2018年6月30日(土)、
早朝から世田谷線松陰神社駅近くの国士舘大学へ。
軽く用事を済ませた。
時刻は7時過ぎ。
14時頃に国士舘大学へ戻ってくればよい。
7時間何をしよう。
仕事がとても忙しく、前日の帰宅は24時を過ぎていた。
そこからシャワーを浴びて、軽く夕食を食べて寝て、
起きたのは朝の5時半。
1週間の疲れも溜まっており、
三軒茶屋のマン喫にでも行って、
ゴロゴロしようかなと思いつつも、
この日は超良い天気。
決めかねながらも、世田谷線で三軒茶屋へ。
マックで朝食を摂る。
チキンクリスプのコンビとソーセージマフィンの単品を頼む。
320円です。
「あれ?300円じゃないの?前は同じメニューで300円だったような…」
と思いつつ支払う。
朝からバーガー2つはヘビーだが、一つじゃ足らん。
バーガーにかぶりつきながら、この後の事を考える。
土曜日の午前中。
三軒茶屋のマン喫は、千円ちょいで5時間ぐらい居られる。
しかし、マン喫へ行って何をする?
寝る?
随分前にマン喫へ行ったことがあるが、
とても寝られる環境じゃない。
40半ばの中年のオッサンが、
土曜の朝からマン喫というのもいただけない。
散々迷った挙句、マン喫はやめた。
何故ならあるアイディアが浮かんだから。
国士舘大学へ行く時は、世田谷線の一日券を常に購入している。
世田谷線の運賃は一律で大人150円。
一日券は330円。
下高井戸と松陰神社の往復ならば、普通に乗った方が安いが、
松陰神社は何もないので、必ずどこかへ移動する。
3回乗れば一日券は断然お得なのだ。
勿論この日も一日券。
世田谷線乗り放題!
三軒茶屋から終点の下高井戸へ。
そこから京王線の下りに乗車。
午前9時40分、京王よみうりランド駅下車。
この地を訪れるのは4度目。
行先はよみうりランドではない。
ありがた山だ。
関東大震災後の復興計画の区画整理の際、
引き取り手がなかった文京区駒込周辺の無縁仏4000体を、
某宗教団体が、受け入れ先であるこの地にリアカーに積んで運んだ。
運搬中、不審がられた際には、
「ありがたや、ありがたや」と唱えてやり過ごしたことから、
ありがた山と呼ばれるようになったと言われている。
ありがた山には、2012年に盟友・佐藤アサトと初めて訪れた。
【関連記事】
「ディープツアー2012 稲城 PART1」
土地開発が進み、ありがた山の存続が危ういという情報を得て、
その後も2度訪問している。
「稲城2014 PART1」
「稲城2014 PART2」
最後の「稲城2014 PART2」の際に、
ありがた山で清掃をしていた男性に話を聞いてみたら、
「ここ(ありがた山)は残る」と断言していたので、
そこまで心配はしていなかったが、
やはり存続しているのか気になってはいた。
佐藤アサトにありがた山へ向かっているとLINEで伝えつつ、
ありがた山を目指す。
7月前だというのに凄まじい日差し。
キャップを持ってこなかったことを後悔。
すぐに佐藤アサトから、
「今日はヤバイ、熱中症気を付けて」というLINEが飛んでくる。
妙覚寺の脇道をあがっていこうとして、
「ここら先は、南山東部土地区画整理事業地区内です」という看板が。
ありがた山は南山という名称なのか?
「稲城 南山」で検索すると、
まんま「南山東部土地区画整理事業地区」のウィキがあった。
開発の際、推進派と反対派で相当もめたようだ。
しかし、日本の歴史を紐解くと反対派は、まず負ける。
区画整理の看板を見ながら、「ケッ!」と思っていたら、
真横に信じられない看板が!
今から16年も前にツチノコが発見されていた。
連絡先が富士急ハイランド UMA課。
99-9999-9999
アホか。
ありがた山へと通ずる道を進む。
2012年に初めて訪れた時、この家は無かったが、
2014年の再訪時にはあった。
家の前に停まっているワーゲンのバンも記憶に残っている。
2014年の時とあまり光景に変化は見られないと思ったのも束の間、
石像群の手前にある墓地が、集団移住していた。
どんどんと上へと移転させられているようだ。
墓地があったところも開発されるのだろうか?
骨壺を納めていたと思しき穴の跡。
亡くなってからも引越しとは、
慌ただしい限りだ。
2014年に比べると、ありがた山の中腹には新しい墓が増えた。
下の方の墓が移って来たからなのでしょう。
中腹を抜けると石像群。
大丈夫だとは思っていたが、現存していてホッとする。
なぜかこのありがた山の石像群に魅了されている。
開発の波に飲まれないで欲しい。
無くならないで欲しい。
気になって仕方がない。
以前、来た時にヒカリモが生息していた井戸。
ヒカリモは無しだったけど、水は透き通っていた。
ありがた山には数回来ているけど、
石仏群一角の入口に竹の棒を突き刺して、
紐を張り巡らしていることに気が付いた。
何の意味があるのだろうか?
紐を鳥居の代役としているのを何度か見たことがある。
それと一緒なのかな。
前回訪れたのは、2014年3月。
その時は春の訪れ前だからか、
雑草は生えていなかったが、
初夏ともなるとボウボウだ。
写真中央の大きな墓石の両脇に、
壊れた木の柱が建っている。
鳥居の跡だろうか?
石仏群を登り切ったところにある供養塔。
支柱部分の梵字が何を意味するのか気になり調べてみた。
守護梵字のひとつでキリークと読むようだ。
守護梵字は干支によって守護尊が異なり、
キリークは以下の通り。
子(ねずみ)年生まれ
千住観世菩薩(せんじゅかんぜぼさつ)
戌(いぬ)・亥(いのしし)年生まれ
阿弥陀如来
共に悩みや苦しみを取り除き、安らぎを与える仏。
この供養塔の支柱には、
正面だけでなく左右にも守護梵字が刻まれている。
この写真で確認できるのは、タラータ。
丑(うし)と寅(とら)の守護梵字。
私の干支だ。
虚空像菩薩(こくぞうぼさつ)
すべての福徳と知恵を授け、
特に記憶カ向上、厄除け、
症病回復に御利益のある仏。
記憶力は悪い方ではないと思うし、
風邪とかで会社を休んだことがないし、
大病を患ったこともないが、
福徳と知恵はねぇーなぁ〜。
メインの供養塔の両脇に少し小ぶりの供養塔があり、
そこにも梵字が書かれているが、意味は分からない。
この3基の供養塔の正面にある石碑と石碑の間をとらえた一枚。
ありがた山の石像群は、風化が激しいが、
この仏様は、碑と碑の間で陽に当たらないからか、
保存状態がとてもよい。
この地点からの眺望。
4年前と殆ど変わらない。
変化のない景色が、本当に嬉しい。
一方で変化もあった。
3基の供養塔の傍にハイキングコース入口があり、
いつも閉鎖されていたのだが、
何故かこの日はバリケードの扉が開いていた。
しかし、関係者以外立入禁止と掲げられている。
ちょーーーーーーーーーーーーーーーー行ってみたい。
不法侵入扱いになるので、我慢した。
こんなことで人生を棒に振ることは出来ない。
と思っていると、バリケード左側の林の向こう側から、
ガンガン、バリバリ、ガリガリ、ドカドカと、
重機で何かをしている音が、バンバン聞えてきた。
供養塔の裏側に立ち、林の奥を見るとブルーシートらしきものが見えた。
ここは南山東部土地区画整理事業地区内。
山の向こう側は相当削られている可能性がある。
ハイキングコースの反対側に下り坂があり、
どうやらどこかへ降り立つことが出来そうなので行ってみた。
これはこれでちょっとしたハイキングだ。
途中、キャタピラの跡があったので、
恐らく掘削用小型ブルドーザーが、
この林道を通ったのでしょう。
ものの数分坂を下ると柵が登場。
まさか、行き止まり!?
今降りてきた坂道を登るのは辛い…。
そのまま突き進んでみると幸い道は続いていた。
良かった、良かったと坂を下ると、
ありがた山石仏群手前の墓地の入口に至った。
こんなルートがあったとは。
以上が、2018年のありがた山訪問記なのですが、
山の反対側が気になって仕方がない。
グーグルマップで、確認すると山の反対側へは、
京王よみうりランド駅のお隣り稲城駅へ行き、
ぐるっと回って行かないと行き着かないようだ。
寝不足、炎天下、帽子がないなど、
マイナス要素だらけだったけど、
時刻はまだ10時15分。
行くべ!
以降、「稲城2018 Part2」へと続く。