2014年7月、松陰神社駅最寄の国士舘大学での所要の合間に、
三軒茶屋まで行き、レンタルサイクルで、
下馬、池尻、代田橋にある団地や戦跡、玉川上水の遺構などを見て回った。
【関連記事】
「【掘り起し企画】下馬〜池尻大橋〜代田橋〜若林 2014」
あれから4年。
2018年4月初旬、久々に三軒茶屋へ行く機会があった。
三軒茶屋といえばの大山道標
所用の合間の空き時間は、3時間。
4年前に池尻にあった戦跡、室内射撃場跡の周辺は、
大規模工事を行っていたうえ、
室内射撃場の建物自体、解体工事の用のフェンスが設置されていた。
2014年7月13日撮影
室内射撃場はまだあるのだろうか?
斜陽感バリバリの下馬アパートのその後も気になる。
ということで、確認しに行くことにした。
前回はチャリを借りたが、今回は徒歩。
まず下馬アパート。
健在!
右側の建物は、人が住んでいるように見えない。
左側の建物には洗濯物が干してあるので、住民がいるのだろうけど、
空き部屋も多そうだ。
下馬アパートの敷地内に、
アパートの比ではないぐらい老朽化した日本陸軍の兵舎がある。
この4年間で、下馬アパートが全て解体されていることはないと思っていたが、
廃屋一歩手前の日本陸軍の兵舎は、もうしかしたら現存しないのでは?
という危惧があった。
しかし、そんな心配は無用だった。
現在は世田谷韓国会館となっている。
なんか4年前に見た時よりも、朽ちが足りない印象だったが、
それもそのはず、4年前の写真を確認すると、
正面の歪んだ窓が全て塞がれていた。
2014年7月13日撮影。窓が塞がれていない
4年前とは異なる外観となった世田谷韓国会館だけど、
解体されていないのは、素晴らしい!
建物にいたずらをする輩がいるのか、
手描きで「防犯カメラ作動中」と書かれていた。
横に「監視カメラ作動中」という紙が貼られているが、
手描きの方が目立つ。
引き続き下馬アパートを見て回る。
一部の建物は、幕に覆われている。
修繕中なのか、それとも解体作業中なのか…。
くたびれている棟が多いので、
順次、修繕か解体が実施されるのだろうか。
ロマン溢れる給水塔は、以前のままだった。
建物自体は年季が入っているが、水道管は新し目だ。
給水塔のはす向かいの広場で、
少年野球チームが練習をしていた。
どんな練習をしているのか、ついつい見入ってしまった。
下馬アパートのほとんどが老朽化しているが、
給水塔の奥の棟は特に酷い。
洗濯物どころか一部屋除いて、物干し竿すらない。
居住者ゼロなのか。
反対側の更地を覆うフェンスには、建設計画のお知らせが掲示されており、
平成31年9月30日までに鉄筋コンクリート造の団地が建てられると記されていた。
平成天皇の生前退位により、平成31年9月30日という日は無い。
突き当たり、防犯事務所という札が貼られている建物。
かなり年季が入っているが、
一部屋だけ洗濯物干しがぶら下がっている。
1階部分はかつて商店だった。
チウインガム…。
再開発がガンガン進む今の日本。
下馬アパートの風景は、近い将来様変わりするかもしれない。
都道420号線を横断し、世田谷公園へ。
野球場でオジさんたちが試合をしていた。
これまたついつい見入ってしまった。
野球って、全く知らない人がプレイしていても、
見ていて楽しい。
世田谷公園を抜けて、室内射撃場跡を目指す。
4年前に行っているのだが、
そこに至る道が思い出せない。
一度行った場所は、大体覚えていて、
地図を見ずに行くことが出来ると自負していたのだが…。
意地になって地図やサイトを確認せずに、
なんとなくの記憶を頼りに歩いていると、
池尻稲荷神社に来てしまった。
神社の横の排水溝も軍事施設遺構。
池尻稲荷神社の近くに、
かつて軍馬の餌を保管する倉庫をリノベーションした
都民生協の倉庫とヤマト運輸三宿営業所(太子堂センター)や、
陸軍用地と刻印された境界石がある。
これらも4年前に見に行っている。
近場だからついでに再訪することにしたんだが、
これまた道が分からない。
神社脇の排水溝を辿るとその先に細い坂道。
暗渠に違いない。
確か上記遺構は高台にあった覚えがあるし、
神社脇の排水溝に通ずる暗渠なのであれば、
この上に陸軍施設があったはず。
坂道を上っていく。
坂を上り切ると五差路に出た。
五差路のうちの一本に見たことのある建物があった。
陸軍馬糧倉庫を再利用した都民生協の倉庫とヤマト運輸の営業所。
何度見ても軍事施設であった痕跡は、皆無に等しい。
続いて陸軍用地の境界石を探す。
適当に近場を歩き回り2分程で発見。
以前来た時は、読めないぐらい薄かった陸軍用地の文字が、
黒く塗られていた。
かなり雑。
心ない者のいたずらか?
ここから程近い東山公園の傍にある公務員駒沢住宅という団地群が、
廃墟化していると「帝都を歩く」に記載されていたので行ってみた。
しかし、東山公園界隈は美しく整備されており、
公務員駒沢住宅も上塗り塗装しただけの様だが、綺麗になっていた。
ここから当初の目的地、室内射撃場跡へ向かうおうとしたんだが、
全く道が思い出せない。
仕方がなくサイトで場所を調べたら、所在地は246号線の向こう側だった。
まったくその認識がなかったので、調べて良かったのだが、
己の記憶力の低下に少なからずショックを受けた。
池尻大橋駅を目指して歩いていると、
巨大な円形の建物に出くわした。
そういえば、随分前に見たテレビ番組で、
首都高直結、屋上に庭園を造営した建物を紹介していたっけ。
折角なので行ってみたのだが、
入口が良くわからずウロウロしてしまった。
ようやく入口を見つけて屋上の目黒天空庭園へ。
真ん中が吹き抜けになっており、
1Fのサッカー場から子供たちの声や親の声援が聞えてくる。
それは良しとして、
首都高や246号線から車の排気音が響き渡り、
都会の喧騒から逃れて…という風情はなかった。
長居することなくお暇。
首都高直結部分。
運転に疲れたドライバーが、休憩するには良い場所かもしれない。
246号線に架かる歩道橋を渡り、
大橋病院入口からキツイ坂道を上っていく。
坂の上に超難関私立中学・高等学校の駒場東邦があるのだが、
毎日池尻大橋駅から通学していたら足腰が鍛えられそうだ。
坂を上っていくと左側にまだ建設途中の東邦大学医療センターが見えてきた。
4年前に訪れた時は更地だった場所だ。
目の前にある大橋病院の移転先となる建物で、
この日から数ヶ月後の2018年6月16日に移転していた。
確かに旧病院の見た目はボロいと感じた。
そして、肝心の室内射撃場跡は解体され、
コインパーキングになっていた。
かつて日本が戦争をしていたことを思い出させるきっかけとなる、
軍事遺構が無くなるのは、本当に残念だ。
小生の世代が子供だった頃は、まだ戦争体験者が多く存命していた。
しかし、戦後73年。
今の子供たちが生き証人から話を聞く機会は、
我々の世代が子供の時よりも多くはないだろう。
戦争がなく平和なのは良いことだが、
戦争そのものが風化してしまうのは良くない。
少しでも多くの戦争にまつわる遺構が残ることを願う。
パーキングの奥にある警視庁大橋庁舎も綺麗になっている。
4年前の写真を確認すると、建物の周りに足場が組まれていたので、
改築か新築されたのだろう。
2014年7月13日撮影。足場が見える。
病院や警察の建物が綺麗になっていく中で、
廃墟と化していた室内射撃場跡が、解体されるのは致し方ないのかも。
駒場東邦の校庭の隣にある警視庁有家族待機寮駒場住宅も改築中。
次々と整備され街並みが変わっていく中で、
警視庁有家族待機寮駒場住宅の前に、
孤軍奮闘している建物があった。
大橋スカイパレス。
ちょっと古びているが、家賃13万円!
どんつきにある没軍馬の慰霊碑・馬神。
流石に慰霊碑なだけあって、4年前と変わらぬ佇まい。
お供え物が人参!
以上が下馬アパートと池尻の陸軍遺構再訪記なのですが、
無くなってしまったり、再生の過渡期であったりと、
4年の歳月を感じずにはいられなかった。
無くなってしまった建物とかは、
ネットで画像検索すれば大概出てくるけど、
やはりその地を訪れて、この目で見てみたいのであります。
この後、三軒茶屋まで大した距離ではないので、
徒歩で戻ることにした。
歩いたのは目黒川緑道。
4月初旬ということで、花が咲き出し、
虫たちが地上に姿を現す。
途中で北沢河川緑道と烏山側緑道に分かれる。
道標の横の石像がちょっと怖い。
三軒茶屋着。
まだ時間があったので、ゴチャゴチャした三角地帯をブラブラ。
この日から約4年4ヶ月前の2013年12月1日、
三軒茶屋に来ている。
2013年2月14日に閉館した三軒茶屋中央劇場。
2015年6月解体。
2013年12月当時は営業中だったムーブオーバー二本立ての映画館、三軒茶屋シネマ。
上映中作品は、『L.A. ギャング ストーリー』『ドライブ』。
ライアン・ゴズリング祭だ。
次回上映作品は、『ヒッチコック』『イノセント・ガーデン』。
『イノセント・ガーデン』のパク・チャヌク監督は、
ヒッチコックの影響を受けている。
なかなか粋な二本立てを組んでいたわけですが、
2014年7月20日に閉館してしまっている。
こちらが2018年4月の外観。
看板は掲げているが、入口はシャッターが下りていて、
その前にはお隣の肉のハナマサの段ボール置場となっており、
更に営業時ポスターが掲示されていたスペースには、
落書きだらけの木の蓋。
切ない。
そんな旧三軒茶屋シネマの屋上には、
バッティングセンターがある。
バッティングセンター大好き。
80〜100キロぐらいならば、ほぼ空振り無し。
110キロならボチボチ。
120キロならギリ対応できる。
130キロになると大分怪しい。
そんなレベル。
階段を上がると螺旋階段。
この階段がメッチャ怖かった。
一部老朽化で亀裂が入っており、
グラグラする段があるのだ。
バッティングセンター自体は、古びていて、打席数も少ないが、
地元の映画館吉祥寺プラザの屋上にあるバッティングセンターみたいに、
ボールがアームからポロリと落ちて飛んでこないということはなかった。
向かいのマンションのベランダで、
洗濯物を干すおばさんを見ながら打つ。
そんなレアな体験が出来るバッティングセンターでした。
この三軒茶屋の三角地帯は、
いつまでこの光景を保っていたれるのだろうか。
年号が変わってから30年。
そりゃ昭和の面影が街から消えていくわけですよ。
そして、来年、平成が終わる。
昭和生まれだが、昭和よりも平成の時代の方が、
生きてきた時代は長い。
平成が消えていく。
そんな風に思う日が来るのだろうか。