建国記念の日、生まれて初めて所用で小岩駅に降り立った。
明治32年(1899年)開業なので、約120年の歴史を誇る駅だ。
大和時代、養老5年(721年)の古文書に、
「甲和里(こわり)」という集落がこの地にあったという記述があり、
「こわり」が訛って「こいわ」になったと言われている。
小岩って千葉県のイメージがあったんだけど、東京都江戸川区。
北口を出ると、駅前のイトーヨカドーの前で、
日焼けした痩せたオッサンが座り込んで煙草をふかしていた。
あんまりガラはよくない印象を持ったんだけど、
この記事を書き始めた翌日に事件は起こった。
「小岩駅付近で刺傷事件 中国人が刃物で切りつけられ重傷 外国人が逃走」
更に近年だと2017年8月30日、
18歳の少女が、交際中の19歳の少年に別れ話のもつれから刺されている。
「東京・小岩10代カップル「白昼の修羅場」刺された少女血まみれ絶叫」
治安悪いのか?
江戸川区の公式ホームページによると、
区内犯罪発生率は15年連続で減少しているようだ。
そんな小岩駅の北側には、大好物の商店街があった。
西小岩ストリート。
北口なのになんで西?
と思ったが、駅を中心に考えると確かに北西だ。
小岩での所要は、午前中で終わる予定なので、
後で商店街を攻めてみよう。
商店街入口(出口?)の近くにあった奇妙な表札。
高橋発明研Q所。
なんだこれは?
詳しくは、「よい子はマネしないでね」で検索!
(てか、リンク先に飛ぼう!)
この辺は住宅街なのですが、
アパートの一角に大根が栽培されていた。
小岩恐るべし。
予定通り、午前中で所要を終えた。
昼飯を食べよう。
どうせなら地元に根差したお店で食べたい。
この思いは小岩に限らず、
訪れた土地全てに対してあるんだけど、
一番の問題はタバコ。
チェーン店は禁煙・分煙が進んでいるが、
個人経営のお店は未だに喫煙OKが多い。
これまでの散策でも、
ザッツ地元の良い感じの店であるのにも関わらず、
店の内部を覗いてテーブルの上に置かれた灰皿を見て、
入店しなかったことが多々ある。
でも折角、小岩まで来たんだから、
地元の店が良いよねぇ〜ってことで、
西小岩商店にあった、明らかにチェーンではない、
「定食・中華 サンゴ亭」へ。
ガラガラッと引き戸を開けると、
結構な人数のお客さんがいて、タバコをくゆらしていた。
特に目立ったのが、店内中央のテーブル。
柳亭市馬師匠に似たオジサンともう一方が、タバコを吸い、
ビールを飲み、ツマミをつつきながら談笑していた。
タバコ…。
やっちまった…。
しかしながら、なんらかの換気システムが働いていたのか、
あまりタバコの煙を感じなかった。
さてさて注文。
鮭定食。
値段は忘れたが、500円台だったかな。
定食を食べ始めた頃、
店内中央の柳亭市馬師匠に似たオジサンが、漬物を頼んだ。
注文した一品が美味そうだったので、
凝視していたら、オジサンが、
「食べなよ!」とお裾分けしてくれた。
ありがたやぁ〜。
会計を終え、店を出る際に御礼を述べると、
「美味かっただろ?また来なね!」と言ってくれた。
タバコは嫌だけど、
それを上回る人情を感じました。
サンゴ亭を出て、駅の反対側へ。
こちらの方が商店街が充実している。
「ふれあいの街 サンロード」
「おいおい!アーケードでサンロードといえば吉祥寺だろう!」と、
吉祥寺地元民は思う訳ですが、
よくよく考えるとアーケードがなく、
太陽の陽を浴びるこちらの商店街の方が、
その名に相応しいような気がしてしまった。
どれだけ活気があるのかを確認すべく、
小岩のサンロード商店街を歩いてみる。
駅の近くは多少活気を感じたが、段々寂しくなる。
山谷のいろは会ショップメイトほどではないが、
シャッターを下ろした店が幾つか見受けれた。
この先も商店街は続いていたが、
小岩駅方面へ引き返し別の商店街へ。
昭和通り商店街。
ふれあいの街 サンロードよりも人通りは多い。
おかしのまちおかやセブンイレブンなど、
見慣れた店舗もあるにはあるが、
個人商店と思しき店もありいい感じ。
しかしながら、シャッター商店街以上に凄惨な光景も…。
これ以外にもシャッターを下ろしている建物があった。
幸い地元・吉祥寺の商店街は、
サンロード、ダイヤ街といったアーケード、中道通り商店会まで、
ここまで朽ちた店舗はない。
小岩の昭和通り商店街の終着点近くで、
やや異様な光景に出くわした。
ディスカウントブティック「BE」という洋服屋の側面に吊るされた、
マネキン型ハンガー。
「俺の腹もこれぐらい凹んでいればなぁ」と羨望の眼差しを向ける。
なんと店先には「ご自由にお持ちください」。
タダでもらってくださいのレベルってことは、
側面のハンガー群は、店終いの際に取り込まれないままなのだろうか?
薄暗い夜にマネキン型ハンガーが吊るされているのを見たら、
ちょっと怖いかもしれない。
駅前に戻り、南南西方面を貫くアーケード商店街フラワーロードを散策。
古くからある商店街で、以前は吹き抜けで、
昭和27年にアーケードが完成している。
全長800m強に及ぶ商店街には、気になるお店が幾つかあった。
かつおぶし専門店「河内屋」。
乾物屋は見たことあるけど、
かつおぶし専門店は、初めてかも。
見るからに老舗なんだろうなぁと思いつつ、
調べてみたところ創業80年以上。
すげぇなぁ〜。
きっと高級割烹料理屋とかに卸しているのでしょう。
そういえば、ガキの頃、祖母に頼まれて、
かんなでかつおぶしを削ったなぁ〜。
少しだけ削ったかつおぶしをつまみ食いさせてもらった。
口に含むと甘じょっぱい風味が口内に広がる。
魚の中でもカツオは好きな部類に入るのは、
幼少時代のこの経験に拠るのかもしれない。
続いては珍リサイクルショップ。
買う人いるのか!?
長いフラワーロードを踏破し、千葉街道へ出た。
千葉街道を南下して、新小岩駅まで歩くことにした。
途中にあった二枚橋という標識。
この先に川(新中川)があり、橋が架かっているが見えたので、
その橋が二枚橋かと思ったら然に非ず、普通の橋だった。
きっと今は無き川と橋がここにあったのだろうと予測。
この記事を書くにあたって、二枚橋の由来を調べたら、
その名の通り二つの橋が川に架かっていたんだが、なんと戦後、
この地帯に画期的な進駐軍向けの慰安所があったというではないか。
詳しくはコチラのサイトへ。
「田んぼの真ん中にあった慰安所 小岩・東京パレス」
この記事が掲載されている「レトロな風景を訪ねて」というサイトが、
https://retro.useless-landscape.com/
なかなかアッシの琴線に触れる。
全国各地を訪問してレポートを書いている。
凄いなぁ。
お気に入りに登録した。
戦後この界隈が赤線地帯だったなんて露とも知らず、
新中川に設けられた小岩大橋を渡る。
そのまま取り立てて目を引くものがない千葉街道を歩く。
すると菅原橋という交差点に辿り着いた。
写真では全体を撮ることが出来なかったんだけど、
細い道も合わせると、なんと11差路(10差路説あり)。
こんな交差点見たことない。
ウィキペディアの多叉路(たさろ)にも載っている。
菅原交差点から新小岩駅を目指して、
11本の道のうち北北西に進路を取る。
普通の住宅街なんだけど、
全方向道に囲まれた家とかがあった。
共産党の吉良よし子のポスターは、近所の民家にも貼られている。
因みに「忠臣蔵」で有名な三河吉良家とは、
関係ない家柄とのこと。
ここから20分ほど歩き、新小岩駅に到着。
初めて訪れたが、なんとなく蒲田と雰囲気が似ているように感じた。
言ってしまうと、ゴチャゴチャしていて、
昭和の場末的な臭いを発している。
ディープなところもありそうな街なので、
歩き回りたいところだが、
この後16時までに飯田橋へ行かなくてはならない。
散策は断念したが、
新小岩駅と小岩駅の間には、ちょっと気になるスポットが存在する。
それは、新小岩信号場駅。
辰巳散策で度々登場した越中島貨物支線の発着駅だ。
<関連記事>
「辰巳起点散策6 東陽町」
「辰巳起点散策11 JR総武本線越中島支線〜砂町銀座商店街」
DE10形ディーゼル機関車が拝めるかも。
ということで、北口側に回り線路沿いを進むと、貨物列車が停車していた。
「形式ホキ800」と書かれているので、
ネットで調べてみたら正式名称は「国鉄ホキ800形貨車」らしい。
その形状から、枕木を安定させるための砂利を運搬する貨物車かと思ったが、
その実、軌道保守用車両だった。
よく見ると車体に越中島貨物駅常備と書かれている。
再三にわたり行っている辰巳界隈との接点を見いだせ、
ひとり感慨に耽る。
「国鉄ホキ800形貨車」の奥には、
貨物車両を引っ張る先頭車両が停車していた。
「牽引貨物 EF641036」という電車のようだ。
すると汽笛が“ピー!”と鳴り響き、
「牽引貨物 EF641036」が接続車両を切り離して前進。
そのまま新小岩駅方面へと消えて行った。
そろそろ飯田橋へ向かわないといけない時間だったので、
新小岩駅の方へと歩いていると、
なんと「牽引貨物 EF641036」が戻ってきた!
もしかしたら「国鉄ホキ800形貨車」と連結するのかも!?
と興奮したが、その後、どうなったかは不明…。
すぐにやって来た総武線に乗り、飯田橋へ。
以上が、小岩の散策記になるのですが、
実は初訪問地の散策記は久々。
昨年夏の北陸旅行以来。
もっというと全く目的のないブラブラ歩きだったので、
まさに【散策の部屋】という名に相応しい散策だった。
「慰安所 小岩・東京パレス」が最大の収穫だった。