<千葉内房 記事一覧>
「千葉内房 PART1 保田駅〜日本寺参道」
「千葉内房 PART2 日本寺」
「千葉内房 PART2 日本寺」からの続き。
保田駅から日本寺の参道を歩き、
羅漢群を踏破した末に鋸山頂上エリア。
これは内房総、保田駅方面。
海と山に囲まれた地形は、鎌倉に似ている。
上の写真の巨石に登ってからの一枚。
浦賀水道、東京湾の入口、浜金谷駅方面。
富津館山道路と内房線の線路が見える。
対岸は、横須賀辺りか。
こうやって見るととても近く感じる。
視線をそのまま左に向けると、
また断崖絶壁に展望台が。
これが有名な地獄のぞき。
当然行きます!
柵を伝って、階段無しの岩場を登る。
一番後方のリュックを背負った男性が恒川光太郎。
柵がなくて、自然のままだった石垣島のマーペーに登頂したことのある身としては、
柵が景観を損ねている!と思ったが、
登ってみると鋸山の地獄のぞきは柵がないと危ない。
地獄のぞきから正面に目を向けると、名もなき低山地帯。
ここが関東地方の千葉県とは思えない。
地獄のぞきから眼下を見下ろす。
人がいる。
何か下にあるようだ。
近くにだいぶいっちゃっている展望台があった。
瑠璃光展望台というらしい。
ここから先程の地獄のぞきを見ると、
ウィキペディアや多くのサイトに使われている光景。
鋸山の象徴となるのが良くわかる。
先端部分がシロクマの顔に見えるのは私だけ?
で、本日は平日。
仕事のメールが気になり、
スマホから確認すると即対応必須案件が…。
有休の平日、鋸山から上司に電話…。
メールもスマホも携帯もポケベルもない時代、
人々はどうやって仕事をしていたのだろうか?
そんな時代を生きたんだが、どうだったか忘れちまった。
なんて思っていたら、
恒川光太郎がチョコのお菓子を差し出してくれた。
一瞬仕事モードになってしまった小生に対する気遣いか。
ここからトイレ目的でロープウエィ乗り場へ向かう。
階段途中にあったコンクリ壁。
不自然過ぎる。
軍事遺跡かも?
なんて思ったけど、違うかな…。
ロープウェイの手前に十州一覧台なる展望台があり、登ってみた。
浜金谷駅、金谷港、フェリーが良く見える。
標高はたかだが329.4mの低山だが、
その眺望は大変魅力的だ。
十州の州は、昔の国。
相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野国、
伊豆、駿河が一望できたことからこの名が付いたと思われる。
十州一覧台には、浅間神社が祀られていた。
浅間神社と言えば、富士山。
天気が良くて空気が澄んでいる日は、
ここから富士山が見えるそうなので、
浅間神社が建立されたのでしょうか。
浅間神社は至る所にあるけど、
割と小さいものが多いが、
鋸山の浅間神社は、かなり大きい。
十州一覧台には、もうひとつ目を引くものがある。
天啓聖蹟の碑。
解説板によると、
昭和6年(1931)6月15日、
世界救世教岡田茂吉教祖の受けた天啓を記念して建立。
なんでも岡田茂吉が弟子を連れて、鋸山に登り、
十州一覧台に立ったところ天に昇る光を見て、
「大宇宙の夜昼転換」という神の啓示を受け、
昭和10年に世界救世教を立ち上げたとのこと。
そんな縁があって、碑は昭和40年に建立。
新興宗教=カルト的なイメージがあるが、
世界救世教は、“ネットで調べた限り”そうではないよう。
ただ、岡田茂吉が脱税・贈賄の容疑で逮捕されたり(無罪判決)、
皮肉にも教団名が「救世」だからか、岡田茂吉が「急逝」したため、
内部分裂が起きたりとかあるみたい。
因みに『ブルース・ブラザース』は、
“I see the light!”の末、バンドを組みます。
因みに私は、ジョン・レノンの「GOD」という曲が信条です。
I don't believe in God
各々の信仰を否定するつもりは、全くありませんが、
世界史を学んだ身としては、
宗教は救済よりも争いを招くことが多いと認識しております。
それは現代でも変わらない。
恒川光太郎にトイレ確認をすると、必要なし。
小生も大丈夫そう。
なので、ロープウェイ乗り場には行かずに、
今しがた来た道を戻り、百尺観音を目指す。
緩やかな坂を上がっていくと分岐。
右が地獄のぞき。
左が百尺観音。
ここでロープウェイを使ってここまで来たと思しき年配の女性が、
足が悪いからか頂上へ行くのを躊躇していたので、
「そんなにきつい階段ではないから、頂上まで行った方が良いですよ」と声を掛ける。
こんな会話も山ならでは。
我々は左へと進む。
すぐ左側にあった階段。
だいぶイッチャっているけど、登った先は雑木林。
なんの階段なのだろうか?
垂直な石壁。
これも採石の跡のようだ。
通り抜けるとこれまた垂直な石壁に、
巨大な磨崖仏、百尺観音。
世界戦争戦死病没殉難者供養と交通犠牲者供養のため、
6年の歳月をかけて昭和41年(1966年)にかつての石切場跡に彫られた。
建立から半世紀なので、それ程古くなく、
歴史的な価値は低いのかもしれないが、圧巻である。
この場所は四方石切り場だったのだが、
百尺観音の対面に文字が彫られていた。
1937年8月10日に明大生が彫ったようだ。
どの時代にもバカはいるんだな。
ロープウェイで下山する予定だったが、
日本寺の反対側から浜金谷駅方面に自力で下山することにした。
以降、「千葉内房 PART4 鋸山登山道」へと続く。