2018年07月26日更新

六浦〜田浦〜鎌倉 Part5 田浦

<六浦〜田浦〜鎌倉 記事一覧>
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part1 序章」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part2 八景苑」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part3 鷹取山」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part4 がらめきの切通し」




「六浦〜田浦〜鎌倉 Part4 がらめきの切通し」からの続き。


隆昌で腹を満たし、JR田浦駅へと向かう。


1〜2年前にyahoo!ニュースに「都心から最も近い廃村」として、
田浦が紹介されていた。


“廃”フェチとして一度訪れてみたかったのだ。


横須賀街道を歩き出すと、すぐに仲通商店街。


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シャッター商店街の臭いがする。


商店街に寄り道すると…シャッターだった…。


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シャッターに落書きがないし、朽ちた建物もない。


綺麗な商店街だったが、まるで活気がない。


寂れた商店街を見る度に、
日本の何かが確実に終焉に向かっていると感じる。


横須賀街道を進むと、
ほどなく景徳寺の近くのトンネル。


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新船越隧道。


突入。


新船越隧道を通り抜け、
何気なく振り返ると廃トンネルと慰霊碑があった。


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トンネルは金網が施されているし、
隧道内に不法投棄物が散乱しており、
とても中に入れる状況ではなかった。


しかし、このトンネルに潜入した猛者がいた。


平沼義之。


「山さ行がねが」の管理人。


前から凄い方だと思っていたが、
旧船越隧道の突入レポを読んで、
本当に凄いなって。


いつかお会いしたい。


トンネル手前の慰霊碑には、
「大正12年大震災 殃死者群靈寶塔(おうししゃぐんれいほうとう)」という
文字が刻まれていた。


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関東大震災で亡くなった方々の供養塔で、
震災の1年後である大正13年(1924年)9月1日に建立されたもの。


横須賀市も震災の被害は甚大で、
多くの人たちが犠牲になっている。


その被害規模は、「はまれぽ.com」というサイトが詳しい。


続いて、本日のオオトリ、田浦の廃村へ向かう。


横須賀街道、田浦五丁目交差点の先、
入口にアーチのある道を右折。


かつてはちょっとした商店街だったことを匂わせる、
あまり人気のない住宅街を歩く。


京急本線の高架トンネルをくぐってすぐを左折。


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この踏切の先に田浦廃村があるはず。


地図で見る限り、田浦廃村は袋小路になっており、
廃村目当てでないとまずここには来ない。


勿論、廃墟の中に立ち入るなど、
不法侵入行為をするつもりはないが、
地元の人たちは、私の様な見学者をよくは思わないだろう。


ちょっとドキドキしながら、踏切を渡ると…。


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入口封鎖!!!


真新しいオレンジの柵に貼られた紙を確認すると、
平成30年2月9日にバリケードが設置されたようだ。


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昨年の9月頃に散策仲間のナレーター・佐藤アサトと、
田浦廃村訪問計画を立てたが、
小生の方のスケジュールの調整がつかず断念。


あの時に行っていれば…。


この手の物件は、行ける時に行っておかないと、
どんどん立入禁止、取り壊しになってしまう。


早速、佐藤アサトのLINEへ、
田浦廃村の入口封鎖の一報を入れると、
「突破せよ!!」との指示が。


いやいや、捕まるから。


ぶっちゃけ、バリケード低いし、
頑張れば左横から突入できそうだんだけどね。


まぁ、すぐに不届き者によって一部破壊され、
侵入が可能になるに違いない。


因みに田浦廃村は、いくつかハイキングコースからの入口があるのだが、
それらすべてが同じように封鎖されたようだ。


それにしてもなんで廃村になったのか…。


1999年頃、開発のため住民が立退きになったということらしいが、
ネット上に転がっている数多の田浦廃村の写真を見るに、
かなりの家屋で家財や生活用品の放置が見受けられる。


まるで夜逃げ。


で、こちらの「限りなく透明に近いブログ」というサイトで、
その原因を究明していた!


このブログに掲載された一枚の写真。
家屋の扉に書かれた文字…。


「私達の工場で作られた××有我投御座います
 尊師様麻原昇公(御買上)
 平成十一年X月X日横須賀にてアルマゲドン実行
 アーチェリー様 オウムは永久に不滅だ」


麻原彰晃の漢字間違っているし、
アーチャリーじゃなくて、アーチャリーだし、
御買上(おかいあげ)とか舐めてるし、
たんなるいたずら書きだと思いますが…。


メインディッシュに有りつけず落胆しながら踵を返すと、
踏切を渡ったところでバイカーと擦れ違った。


きっとこのバイカーも、
封鎖されていることを知らずに来たのだろう。
すぐに引き返してきた。


なんかこのまま帰れない…。


グーグルマップを見ると近くの静円寺踏切に、
轢死者溺死者追弔塔があるようなので行ってみた。


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先の大正12年大震災 殃死者群靈寶塔と同じ、
大正13年(1924年)9月1日に建立されたものらしいが、
こちらの碑の方が、風化がかなり激しい。


関東大震災によって起きた、
横須賀線沼間トンネル崩落による犠牲者を弔う轢死者溺死者追弔塔に関しても、
「はまれぽ.com」が詳しい。


踏切から横須賀街道へ戻るとすぐに静円寺があった。


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静円寺の近くには、馬頭観音堂。


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庚申塔のようなものも安置されていた。


それにしても、このまま帰るのが悔しい。
佐藤アサトからはLINEで猿島を提案されたが、
時刻は15時で、これから行くにはチト厳しい。


仕方なく田浦駅の方へなんとなく向かっていたら、
素敵なレンガ造りのトンネルが。


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よーく見るとトンネルの上にハイキングコースのような道が見える。
ハイキングコースへ至ると思しき階段も!


階段は踏切を渡る前にスルーした神明社の境内の裏手に位置する。


行ってみよう!


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行けなかった…(涙)


空振り連発で、疲労も倍増。
重い足取りで田浦駅へ向かう。


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田浦駅の1日平均乗車人員数を調べるにあたり、
初めて知ったんだけど、
横須賀線の正式区間は、大船駅〜久里浜駅なのですね。


えっ?東京駅〜久里浜駅じゃないの?って。


東京駅〜大船駅区間の正式路線名は、横須賀・総武快速線。


で、ウィキペィアによると、
田浦駅の1日平均乗車人員数は年々減り、
2017年は2,292人。


横須賀・総武快速線と横須賀線の駅の中で、最低人数。


因みに、お隣の横須賀駅は、意外と少なく5,289人で、
同じくお隣だが圧倒的に知名度の低い東逗子駅の5,136人と大差ない。


横須賀線区間で最も少ない1日平均乗車人員数を誇る田浦駅ですが、
駅としてはとても個性的だと思った。


横須賀駅、衣笠駅、久里浜駅へ行ったことがないので、
断言できないけど、横須賀線の駅の中で存在感は一番なのでは?


それはホームに降り立つと判る。


横須賀、衣笠駅方面のホームと3つのトンネルが直結しており、
しかもその1つが廃トンネル。


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七釜トンネルという名称で、真ん中の白い煉瓦造りのトンネルは、
明治22年(1889年)の横須賀線開通時に完成した最も古いトンネルだが、
電化に伴い大幅に改修されてしまったそうだ。


一番右の煉瓦で造られたトンネルは、
複々線化に伴い関東大震災から1年後の大正13年(1924年)に建設。


一番左のコンクリート製の廃トンネルは、
戦時中の昭和18年(1943年)に、海軍の要請で造られた軍需輸送専用の引き込み線。


戦後は相模運輸倉庫が保有する貨物専用線として使用されていたが、
1998年に廃線になっている。


横須賀に多く残る戦跡のひとつ。


田浦駅は、明治、大正、昭和の三代に渡るトンネルを拝めるのだ。


さらに反対側の鎌倉・逗子方面にも2つのトンネルがある。


IMG_3273_RRr.JPG


田浦トンネル。


七釜トンネルと同様、右側、下り線のトンネルは、
明治22年(1889年)開通で、今でも一部その建設当時のものが使われている。


左のコンクリ色の煉瓦で造られたトンネルも、
七釜トンネルと一緒で、複々線化のため大正13年(1924年)に開通している。


左右をトンネルで挟まれている駅自体が珍しいと思うんだが、
箱根登山鉄道の塔ノ沢駅とかもそうだ)
田浦駅のユニークさはこれだけではない。


横須賀線の車両よりもホームの長さが短いため、
列車の一部の乗車ドアが開けられず、乗降できない車両があるのだ。


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このような一部のドアからのみ乗降させる措置をドアカットといい、
首都圏近郊の駅では、東武伊勢崎線の浅草駅、東急大井町線の九品仏駅、
江ノ電の腰越駅など数えるほどしかない。


ホームで電車の到着を待っている間、田浦駅を調べてみたら、
周辺に廃線跡が残っているようだ。


「桜山軽便鉄道・雑記帳」
(このブログで紹介されている廃線跡の多くは、恐らく現在消滅している)


田浦駅を訪れることは、多分、もうない。
見ておきたいところだが、丁度、上り電車が到着。


横須賀線の本数が少ないというのもあり、
来た電車に乗り込んだ。


以降、「六浦〜田浦〜鎌倉 Part6 鎌倉」へと続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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