<福岡2016 散策記一覧>
「福岡2016 序章」
ほとんど自慢話の「福岡2016 序章」からの続き。
ここから散策です。
疲れを癒すべく、珍しく9時半ぐらいまでホテルでウダウダ。
二日酔いは無いが、胃の調子がおかしい。
そんな中、この日、何処へ行くか散々迷った結果、
決めたのが、能古島。
博多湾に浮かぶ全長12キロ足らずの小さな島だ。
当然、島に渡るには船に乗らないといけない。
定期便は姪浜(めいのはま)という船場から出ている。
ホテルの最寄駅から地下鉄に乗り、姪浜駅で下車。
時間は10時過ぎ。
腹が減った。
改札を出るとうどん屋があった。
創業39年の博多うどんですぜぇ。
飲んだ次の日は、うどんに限る。
迷わず入店。
うどんとかしわめしのおにぎり。
正確な値段は覚えていないが、300円台だったと思う。
同じタイミングで、とても可愛らしい若い女性が入店。
可愛い若い女子も、このような駅構内のうどん屋で食べるんですね。
博多のソウルフードのやわうどんを頂いたのち、船場を目指す。
ポイントとして、駅舎を撮影。
大正14年(1925年)開業なので、かなりの歴史のある駅だ。
厳し日差しの中、歩く。
夏場の散策の必需品である帽子(キャップ)を忘れた。
致命的なミステイクだ。
「テメェ〜、散策歴何年だよ!」と自問をしながら歩いてると、
とても印象的な三門が視界に飛び込んできた。
万正寺。
山門の入口の両サイドが白壁。
新旧融合か?
そんな万正寺の詳細はコチラ。
万正寺から姪浜の船場までの道すがら、
団地や観覧車など視界を奪うものがあったんだが、割愛。
で、クソ暑い中、汗だくになりながら歩くこと20分で、船着き場に到着。
能古島行きの船まで、45分もある。
朝から胃の調子がおかしいので、トイレに行ってみると、
これがとても綺麗。
マーキングした後、暇なんで防波堤へ。
能古島。
これから上陸すると思うとワクワクする。
北の方角を見ると海の中道、
北東にはヤフオクドームが見えた。
緩い波の音を聞きながら、10分〜15分ぐらいボッーと海を眺める。
何もしない=暇。
かつてはそうだった。
でも今は。
何もしない=贅沢。
微動だにしなかったからか、フナムシが指先に触れた。
出港時間となり、フラワーのこに乗船。
家族連れやカップルの観光客、遠足と思しき幼児と先生(可愛い)、
海水浴目当ての福岡市民、買い出しに行った島民等、
かなりの乗船率だった。
車も数台乗っており、その中にはタクシーも。
福岡の観光地といえば、中国人のイメージが強いが、
それらしき方々は見受けられなかった。
デッキで海風にあたること10分で、
能古島に到着。
能古島の周囲は12キロなので、余裕で歩ける距離だ。
帰りの飛行機の時間を考えると、
余裕を持って15時能古島発のフェリーに乗りたい。
現在、11時半。
許された時間は3時間半。
3時間半で12キロ。
途中、観光スポットに寄るとなると微妙だ。
なので、島内の移動手段を徒歩にするかレンタサイクルにするかで、
かなり悩んでいた。
ネットで調べたところ、勾配がかなりきつく、
チャリはやめた方が良いという情報が幾つかあった。
登りがあれば降りもある。
登りは辛いが、降りは楽なはず。
市営渡船能古旅客待合所にある案内所へ行き、
島内を自転車回るのが得策かどうか聞こうと思ったものの、
混雑していて(というか横入りされた)、自分の番が回ってこない。
こうした待ちの時間がもどかしくなり、徒歩を選択。
案内所でゲットしたマップを見ながら、
反時計回りに湾岸線を歩き出す。
まずは古墳があるというので、そこを目指してみることに。
すぐに観光地に良くある顔の部分を繰り抜いた撮影スポットが。
農業戦隊のこのしマンZ。
メジャーな沖縄のマブヤーや、
地元吉祥寺で撮影されたファイヤーレオンなど、
全国にはローカルヒーローが数多いるけど、
コレは流行りそうもありません。
ご当地ヒーローというよりも、ゆるキャラか?
右に海を見ながら歩く。
凄い磯の香りが漂う。
それもそのはず、波打ち際には大量の海藻。
昆布?
わかめ?
食べれる?
食べられない?
良くわかりません。
湾岸線を歩くことものの数分で分岐となり、左折。
いきなりの急坂。
写真では勾配のきつさが解り難いかもですが、相当な角度。
瞬く間に汗が吹き出し、ふくらはぎが突っ張る。
自転車を引いて登るなんて想像したくない。
レンタサイクルを借りなくて大正解だった。
坂を登っている最中に、一台の車と擦れ違ったんだけど、
運転手さんが「こいつこの炎天下で歩き?馬鹿か?」ってな目で見ていた。
一旦緩やかになるもまた急な坂が続き、
もはや拷問の領域。
坂を登り始めて500mほどで、福岡市立能古小・中学校へ辿り着いた。
校舎の前を歩いていたら、中学生かな?
体操服を着た女の子から「こんにちは」と挨拶された。
さらにやはり体操服姿の二人組の女の子からも、
「こんにちは」と声を掛けられた。
能古島は、農業・漁業のほか、観光業がメインの産業。
観光地であるがゆえ、島外の人にもちゃんと挨拶をするように、
教育されているんだろうけど、
やっぱり挨拶してくれると気持ちが良いものです。
そんな能古中学校は、スポーツも強いようだ。
スポーツは礼に始まり、礼に終わる。
やっぱりスポーツできる子は、挨拶もきちんと出来るんだなぁ。
あとは、毎日この坂を歩いて通学していたら、
自然と強くなるような気もする。
さらに嬉しいのが、コレ。
頑張ります!!!
好印象の能古小・中学校を過ぎても、坂道は続く。
少し歩くと「能古島鹿垣(しかがき)」の解説板があった。
“前に見える石垣は、能古島に鹿の狩猟場を置いた黒田藩が、
田畑を鹿の被害から防ぐため江戸時代後期の1836年に完成したもので、
鹿垣と呼ばれています。”
で、振り返ってみる。
鹿垣はどれ?
ちょっと先に石垣があったが、これのことか?
良くわかりません。
それともコレ?
そんなわけはないって。
先の解説板によると、鹿垣は能古島に残る最も壮大な遺跡で、
国内でもこれだけの規模をもつ遺跡は多くないそうな。
鹿垣を気にしながら、ようやく緩やかになった坂を進むと、
道標があり、左に曲がると早田古墳、鹿垣とあるじゃないか。
さっきの鹿垣の解説板はなんだったんだ。
迷わず左折。
左右は藪が多く、半端ない数の虫が飛び交い、
時に身体にまとわりついてくる。
蚊はそれほどいないんだが、
ハエと良くわからん小さい虫が、ブンブン飛んでいる。
必需品である虫除けスプレーを持ってこなかったのは、
大きなミステイク。
自分に苛立ちながら歩くこと数分。
鹿垣発見!
写真だと少々解り難いが、石が積まれている。
もう少し近づいて写真を撮りたいところだが、
鹿垣周辺は私有地なので、立入禁止。
先の解説板には、高さは約2メートルと記されていたが、
この鹿垣は、1メートルあるかないかの高さだった。
江戸時代末に約600頭いたといわれる鹿は、
昭和20年(1945年)頃に全滅したようなのだが、
その理由はなんだったのだろうか?
もう少し鹿垣をじっくりと眺めたいところだが、
なんだかやたらとハエが飛んでいて、その気を削がれる。
なんでこんなにハエがいるんだ?と、
足元を見たら死んだ巨大ミミズにハエが群がっていた。
ヒィィィッとのけ反り、退散。
100m先にある早田古墳の方へ小走りで向かう。
途中、汚い池があった。
人造池かな?
魚が生息しているようで、
時折、バチャバチャと音が聞えて来た。
池の近くに早田古墳を示す道標が。
マジっすかぁ…。
この先30メートル…。
短いようで長くないか?
服装は半袖半ズボンである。
虫除けがないのが、本当に痛い。
ちょっとピヨったけど、
とりえずこの古墳を目指して来たんで、
行かないという選択肢はない。
虫と蜘蛛の巣対策として、
首に巻いていたタオルを振り回しながら進む。
矢印の方を見る。
古墳はどこですかぁ〜!!!
かなり放置されている感があり、
もしや埋もれた!?
しかし、よく見ると大きな石があった。
これだ!
良かったあって。
来た甲斐があった。
もう1基あるはずなんだが、見当たらず。
探したいところだが、虫が凄いので泣く泣く撤収。
先程の左に曲がると早田古墳、鹿垣の道標まで戻る。
次は展望台を目指し、左折。
すぐに展望台まで350mであることを伝える道標が。
これが無ければ完全に見落としていたであろう。
左手前にある奇妙な石積みの倉庫のような建物が気になる。
見た感じ、現在は使用されていない模様。
舗装された坂道を登るとすぐに未舗装になった。
整備はされているが細いので、
右側の崖へ滑落しないように気を付けて歩く。
途中にあった廃屋。
こちらは住居かな。
中には生活品が散乱しており、腐敗度と残された品々を見るに、
かなり前から廃墟と化していたようだ。
350m以上、坂を登ってきたような気がするが、
なかなか展望台に辿り着かないと思っていたら、
さらに150mだって…。
かなり暑い。
坂道しんどい。
若干、熱中症の症状が出始めている。
危ないと思いながらも、とりあえず進む。
やがて頂上へ。
大きなテーブルのような石があり、そこに登って撮った一枚。
見通しが悪い!!!
のですが、展望台と言うとおり、ちゃんとありました。
もちろん登ります。
360度パノラマ。
姪浜方面。
左端に見える錆びたスプーンみたいな色をしている建物は、
福岡ヤフオク!ドーム。
ヤフオク!ドームから少し離れたところにあるのが、福岡タワー。
視線を左側に移し、北東を見ると志賀島と海ノ中道。
今回の行先で能古島と迷ったのが、海ノ中道だった。
水族館があるし。
機会があったら行ってみようと思う。
更に視線を反時計回りに移すと、
北北西に玄界島。
その界隈は玄界灘。
日露戦争で東郷平八郎率いる連合戦隊とロシアのバルチック艦隊が、
激戦を繰り広げた海域。
授業や教科書でしか見聞きしていなかった場所を肉眼で見る。
ロマンだねぇ。
景色は綺麗だし、風が心地良いしで、
汗まみれになって来たかいはあった。
が、しかし、落書きが酷い。
展望台の柱にかかれた落書き。
2016年5月4日ってことは、今年のGWに書かれたもの。
名前をみるに女子。
来たという記念を残したい気持ちは分かるが、
このような行為は頂けないね。
この上には「能古島love」という落書きもあった。
あなたは能古島を愛する資格はない。
展望台の下にあった大きな石にも、
文字が彫られていた。
意味不明の落書き。
何がしたいのか?
面と向かって言えないのが残念。
バァーーーーーカ。
とりあず、古墳、展望台という、
能古島の2大行きたいところは遂行。
次にどこ行こう。
能古島の人気観光スポットで、
花が有名なアイランドパーク?
いや〜、花は興味ないし…。
なんて思っていたが、時刻は12時半を過ぎている。
この辺で飲食店があるとしたら、
アイランドパークしかない。
標高195mの展望台を後にし、アイランドパークへと向かう。
誰もいない道を歩く。
なんとなく沖縄な気分。
左側は果樹園。
盗難防止用の電線が施されているが、
道路側もたわわに実っていて、簡単に盗めそう。
後で知ったが、能古島は甘夏の名産地だった。
そして、また廃屋。
窓の鍵がかかっておらず、
開閉可能な状態だった。
展望台以降、下りが多かったが、
島に上陸してから歩き続けたので、
流石にへばって来た。
まだか、まだかと歩を進めようやく、
アイランドパークに到着。
1000円払い入園。
花に興味はないが、やはり金を取るだけあって、
花壇はなかなか凄い。
もっと凄いのが後方にそびえ立つ木。
なんだこの木の連鎖は。
かなりへばっていて、足に来ていたんだけど、
木の構造が気になり、近くまで行ってみた。
棚みたい。
どうやって作るのだろう?
テクテクと歩き、
アイランドパークのメインストリート、
思い出通りに到着。
わりかし新し目の六地蔵がお出迎え。
若い地蔵な感じだが、よく見ると風化も見られる。
いつの時代のものなのか?
思い出屋という店の横にも仏像。
牙があるので、不動明王のようだが、
なんとも柔和な顔立ち。
不動明王の傍のうどん屋で、
能古うどんを頂く。
福岡は軟なうどんで有名だが、
能古うどんは、かなりコシの強いうどんだった。
実は、アイランドパークに着いた時点で、
若干、熱中症の症状が出ていたのだが、良い休憩となった。
人心地ついたところで、以降、「福岡2016 能古島 後編」へ続く。