1月某日、原宿へ行った。
所用まで時間が少しあった。
そういえば、明治神宮へ参拝したことがない。
行こう。
デカい鳥居は良いねぇ〜。
広いということはなんとなく認識していたが、
参道が思った以上に長い。
そして、中国人が多い。
毎朝、出勤時に皇居の周りを歩いているんだけど、
二重橋付近で中国人の団体を見ない日はない。
明治神宮といい皇居といい、
彼らはこの地が何であるかを理解してやって来ているのだろうか。
まぁ、中国のトップや政治家がギャーギャー言っているだけで、
市井の人々には、あまり反日感情がないのかもしれない。
途中にあった明治神宮の縁起。
よく見ると、神宮の「宮」の上と下の口を繋ぐ「ノ」がない。
正式名称は、「ノ」なしの「宮」。
なぜ「ノ」がないのかは、
明治神宮の公式サイトに載っている。
明治神宮の鎮守の森は、大正4年(1915年)に造成を開始。
元々荒地だったが、全国から木々が奉納され、
約11万人にも及ぶ青年団によって植林され、
広大な森が出来上がった。
明治神宮の拝殿は、大正9年(1920年)に神霊として、
明治天皇と昭憲皇太后が祀られた。
都心とは思えない緑豊かな参道を歩く。
前日、少し深酒した影響で、
どうも腹具合がよろしくない。
トイレはないかと参道を歩いて行くと、
明治神宮文化館の奥にあった。
幸い個室が空いていた。
便器に座ると目の前に注意書き。
育った環境の違いって凄いよなぁ。
でもそれは外国人に限ったことではない。
小学生の頃の正月、鎌倉にある父方の祖父母の家に親戚が集まった。
祖父母の家とても広く、洋式と和式の2つのトイレがあった。
洋式の方のトイレへ行き、ドアを開けたら先客がいた。
親戚のおばさんだった。
そのおばさんは、洋式便器に逆向きに跨っていた。
つまりタンクの方を向いて座っていたのだ。
今でこそ洋式便所は当たり前だったけど、
その頃は和式便所の方が多かった。
きっと親戚のおばさんは、洋式の便器に慣れていなかったのでしょう。
ってか、鍵かけようよう。
と子供心に思ったことを思い出した。
そんな思い出を思い出すとともに、出すモノ出して参道に戻る。
菰樽(こもだる)の山。
明治天皇・皇后への奉納品だ。
菊正宗、月桂冠といったポピュラーなものもあるが、
大半はまるで聞いたことのない酒造の菰樽だった。
奉納された日本酒を全部飲んだら、痛風になっちゃうね。
日本酒の菰樽の対面にもアルコール。
こちらはワイン樽。
明治天皇は、西洋文化を積極的に取り入れた。
食文化においても洋食を食べ、
西洋酒の中ではワインを好まれたそうな。
これらのワイン樽は、
フランス共和国ブルゴーニュ地方のワイナリーから献納されたもの。
参道を進むと再び鳥居。
二の鳥居。
日本で最も大きい木造の明神鳥居。
大正9年に建てられた鳥居と同じ形式・寸法で、
昭和50年に建替えられた二代目。
二の鳥居から参道を歩くこと5分で、
ようやく南神門(みなみしんもん)が見えてきた。
とても綺麗ですが、
2016年に明治神宮鎮座百年記念事業の一環で、修復工事が行われたばかり。
がっ!!!!
この記事を書いている間の2017年4月4日(月)に南神門、二の鳥居など、
境内4カ所の柱に液体をかけられるという事件が発生!
1日に京都市の下鴨神社と奈良県吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)、
3日には沖縄県那覇市の首里城でも液体がかけられた跡が見つかっている。
誰じゃい!!!!!!!
こんなことをして何が楽しいのだろうか?
明治神宮は、4月だと16時50分に閉門となり、
境内へ入ることは出来ないから、
参拝可能時間内にやられたということだ。
目撃者はいないのかな?
監視カメラに犯人は映っていないのかな?
何にしても、憤りを感じる。
話を散策に戻す。
南神門をくぐると拝殿。
大正9年(1920年)に完成し、その後、昭和20年(1945年)4月、空襲で消失。
翌昭和21年(1946年)に仮の拝殿が建設された。
現在の拝殿は、昭和33年(1958年)建立。
(2017年4月20日頃まで、修復工事中)
アメリカ軍は皇居を空襲の標的にしなかったけど、
明治神宮には爆弾を投下した。
この差はなんだ?
なんとなくの個人的見解はあるんだけど、
まぁセンシティブなんで明言は控えよう。
拝殿の前には、大正9年(1920年)に植えられ、
大木に成長した御神木(楠)。
二本の楠が合体して巨大な御神木になっていることから、
夫婦楠として親しまれている。
参拝後、東神門から帰る。
北は拝殿があるから、神門は東西南の三つ。
明治神宮は、初詣の参拝者数日本一を誇る神社。
一体参道のどこら辺りから参拝者の列が出来ているのだろうか?
伊勢神宮、出雲大社に比べると、歴史的に日の浅い明治神宮が、
初詣参拝者数一位なのはなんでだろう?
都心だからか?
そして、今回は時間がなく、すっ飛ばしてしまいましたが、
パワースポットと呼ばれる清正の井など、見所はまだまだありそう。
まぁ、近いし、いつでも行けるんで、いつか行こう。
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2017年4月13日(木)追記。
本日、明治神宮内の建造物に油のような液体をかけたとして、
女性2名に逮捕状が出された。
2人は中国人。
経済新聞ニュース記事
増上寺、下鴨神社(京都)、首里城(那覇)など、
全国6件の液体被害も、この二人の可能性が高いようだが、
既に出国。
日本の警察は逮捕できないでしょう。
日本人だけでなく多くの海外の観光客が、
敬意を持って訪れる寺社や城に対して、
このような行為をするのは許し難い。
出国前に捕まえて欲しかった。
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2017年4月27日(木)追記。
先日、東京駅丸の内南口の真ん前にある博物館
「インターメディアテク」(東京大学総合研究博物館)へ行ってきた。
東京都千代田区丸の内2-7-2 KITTE 2・3階
東京大学が、明治10年(1877年)の開学以来蓄積してきた
学術標本や研究資料などを展示している博物館。
入場無料とは思えない程、充実していた。
展示物の中に、第二次世界大戦時、
東京がどれほど焦土と化したかを記した地図があった。
明治神宮の辺りを確認すると拝殿と一の鳥居が、
ピンポイントで焼失となっていた。
昭和20年5月24、25日、
後に「山の手空襲」と呼ばれる空襲があった。
2日間で約1000機のB29が来襲し、
新宿、渋谷一帯に6903トンの焼夷弾を投下、
4000人以上が亡くなった。
多分、この空襲で明治神宮の拝殿と鳥居が焼失したんだと思う。
鎮守の森は、燃えなかったのかな?