辰巳を起点にして、
門前仲町や山谷、東雲を散策した翌日も辰巳で用事があった。
7時過ぎに辰巳駅に着。
ここから約5時間暇。
前日はチャリを利用して広範囲を散策したが、
この日は辰巳から約3.5キロ離れたお台場へ徒歩で行くことにした。
これまで何度かお台場を訪れたけど、
未達成だったことがことがある。
1)台場公園にある砲台跡を見ていない。
2)レインボーブリッジを歩いて渡ったことがない。
これが本日の達成目標。
辰巳埠頭沿いの道を歩く。
日曜日の朝なんで、歩行者は皆無。
車の往来も殆どない。
東雲運河にかかる橋から、
ちょっと前に麓まで行った東京ゲートブリッジを撮影。
※参考記事
「辰巳起点散策12 若洲」
橋を渡ると東雲駅。
辰巳同様、周辺に食事処は少なく、
あるのはゆで太郎東雲駅前店ぐらい。
かきあげ丼セット、520円。
小諸そば派としては、味はともかく、
圧倒的にそばの量が物足りないんだよね。
りんかい線と首都高速の高架をくぐり国道357号線へ。
ここからまるで面白くない殺風景な道を歩き続けること30分。
お台場に到達。
前夜、少しお酒を飲み過ぎたからか、
腹具合が悪くトイレを探す。
運よくお台場デックスの駐車場内のトイレを発見。
ガラッガラの駐車場。
でも10時過ぎたら満車になるんだろうな。
出すモノ出してお台場海浜公園へ。
貸切!
ポケモンGOをやらなくなって約1年。
お台場は未だにポケモンGOの聖地なのだろうか?
おだいばビーチを歩き、台場公園へ。
今でこそ台場といえば、東京臨海副都心のお台場となるが、
そもそも台場とは、幕末に日本各地に設置された砲台が置かれた要塞の総称。
台場公園は、江戸幕府が黒船来襲に備えて建設した品川台場六基のうち、
第3番目の台場。
ペリーが浦賀に来航した翌月の嘉永6年(1853年)に着工し、
僅か1年3ヶ月で六基を完成させた。
(当初は7つ建設予定だったが、第七台場は未完)
砲台が置かれている台場という名の通り、
ちょっとした高台になっている。
階段の脇に「公園内で、鳥など動物の死骸を発見した場合は、
手を触れずに公園管理事務所までご連絡ください」
というお知らせがくくりつけられていた。
そういえば、前日に行った新木場緑道公園にも、
同じようなお知らせが掲示されていた。
階段を上り、高台に立つと台場公園がすり鉢状である事が分かる。
台場公園には砲台跡以外にも遺構が残っている。
それらは階段を下りた平地にある。
弾薬庫跡。
台場公園には、全部で5つの弾薬庫跡がある。
雑草や鉄条網に阻まれ近づけない弾薬庫跡が殆どが、
中には潜入出来るものも。
石垣の組み方がしっかりしていて、隙間がない。
幕末当時そのままではなさそうだ。
昭和3年に公園として開園された時か、
90年代半ば、フジテレビがお台場へ移った頃に、
整備されたのかもしれない。
平坦な窪地の中央部分にあるのが、陣屋跡。
品川第三台場から大砲を打つことはなかったが、
ペリーが2回目に品川沖へ来航した際、
戦闘員が配置に就いた可能性はある。
もしかしたらこの陣屋跡で、作戦会議が開催されたかも。
陣屋跡の反対側から。
幕末の遺構とフジテレビ社屋。
全くを持って個人的な見解ですが、
江戸幕府とフジテレビって似ている。
家康が江戸に幕府を開いた時、
その地は湿地帯が多く、都とは程遠かった。
フジテレビが牛込からお台場に転居すると決めた時、
今ほどお台場は栄えておらず、ザッツ埋立地だった。
共にそんなところに拠点を作る?と思わせておいて、
結局、根城にした地域は繁栄した。
暫く平静。
長期政権。
しかし、江戸幕府が黒船来航によって平穏が打ち砕かれた様に、
フジテレビも新しい波に飲まれる。
フジテレビのch番号である8は、
地デジによってリモコンボタンの最後の番号となり、
新聞・TVガイド誌の番組表(ラテ欄)では、目立たない一番右。
更にHulu、ネットフリックスといった映像配信の“黒船”的サービスが勃興。
デジタル放送と配信のダブルパンチを食らってしまった。
後者に至っては、どの地上波も同じ境遇なんだけどね…。
今の若者のテレビ離れは相当だと思う。
テレビを見ずにスマフォやタブレットで動画を視聴するのが当たり前のご時世。
それはこれからも続く。
台場公園の奥にある階段を上り、土手へ。
そこには2基の砲台跡。
大砲が放たれることはなかったが、
ペリー率いる黒船軍団にとっては脅威となり、
嘉永6年(1854年)の二度目の来航時に横浜まで引き返してる。
砲身が向けられた方向。
現代だと船の侵入は難しそうだ。
ペリー来航時に設置された砲台の一部が、
こうして残っているのは凄いことだなぁと、
この時は思っていた…。
しかし、この記事を書いてる最中に、
砲台跡が江戸時代のものではないことを知る。
これレプリカなんだ…。
結構ショック。
「大砲」で検索するとウキペディアに、
品川台場に設置されたカノン砲の画像が出てくるし、
神奈川県立歴史博物館に展示されている事が分かった。
土手の上から北東側(フジテレビの方)を見ると、
遺構らしきものがあった。
古い礎石の様なものも確認できる。
先の説明板には何も書かれていなかったが、
何かの施設跡なのだろうか?
台場公園の北側からの一枚。
パンピーは上陸不可能な第六台場とレインボーブリッジ。
後で渡るぜレインボーブリッジ!
それはさておき、ここで問題。
横浜ベイブリッジ、レインボーブリッジ、
開通したのはどっちが先?
簡単か?
横浜ベイブリッジ:昭和55年(1980年)着工、平成元年(1989年)開通。
レインボーブリッジ:昭和62年(1987年)着工、平成5年(1993年)開通。
横浜ベイブリッジの長さは、860m。
レインボーブリッジは、798m。
レインボーブリッジは、芝浦側のループ橋や、
台場側のアプローチ部を加えるともっと距離は延びて1キロを超える。
となると実質、横浜ベイブリッジよりも長くなるんだけど、
横浜ベイブリッジは、完成まで9年という年月を要しているのに対して、
レインボーブリッジは、6年と短い。
架橋の技術の進化なのかな?
話を台場公園へ戻す。
一旦、土手を下りてみると、危険立入禁止区域登場。
「護岸に陥没箇所があり、大変危険です。」
もちろん安全第一です。
2011.3.11、及び2020年の東京オリンピックの影響によって、
このような立入禁止処置や都市再開発が進み、
人命が守らているのかもしれない。
でも整備されればされるほど、人間の野性的な能力が退化するような気がする。
個人的には自動車の自動運転は、超反対。
また話が逸れた。
再び階段を上り土手にあがるとベンチに気になる物体が。
最初は魚の開きかと思ったが、
よく見ると鳥の死骸。
「公園内で、鳥など動物の死骸を発見した場合は、
手を触れずに公園管理事務所までご連絡ください」
そんな貼紙を思い出す。
台場公園を満喫し、本日の目標1をクリアしたので、
2つ目の目標であるレインボーブリッジを歩いて渡るに挑戦。
レインボーブリッジの遊歩道の台場口へ行くと…
開いて無いじゃん!
管理事務所の貼紙によると、
レインボーブリッジ遊歩道は、常時利用できる訳ではなかった。
夏季(4月〜10月)9:00-21:00
冬季(11月〜3月)10:00-18:00
この時、9時6分。
夏季だったら…。
辰巳に戻るという選択肢もあったが、
戻ったところでなんもないんで、
ここは初志貫徹。
1時間弱時間を潰さなくてはならない。
近隣の商業施設は、まだ空いていないし、
営業していたとしても金がかかる。
仕方なく近くのベンチに座り、
スマホでジグソーパズルのアプリを立ち上げる。
小さい頃からジグソーパズルが大好きだった。
小学生の時に2000ピースにもチャレンジした。
今でも地元のヨドバシカメラのジグソーパズルの売り場へ行くことがある。
家でやる時間もスペースもないんで、結局、買わない。
ということで、通勤時間の車中、アプリでやっている。
会社の同僚にそのことを告げたら、
「電車の中で、横の人がパズルやってたら引くわぁ〜」と言われた。
まぁ、そうだろうなぁと思いつつ、今でもやっている。
お台場のベンチでピースを噛み合わせていると、
スマホの画面に白いものが付着した。
なんと雪がちらつき始めた。
周りを見渡すと晴れ間ものぞいていたので、
局地的な天候なのでしょう。
解り難いけど、手袋の指先の白い砂糖みたいなものが雪。
そんな状況で待っていると、
そろそろレインボーブリッジがオープンする時間に。
以降、「辰巳起点散策14 PART2 お台場 レインボーブリッジ」へと続く。