋は、井の頭線の敷設時に建設されている。
井の頭線の開業は、昭和8年(1933年)。
この橋、築83年…。
それにしても玉川上水橋は、
玉川上水と第二山手線という二つの遺構を要しており、
大変魅力的だ。
ということで、別の角度からも写真を撮りたくなった。
明治大学キャンパス内から撮影。
上手く撮れません。
上からではなく下から撮ったらどうだろう?
ってことで、高台にある明治大学キャンパスを降りて、
玉川上水橋から一番近い踏切を目指す。
その途中に明治大学所有の廃墟があった。
寮でしょうか?
この一帯が全部こんな感じの廃墟だった。
近くのグラウンドからは、学生たちの威勢の良い声が聞こえてくるんだが、
それの声が、この廃墟とミスマッチで切ない。
そして、井の頭線の踏切まで行ってみるも、
玉川上水橋を撮るに値せずでだった。
やはり、玉川上水橋のベストショットは、
永福町側からのようだ。
明治大学に戻る。
大学入口にあった自動販売機。
明大茶
DREAMeiji
明治大学ウォーター
コンビニだけでなく、大学もプライベートブランドの時代です。
明治大学で所用を済ませた後、
少し合間があったので、明治大学のお隣に位置する
築地本願寺 和田堀廟所(わだぼりびょうしょ)へ。
大正12年(1923年)の関東大震災で、
築地本願寺が被災し、墓地を移転することとなり、
陸軍省火薬庫の跡地を払い下げて造園された公園墓地。
因みに明大前駅は、以前は火薬庫前駅という名称だった。
さらに因みに明治大学和泉校舎も、
陸軍省火薬庫の跡地に建てられている。
さて、築地本願寺 和田堀廟所ですが、
終戦直前の昭和20年(1945年)5月、空襲によって焼失している。
本堂は昭和28年(1953年)再建。
その本堂から甲州街道方面を見ると、
なんだか抜けた感じで気持ちいい。
高層ビルやタワーから見る景色は壮観だったりするけど、
都心部で、下から上を見て、これだけ解放感があるのは珍しい?
そんな築地本願寺 和田堀廟所には、
著名人のお墓がいくつかある。
特に馴染み深いのが、5000円札の樋口一葉。
墓地で目的のお墓を探すのは、
中々難しかったりするのですが、案内板が設置されており、
比較的楽に見つけることが出来た。
あまり時間がないので、
ピンポイントでお墓参り。
樋口一葉の墓から1分足らずの内田吐夢監督のお墓。
「宮本武蔵」シリーズ、『飢餓海峡』などを撮った名匠。
最後に入口近くにあるレオナルド熊のお墓。
先のお二方は、私が生まれる前にこの世を去っているが、
レオナルド熊はリアルタイムだ。
とはいえ、1994年に他界。
もう22年も前なのですね・・・。
石倉三郎と組んだコント・レオナルドのコントで有名だけど、
個人的には「家族ゲームII」などのドラマの方が印象に残っているかな。
個性的な容姿が強烈で、一度見たら忘れられない。
築地本願寺 和田堀廟所にはこの他にも、
狂言師・和泉元彌のお父さん和泉元秀のお墓などがある。
以上、明大前の散策なのですが、
明大前駅から徒歩数分圏内に、玉川上水、第二山手線の遺構、
火薬庫跡、築地本願寺 和田堀廟所といったスポットがある。
今回は行かなかったけど、和田堀廟所の先、
下高井戸駅方面には寺院も密集している。
なかなかそそられる街でした。