横浜。
渋谷駅開発に伴い井の頭線(その他渋谷駅に停まる全ての路線)と東横線のアクセスが、
凄まじく悪くなった影響から、地元・吉祥寺から行きにくくなってしまった街。
(東横線の渋谷駅の名称は、渋谷駅ではなく“東急渋谷駅”にした方がよいのでは?)
しかしながら、横浜の新旧入り混じった街の風情は素晴らしく、
多くの人が魅了されるのも良くわかる。
11月初旬、そんな横浜に所用があり、渋谷駅からみなとみらい線直通の東横線で横浜へ。
所用の合間にブラブラしていたら、
神奈川県庁前に関東大震災の遺構があった。
開通合名会社(日本人商社)の煉瓦。
大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災によって、
建物の大部分が倒壊したものの、
その一部が震災後の復興建築の内部に残された。
その存在が忘れ去られ、
平成26年(2014)の建物の解体時に遺構が発見された。
割と最近。
開通合名会社は、横浜港から上陸される貨物の通関、
発送取扱事務を営んでいた商社で、創立は明治10年(1877年)。
解説板に掲載されていた写真。
明治38年(1905年)頃のものらしい。
解説板には関東大震災直後の写真も。
青枠が倒壊した開通合名会社の煉瓦。
これらの写真が残っていること自体、驚きだった。
たいへん貴重な関東大震災の遺構を後にして、
当て所もなくブラブラと赤レンガ倉庫へ。
新港橋の反対側の歩道にあった鉄橋。
2013年、横浜へ訪れ記事にした際、横浜の貨物線の遺構の存在を知った。
※関連記事
「横浜」
新港橋の鉄橋は明らかに鉄道遺構。
「横浜」の記事でもリンクを貼らせてもらった「廃探倶楽部」によると、鉄橋は新港橋梁という名称で、
明治44年(1911年)に開通した桜木町駅と新港埠頭を結ぶ臨港線の路線延長に伴い、
大正元年(1912年)に架橋された橋。
臨港線は昭和61年(1986年)に廃線となり、
その路線跡を整備して、現在は山下臨港線プロムナードという遊歩道になっている。
コチラの「ぼくの近代建築コレクション」というサイトには、
昭和63年(1988年)に撮影された写真が掲載されている。
今の光景との違いに、時の流れを感じざるおえません。
赤レンガ倉庫では、全国ふるさとフェア2016が開催されており、
かなりの人出だった。
最終日だからか、全国各地のご当地グルメが、割引価格で売られていた。
少しそそられたが、我慢した。
赤レンガ倉庫2号館。
明治の終わりから大正にかけて建設された保税倉庫。
リノベーションされ商業施設となり、
この日も大混雑だった。
赤レンガ倉庫2号館の近くにあった鉄道遺構のモニュメント。
このレールに興味をそそられる人は、
どれぐらいいるのだろうか。
レールの行き着く先に駅。
旧横浜港駅プラットホーム(旅客昇降場)。
その歴史は簡単に説明出来ないので、
ウィキペディアへ譲ります。
港横浜の鉄道遺構に浸っている旨、
盟友のナレーター佐藤アサトにLINEで伝えると、
「横浜にいるのなら鶴見線の国道駅へ行ってみたら?」という提案が。
なにやら昭和臭がバリバリの凄い駅らしい。
ということで、行ってみた。
いやー、凄い。
ここが神奈川県横浜市であることが、信じられないぐらいの光景だった。
昭和5年(1930年)、鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道の駅として開業以来、
ほとんどそのまんまの状態らしい。
改札の斜め前にあった食事処「とみや」。
廃業して何年?
一方で、この日は店を閉めていたが、
現役店もあるようだ。
国道下。
汚い店には慣れている方だが、
入店するのはなかなか勇気がいる。
しかしながら、食べログでは3.53という高ポイント(2016年12月22日現在)。
さらに満員の日が多いというから驚きだ。
吉田類も訪問したことがある。
やきとりと謳っているが、刺身が美味いらしい。
国道下の左隣には民家が。
一見空家っぽいが、すりガラスから蛍光灯の明かりが漏れていたので、
住んでいる人がいるようだ。
ポストにも手描きの紙の表札が貼られていた。
さてこの国道駅、1945年5月29日の横浜大空襲の際に、
アメリカ軍機から機銃掃射を受け、その弾痕が残っているという。
再開発等により戦跡が消えていく中、
第二次世界大戦時の弾痕は、日本が戦火に見舞われた証として貴重だ。
これまでも、旧日立航空機立川工場変電所、神田の鎌倉橋、
多磨霊園を紹介してきた。
弾痕を見ずには帰れません。
国道15号(第一京浜国道)沿い、
国道駅に向かって右側に弾痕があるらしいので、
「これかな?」と思って写真を撮った。
よくよく調べたら、これではなく、
この上の中段の穴が弾痕でした。
しくじった。
再び高架下へ戻り、奥の方へと進む。
随分と細い抜け道のようなものがあった。
駅と家とを結ぶ地元民の生活道路なのだろうか?
反対側から撮った一枚。
なんとなく有楽町駅と新橋駅間にある高架下の通路、
インターナショナルアーケードに似ているが、
より薄暗く、異様な雰囲気を醸し出している。
昭和感溢れるシャッター街のインターナショナルアーケード
様々な点で異彩を放つ国道駅ですが、異臭も放つ。
トイレ。
久々に強烈な“ションペン臭さ”を嗅いだ。
トイレの周辺に悪臭が漂っている。
そして、こんな時に限って膀胱パンパン。
我慢できない。
仕方なく、思いい切り息を吸い込みトイレへ突入。
無呼吸で用を足す。
タンク満タンだった故に、まぁ、出ること出ること。
悶えながら放尿を終え、トイレから脱出。
そろそろ帰ろう。
Suicaの残額がほとんどなかったので、
記念の意味も込めて500円チャージ。
国道駅は昭和46年'1971年)から無人駅で、
自動改札もないが、簡易Suica改札機が設置されている。
自動発券機と簡易Suica改札機だけが、
国道駅におけるテクノロジーを感じさせてくれる。
改札を通ると階段。
鶴見線のウィキペディアに開業当時の国道駅の写真が掲載されている。
現在の階段の位置と真逆。
これは写真の反転?
階段を登ると鶴見駅方面へ行くための渡り廊下がある。
鶴見駅まで行き、そこから京浜東北線で帰るため、
この汚い渡り廊下を通る。
ホームに出てものの数分で、鶴見線がやって来た。
鶴見線はそれほど本数が多くないので、ラッキーだった。
さて、この鶴見線、鉄道ファンからは、
変わった駅が多いことで知られている。
2015年2月20日放送の「タモリ倶楽部」で、
タモリとオードリー、演歌歌手の徳永ゆうきらゲストたちが、
神奈川屈指のローカル線として鶴見線を紹介している。
※何故か合間合間に、ガンズの「Welcome to the Jungle」、
モトリー・クルーの「Girls,Girls,Girls」、
TOTOの「Rosanna」を使用。
ついでに映画『サイコ』も。
しかも番組貸切電車。
番組では1日3本しか停車しない大川駅、浅野駅、
浜川崎駅などが登場するのだが、
これ以外にも鶴見線には、秘境ともいえる駅が沢山ある。
目の前が海とか、東芝の従業員以外出られない駅とか。
またの機会に是非、“覚悟を持って”訪れたい。
まぁ、電車なければ、歩くよ。
※ただ東芝本工場の海芝浦駅は道がない…。
驚異の鶴見線を知ることが出来て良かった。
横浜、奥深い。