<千葉内房 記事一覧>
「千葉内房 PART1 保田駅〜日本寺参道」
「千葉内房 PART2 日本寺」
「千葉内房 PART3 鋸山頂上エリア」
「千葉内房 PART4 鋸山登山道」
「千葉内房 PART5 浜金谷」
「千葉内房 PART5 浜金谷」からの続き。
東京湾観音へ向かうべく、浜金谷駅で内房線に乗車し、
15分ぐらいで佐貫町駅に到着。
保田駅、浜金谷駅と造りが似ている。
この辺の内房線の駅舎は、統一されているのかな。
ここから東京湾観音までは、2キロ。
移動手段は徒歩。
駅のすぐ傍、国道256号線沿いのパチンコ屋の廃墟。
人的な破壊や落書きが酷かった。
歩いている人は、ほとんどおらず、
自転車に乗った男性に追い抜かれただけ。
国道256号の交通量も少ない。
のどかなものです。
駅から500mほど進むと東京湾観音参道入口の案内板。
ここからはひたすら坂を登る。
暫くすると右手に鉄板のバリケードで覆われたトンネルが見えてくる。
心霊好きには有名な東京湾観音トンネル(観音隧道)。
yahoo!で検索窓に「東京湾観音」と打ち込むと、
「東京湾観音 心霊スポット」という予測検索が表示される。
高さ56mの東京湾観音には、腕と宝冠部分に展望窓があり、
かつてそこら身を投げる自殺者がたくさんいたと言われ、
それ故に心霊スポットとしても知られている。
その余波か、東京湾観音のお膝元にある、
このトンネルもバケトン扱い。
なんでも車でトンネルの中に入り、
クラクションを3回鳴らすと不思議な現象が起きるのだとか。
しかし、現在では通行が不可能なので、
検証することは出来ない。
バリケードの隙間から中を覗く。
大した距離ではないが、
崩れ落ちたとみられる瓦礫が見える。
ネットに上がっている東京湾観音トンネルの写真を確認すると、
少し前まで出入口には金網が置かれていたのだが、
一部、切られていて中に入れる状態だった。
崩落の危険を考えると、鉄板によるバリケードは止む無しか。
せっかくなので反対側へ行ってみる。
こちらもしっかりとバリケードが施されている。
上のプレートには「昭和33年12月竣功」と書かれていた。
「注意 先入車優先」という看板をみるに、
片道相互通行だったのでしょう。
バケトン呼ばわりされているけど、その手の恐怖感は皆無。
まぁ、夜来たらまた別な感情を抱くのかもしれません。
因みに恒川光太郎は、
この観音隧道にあまり興味を示しておりませんでした。
東京へ戻る電車の時間があるので、先を急ぐ。
東京湾観音トンネルから坂道を登ること15分。
ようやく東京湾観音が姿を現した。
なんかウルトラマンの世界に足を踏み入れたかのようだ。
手前にある建物は、高齢者住宅・憩いの里 オリーブ。
公式サイトに施設使用料金が載っていた。
敷金が最大320,000円。
月々の家賃が最大80,000万円。
月々の共益費と管理費で75,000円。
一食あたりの費用が、朝食400円、昼食600円、夕食700円。
朝昼晩、食べたとして、月の食費が52,700円。
月額207,700円。
年間2,492,400円。
払える老人がいるんだから、凄いよなぁ〜。
さて、東京湾観音に話を戻そう。
近くから見ても、遠くから見てもでかい。
背中には穴ぼこが。
この東京湾観音は、
深川で材木屋を営んでいた宇佐美政衛(うさみまさえい)が、
戦没者の慰霊と世界平和への想いを込めて、
昭和31年から5年の歳月をかけて、昭和36年9月に建立。
56mの高さを支えるため、
地下10mに16本の柱が埋められている。
観音様の胎内には314段の螺旋階段があり、
登ることができる。
当然、登る。
受付に行くと拝観受付は16時まで。
時刻を確認したらまさに16時だった。
あぶねぇ〜。
拝観料は大人500円なんだけど、
公式サイトに3割安くなる割引券があり、
携帯さえ持っていれば、実質350円で登ることができる。
受付で350円を払うと、
なんと来場記念として、お箸を一善プレゼントされた。
箸置きもセットになっており、
普通に買ったら350円以上しそうだ。
観音様、太っ腹!
受付横を通って、胎内へ。
2015年の秋に訪れた仙台の仙台大仏がそうであったように、
要所で仏様が出現。
時間が無いので、すっ飛ばした。
段々狭くなる階段を上り、
腕の部分にある展望窓へ到着。
観音様の影。
上を目指すと更に階段が狭くなる。
そして、梯子まで登場。
ちょっとした迷路みたい。
梯子を登ると穴が開いていた。
覗いてみる。
18階にある耳の穴の部分だった。
我々は耳くそ?
もう1階上ると宝冠部展望へ出られる。
富津岬方面。
写真だと解り難いが、
富津岬の先端の沖合に島が2つ見える。
この島は、海堡(かいほう)という防衛目的で人工造成された要塞。
東京湾には3つの海堡がある。
岬に近い方が第一海堡で、
明治23年(1890年)に完成した東京湾で最初の海堡。
左の方が第二海堡で、大正3年(1914年)完成。
第二次大戦後、連合軍により破壊され、
現在は立ち入り禁止。
国土交通省HPに海堡のページがある。
南方面。
下を見る。
柵があるとはいえ、足がすくむ。
もう少し景色を眺めていたいところだが、
電車の時間があるので、降りることに。
往路の時は先を急いでいたから気付かなかったが、
1階に戻ると東京湾観音を建てた宇佐美政衛の写真が、
プロフィールと共に掲げられていた。
建設時の写真も。
5年間に及ぶ工事だったが、一件の事故もなかったとのこと。
建立費は、昭和36年当時1億2千万円。
今だといくらなのでしょう。
外へ出て観音様を見上げ、カメラをズームしてみると、
先程いた腕にある展望部分が良く見えた。
東京湾観音を紹介するサイトの中には、
心霊スポット、珍スポット、B級スポット扱いしているものもあるが、
個人的にはとても面白かった。
さらば東京湾観音!
多分、もう来ることはないだろう。
この東京湾観音の近くに戦跡が幾つかあるらしく、
少し行きたい気持ちもあったが、
正確な場所が不明、藪を抜けていく必要がある、日没などを考慮し断念。
このまま佐貫町駅へ行き、東京へ戻ることにした。
佐貫町駅に東京方面の電車がくる10分前に到着。
特急わかしおのチケットを買おうと、
駅員のいる窓口へ行ったらなんと閉まっていた。
切符売り場もシャッターが降りていた。
なんてことだ。
周囲をよく見てみたら、こんなお知らせが。
佐貫町駅の1日平均乗車人数は、
1990年の890人以降、年々下降し、
2014年は3分1以上減となる281人。
駅前も閑散としていたし、
ほとんどの利用客がスイカ持っているだろうし、
このようなJR東日本の対応も致し方なしか。
特急わかしおの切符は、車内で購入することにして、
とりえずスイカを使って駅に入場。
やってきた内房線に乗り、蘇我駅でわかしおに乗換え。
わかしおの車内で無事に特急券を購入し、東京駅へ帰還。
双方帰宅するのに都合がよい新宿まで出て、
安い居酒屋でお疲れ様会。
恒川光太郎とは、昨年の鎌倉に続いて2度目のツアーだったが、
萌えるポイントが同じであることが多いし、
歩く速度やちょっとした間合いが丁度良く、
一緒に歩き回っていて楽しい。
後日、メールでやり取りした際に、
鋸山の光景が忘れられないと記していた。
こちらも同様だ。
良い思い出が出来て良かった。
第3回も実施することになるだろう。
さて、何処へ行こうか。
それにしても、アップするのにえらい時間がかかっちまった。
散策記を書く時は、撮影した写真を見ながら書く。
毎回、ついついシャッターを切ってしまい、
膨大な量の写真を撮ってしまうのだが、
今回はデジイチとiPhoneで撮影した写真の数がなんと425枚。
はっきり言って撮り過ぎなんだが、
それだけ撮影したいと思うポイントがあったってこと。
書くのも大変になるわけだ…。
特に機動力の高いデジイチを持っていくと写真の数が多くなる。
そして、そんなデジイチに事件勃発。
恒川光太郎と新宿で別れた後、
新宿駅地下を歩いていたら、背負っていたリュックが突然軽くなり、
すぐにガシャンという音が背後に響いた。
なんとカバンのチャックが、歩く震動によって開いてしまい、
デジイチが落っこちてしまったのだ。
カバンに荷物をパンパンに詰めていたがのが良くなった。
これによりデジイチのバッテリーを入れる蓋が破損した。
幸い撮影自体には支障はなかったが、
やはり愛用していただけにショックはデカイ。
これって…もしかして、東京湾観音の影響!?
いいえ、自分の不注意です…(涙)。