2017年07月20日更新

千葉内房 PART1 保田駅〜日本寺参道

2017年3月23日(木)、中学時代の同級生で作家の恒川光太郎と、
千葉県の内房方面に散策へ行ってきた。


「同級生」
「スタープレイヤー」(恒川光太郎)
「ヘブンメイカー スタープレイヤーII」(恒川光太郎)
「ディープツアー2016 特別編」
「無貌の神」(恒川光太郎)


かなり忙しい時期だったんだけど、
2017年度に繰り越せない有休がそこそこあり、
有休を没収されるのは癪だった。


そして、昨年、沖縄から東京に移り住んできた恒川光太郎からも、
「3月ぐらいにハイキング的なものは如何?」という打診があり、
「一日ぐらいなんくるないさー」ってことで強行。


行先は小生たっての希望で、
千葉県安房郡鋸南町と富津市の境にある鋸山にしてもらった。


正式名称は乾坤山(けんこんざん)。


良質な石材が採れるため、江戸時代から盛んに採石が行われ、
その結果、鋸のような岩肌になったために鋸山と言われるようになった。


数年前、ネットでこの山の存在を知って以来、
そのインパクト大の容姿に感動し、
いつか行ってみたいと思っていたのである。


ロープウェイで山頂まで登ることも出来るのだが、
ロープウェイの反対側には、日本寺という曹洞宗の寺があり、
巨大な大仏や数多の石像群を見ながら鋸山に登頂することが可能。


仏像大好き。
当然、日本寺側から鋸山の頂を目指すことに。


登って降りて、ビールを一杯飲みながら昼飯という流れがベスト。


乗換案内を使って、日本寺の最寄駅であるJR内房線の保田駅に9時頃着で調べるも、
やたらと時間のかかるルートやフェリーを使うルートなど、
ロクでもない検索結果ばかりが出てくる。


東京駅発の特急はないのか!特急は!!


結果、JR特急わかしお1号があった。


東京駅を7時15分に出発し、蘇我駅に7時52分到着。
そこから7時55分発の内房線に乗り換え、保田駅に9時13分着。


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これだ!


ってことで、6時50分に東京駅で恒川光太郎と待ち合わせし、
朝食用の駅弁を購入し、京葉線のホームからわかしお1号に乗車。


車窓からの景色を見ながら朝食を楽しみたい。
潮見駅手前で地下から地上に出たところで、駅弁を広げる。


本日の駅弁は、崎陽軒の炒飯弁当。


IMG_1038_RRr.JPG


この所、銀座から東京駅まで地下道を駆使して歩くことが多い。
その途中、KITTEGRANCHE(キッテ グランシェ)に崎陽軒の店があり、
通る度に崎陽軒の焼売が食べたいなぁ〜って思っていた次第。


かつて崎陽軒の焼売を食べる度に胸焼けしたので、
あんまり良い印象はないんだけど、焼売といったら崎陽軒。


幸い、この日は胸焼けすることなく、美味しく頂けました。


相棒の恒川光太郎は、スゲー量の朝食を食べていた。


前日、話のネタにと恒川光太郎のブログ「コウタライン」にアクセスしたら、
ページそのものが無くなっていた。


弁当食いながら、ブログが消えてしまった理由を聞いた。


公式ブログをアップグレードしようと思ったら、
誤って全データを消去してしまったとのこと。


そんな世間話をしていたら、
あっという間に蘇我駅に到着し、内房線に乗り換え。


通勤、通学の方々が沢山いて、そこそこ混雑していた。


乗った車両にトイレが完備されていて驚いた。


保田駅に近づくにつれ、車内は空き、
定刻通り9時13分に保田駅に到着する頃には、
乗客はかなり減っていた。


そして、保田駅は田舎だった。


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ホームに人がおらん。


駅前も閑散としていた。


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ウキペディアの乗車人数を見ると、
1991年の740人がピークで、
以降、ジリ貧で2015年度は277人。


かなりやばい数字だと思う。
過疎化が進んでいる。


保田駅から日本寺まで歩く。


以下、途中にあった撮影に値するモノたち。


内房線の元名川橋梁。


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鉄橋部分のプレートに2002年塗装とあるが、
それは橋の鉄の部分で、基礎となる煉瓦部分は含まれていないはず。


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煉瓦造りといえば、モダンな感じがするが、
それは銀座や横浜といった都会に限ってのこと。


モダンではなく、ノスタルジー。


その辺は恒川光太郎も同じ思いのようで、
橋の煉瓦部分を撮影しまくっていた。


続いて撮影に値するモノたちPART2。


風呂桶。


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菜の花と内房線を見ながら1日の疲れを癒す…わけもなく、
きっと不法投棄。


風化の末、なんであるのかわからない石像。


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その周りにある一品も奇妙。


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よくわからない壊れた像とサザエの殻と一円玉。


近辺の住民からも見捨てられたと思しき石像は、
なんだか見ていて切ない。


下手に位置する国道127号線越しに海を見ながら歩くと、
日本寺の表参道の入口である無字門に辿り着いた。


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読んで字のごとく、何も書いていないが、
寛政13年(1801年)という文字が刻まれている。


石柱の右側には民家があるが、
生活感がなく、もしかしたら廃屋かも。


無字門を過ぎてすぐ左手に、
雨水を逃すためと思しき排水溝があった。


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手前には門の石柱があり、
なんとも不思議な光景。


さらに石柱の裏に階段があった。


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なんのための階段なのだろうか。


そして、今度は地蔵尊が2体。


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1体は首なし地蔵。
もう1体は顔を斜め横に向けていることから、
見返り地蔵と呼ばれているらしい。


この地蔵尊から程なく日本寺表参道の階段が見えてくる。


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保田駅から一度も人と出会うことなくここまで来たのだが、
ようやく下山してきた男性と擦れ違い挨拶をした。


階段の右側には、入口が不明な墓地があった。


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誰のお墓なんだろうか?
無縁仏?


階段を登っていくと、眼下に完全なる廃屋。


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平成26年11月に空き家対策特別措置法が施行されてから、
住宅地の廃屋は、結構解体、再利用されているが、
この家に関しては、倒壊したところで誰も死傷しないし、
更地にしたところで有効活用できそうもないし、
このまま朽ちていくのかな…。


因みに自宅の近くに年季の入った空家が幾つかあったのですが、
ここ数年で解体され、今は真新しい家が建っておりました。


この先にある仁王門を目指して階段を登る。


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かなりの段数に見えるが、
ちょいちょい踊り場があるので、そんなに辛くはない。


途中には、蝸牛の形に似た大岩がある。


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あんまり蝸牛に似ていないような気もするが、
岩に這う木の根っこには、木々の力強さを感じる。


ここまでの道程で、すでにちょいちょい破壊された石像と出会ったが、
今度は胴体ちょんぱ。


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このような状態の石像を安置する意味はあるのだろうか?


既に見どころ満載の日本寺表参道ですが、
お次は弘法井(こうぼうのい)。

弘法大師が穿(ほじ)った井戸。


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「堀った」ではなく「ほじった」という表現なのはなぜ?


「千年未だ絶えず」


濁っているし、
ほじくったぐらいじゃ水湧かないでしょ。


日本寺は曹洞宗の寺なのになんで、弘法大師?


徳川三代将軍家光の時代に、真言宗から曹洞宗になったらしい。


仁王門が見えてきた。


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公式サイトによると元禄7年(1694年)の再建。


建立年は不明。


扁額(へんがく)には、日本寺の山号であり、
鋸山の正式名称である「乾坤山(けんこんざん)」と書かれている。


李氏朝鮮末期の王族、李ジュン鎔(イ・ジュンヨン)の揮毫(きごう)。


李ジュン鎔は、一時千葉県に住んでいたようなんだが、
なんで朝鮮人が筆をふるったのだろうか?


仁王像は慈覚大師(円仁)作。


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慈覚大師は、延暦13年(794年)生まれの貞観6年(864年)没。


日本寺の開山は神亀2年(725年)なので、
開基してから数十年後に作られたのかな。


平成16年に修復されているとはいえ、
本当に1200年も前に慈覚大師によって作られたものなのか?


仁王門をくぐると観音堂。


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この観音堂の左手に管理所があり、
拝観料600円を払う。


ここで恒川光太郎が、
内容は忘れたが、管理所のおばちゃんになんか質問していた。


以前、鎌倉の天園ハイキングコースを歩いた際も、
休憩所のおばちゃんに話しかけ、いろいろ情報を得ていた。


中学生の頃には知り得なかった恒川光太郎の気さくさを知る。


ここから本格的な日本寺参拝になるので、一旦切る。


「千葉内房 PART2 日本寺」に続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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