2017年の年明け2日、千歳烏山に住んでいる親戚の家で新年会があった。
14時集合だったので、
その前に親戚の家から徒歩圏内の世田谷区立千歳温水プールで、
初泳ぎをすることにした。
公式サイトにはバス路線の交通アクセスしか乗っていないが、
バスは時間が読めないし、乗り慣れていないので避けたい。
電車+徒歩が良い。
調べたところ吉祥寺からは、京王線の八幡山駅が一番行き易そう。
千歳温水プールは、八幡山駅から1.4キロぐらいのところある。
毎朝通勤時に6.5キロぐらい歩いている身としては、1.4キロはご近所さん。
(四谷駅から竹橋経由で皇居を回って銀座のオフィスに出社)
ということで、八幡山駅で下車。
世田谷区の町名に八幡山があるので、
世田谷区の駅かと思ったら、杉並区だった。
丁度、杉並区と世田谷区の区界。
杉並区内で不自然に突出しているところだ。
武蔵野市吉祥寺の自宅からちょっと歩いたら杉並区なので、
歩いて行くにはかなり遠い八幡山駅が、
杉並区ということに驚いた。
改めて東京都の地図を眺めてみた。
杉並区、広いね。
武蔵野市の倍以上あるんじゃないかな。
八幡山駅から細い道を南下すると、
すぐに通り沿いに廃アパート。
駅から数分ではなく、数十歩の距離、
しかもここは杉並区と世田谷区の区界ですぜぇ。
にもかかわらず廃墟がある。
アパートの前には、廃車が放置。
事故車?ってぐらい不自然に変形してしまっている。
きっとアパートのオーナーは既に他界し、
車の所有者も確信犯的にここに捨てていったのでしょう。
更に道を進むとまた廃アパート。
23区の中でも、富裕層が多い世田谷区内の物件なのに…。
大丈夫なのか、日本は。
この道は、環八の抜け道のようで、
細い割に交通量の多い。
歩行者的には、車がウザイ道を引き続き歩いていると、
T字路にぶち当たり、そこにまた廃アパートが。
都営八幡山アパート。
どうやら、この八幡山アパートの建替えを機に、
世田谷区はこの界隈の再開発を検討しているようだ。
人間と一緒で建物も老朽化を避けることは出来ない。
建替えとかは仕方がないと思う。
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ここに住んでいた人たちは、
住んでいた住居がなくなることに対して、
どのような思いを抱くのだろうか。
20年ぐらい前に自宅を建て直した時、
祖母がすごく寂しそうな顔をしていた。
旧家は築年数が相当経っており、大分くたびれていたので、
家が新しくなることに喜びを感じていたんだが、
今思えば、祖母は長年住み慣れた家が無くなるのが、
寂しかったのでしょう。
そんなことを思い出す。
一旦、環八を右手にかすめつつ、緑道へ。
緑道は十中八九、かつて川。
googleの「昔の川」で調べたら案の定、ここにかつて烏山川が流れていた。
烏山川は、氾濫することもあったようで、
昭和期後半に暗渠化が進んだ。
緑道を進むと、かつて古の人々がここを棲家にしていたことを教えてくれた。
八幡山遺跡。
縄文時代にこの地に集落があった。
そのまま緑道を歩くと親水公園。
じゃぶじゃぶ公園という名称。
夏場は水が流れ、水遊びをする親子で賑わうのでしょう。
水路沿いに手押しポンプを発見。
ボディに刻まれた「SUN TIGER」で検索すると、
手押しポンプの情報がすぐにヒットするが、
「SUN TIGER」がブランド名なのか、
手押しポンプの方式名なのかは、よくわからなかった。
このようなポンプはレトロで昭和な感じだけど、
今でも数社が生産をし続けている。
阪神・淡路大震災の際、
井戸水の重要性が再認識され、需要が増えたとのこと。
じゃぶじゃぶ公園を抜けると、
目的地の世田谷区立千歳温水プールに到着。
入場料を払い、着替えてプールに行くと、
正月だというのに結構な賑わい。
この日の朝、10キロぐらい走ったのもあり、
あまり距離は泳げなかった。
いや、ランニングに関係なく、
長距離のスイムがそもそも苦手なのだ。
自由形だと連続で泳ぐのは、50メートルが限界。
本当は全身運動で、体への負担も少ない水泳の方が良いんだけど、
走る方が好きだ。
千歳温水プールにはスパ的なものもあり、
そこでのんびりしたり、また泳いだり。
規模こそ小さいが、ウォータースライダーや流れるプールもある。
流石、世田谷区。
千歳温水プールから親戚の家へと向かう際、
環八を越える。
千歳台の交差点。
左側は芦花公園(都立蘆花恒春園)。
歩道橋から見た千歳清掃工場。
ここでゴミを燃やした際に発生する熱を利用して、
千歳温水プールの水が温められている。
煙突高さは、130メートルだが、
昭和30年夏の操業当時は、もっと低かった。
当時からゴミ処理場としては最先端で、
煙や塵の飛散を最小限に留めていたそうな。
環八を挟んだ反対側にも巨大建造物。
東京ガス廻沢のガスタンク。
かつてはこの界隈は、廻沢(めぐりざわ)という地名だったが、
昭和46年(1971年)に消滅しており、現在は粕谷。
しかしながら、今でもこのガスタンクは、
廻沢ガスタンクと呼ばれることが多い。
正式名称は球形高圧ガスホルダー。
一番最初に建設・設置されたガスタンクは、昭和31年6月に完成。
本体はアメリカで成形され、仮組立の後、
ここで2基組み立てられたが、当時のタンクはもうない。
今は全部で5基ある。
昭和36年のこの付近の写真が掲載された写真集
「1955-1964 写真で見る高度成長期の世田谷」が手元にある。
(数年前に世田谷郷土資料館で購入)
この写真集掲載のタンク建設当初の写真を見ると、
まぁ、長閑な田園風景ですわ。
このガスタンクに関しては、
コチラのサイトに素晴らしい解説が書かれています。
ここから数分歩いて、親戚の家に到着。
ローストビーフ、寿司、お雑煮、
そして、美味しいお酒をたらふく頂きました。
毎日正月だったら、体型がガスタンクになってしまうな。
さて、本記事ですが、当初全くブログに書くつもりはなかったのですが、
八幡山駅付近の廃屋、放置された車を見て、
都会、しかも世田谷区でこのような惨状は、
あまり知られていないと思い綴ってみました。