父がこの世を去ったのは、2006年12月のこと。
享年62歳。
死因は腎盂がん。
肝臓に転移しており、死んだ年の4月にがんであることが判明した時点で、
既に末期がん。
病院で担当医師から余命いくばくもないと告げられ、
父にばれないように泣いた。
誠実で優しくて、それでいて男気があって熱い。
そんな父親像だった。
高校生になった頃から、両親はなんとなく別居状態であり、
社会人になってからは、父が家にいることは殆どなかったが、
事あるごとに気にかけてくれた。
しかし、がんが見つかってから死ぬまでの間に、
父が立ち上げた事業の失敗を筆頭に、金銭、対人など様々な問題が発覚。
父も男だし、私もガキではなかったので余程のことでは驚かないが、
背徳行為は想像以上だった。
父の死よりもそちらの方がショックで、
父の葬儀では泣かなかった。
葬儀は、親族だけの密葬にしようと思ったのだが、
父の古くからの友人たちからの強い要望があり、
父と懇意だった方々数名には参列してもらった。
誰だったかは覚えていないが、
突然の訃報に戸惑ったのか、棺の中の父の亡骸に向かって、
「なんで死んじまったんだよ!!」と、
泣き叫ぶ父の友人を冷めた目で見ていた。
お清めの席で、父の友人たちに、
「お別れ会を開催するから、一之君、是非出席してね」と言われたが、
前向きになれない心情を察してくれたのか、その後、お声はかからなかった。
父の遺骨は、
祖母と祖父が眠る横浜市金沢区にある八景苑のお墓に納められた。
死後の整理も本当に大変だった。
負の遺産が多く、相続でもめた。
姉の旦那とは意見の相違で、険悪な雰囲気なってしまった。
身内同士の諍いは堪えた。
父親みたいにはなりたくない。
自分の死に際は美しくありたいと思った。
父に対する義憤が募りばかりで、納骨の後は、
あまりお墓参りには行かなかった。
そんな感情とここでは書けない諸事情により、
母と姉と協議した結果、
数百万円を支払って父の墓を永代供養することにした。
更にマイカーを手放したこともあり、
父の墓に足は遠のくばかりだった。
しかし、「時」というのは偉大で、
段々と父の不徳に対する怒りは薄れていった。
むしろ、ここ数年の自分の心境とかつての父の状況を照らし合わせて、
父が何故あのような行動を取ったのか、
わからんでもないなと思うようになった。
勿論、全て肯定は出来ないが、そうなってしまうのも仕方がないかなって。
そして、父が生前、私に対して発した、当時はピンとこなかった言葉の数々が、
まるで預言者かのように今の自分を言い当てている。
すげぇな、親父。
父は息子である私が、どのような人間であるか知っていた。
母よりも知っていたと思う。
今、父と話したい。
しかし、それは叶わぬ夢。
せめて墓前でという思いが募る。
仕事は多忙を極めていたが、
年度末で消滅する有休消化も後押しとなって、
2018年3月27日、休みを取って亡父の墓参りへ行くことにした。
以降、「六浦〜田浦〜鎌倉 Part2 八景苑」へと続く。