<福岡 散策記一覧>
「福岡 PART1 聖福寺」
「福岡 PART2 東長寺」
「福岡 PART2 東長寺」からの続き。
西鉄福岡(天神)駅から電車に揺られ、太宰府天満宮を目指す。
朝飯食べてないし、丁度昼時。
車中、暇なんで太宰府天満宮近辺の食事処をリサーチ。
太宰府天満宮の参道に、「味の明太子 ふくや」太宰府店があり、
安価で明太お茶漬けが食べられるようだ。
太宰府駅の到着時刻は11時45分。
混んでるかも…。
他に探していると、あることに気が付いた。
櫛田神社を紹介してくれた前の会社の先輩に、
“太宰府”へ行ってみたいとメールしたら、
ただっぴろい平原を紹介するサイトのURLが送られてきた。
菅原道真が勤めた太宰府と太宰府天満宮は違う…。
iPhoneのマップを見ていると、
都府楼前駅から1キロほど離れたところに大宰府跡を発見。
都府楼前駅から太宰府天満宮までの距離を調べたら約3キロ。
余裕で歩ける。
途中には、そこそこデカイ観世音寺もある。
都府楼前駅から大宰府跡、観世音寺を経て、太宰府天満宮まで歩く案が浮上。
しかし、昼時。
飯を食いたい。
都府楼前駅のグルメスポットを検索してみたが、
どうもいい物件がヒットしない。
太宰府天満宮の方が、食事処がありそうなので、
結果、そのまま乗車して太宰府駅まで行くことに。
そして、定刻通り11時45分に太宰府駅に到着。
駅のすぐそばを貫く参道へと足を踏み入れた瞬間、
わざわざ太宰府天満宮へ来たことを後悔した。
参道を歩いているのは、8割中国人で、
残り1割が韓国人、0.5割が西洋人と日本人という印象。
中国人の方々に太宰府天満宮に来るなとは言いません。
そんなことを言える権利もないし、立場でもない。
が、しかし、食べ歩きをする集団、
デカい声で騒ぎながら固まって歩く一団の多いこと。
風情の欠片もない。
参道を歩いて鳥居の前まで来た時点でげんなり。
そして、境内に足を踏み入れると、その苛立ちは募るばかり…。
鳥居をくぐった先に牛の像がある。
中国人がその牛の背中をペチペチ叩きながら、
大声を張り上げ、ピースをしながら写真撮影。
その牛は叩くのではない!
なでるのだ!!
神牛、なで牛と言われており、
なでると体の悪いところが治ると言い伝えらているのだよ。
トドメの一撃は、上半身裸で歩き回る子供たち。
確かに猛暑日だった。
が、しかし、場所をわきまえて欲しい。
ここは神聖なる場所、神の領域なのです。
橋を渡って本殿へと向かうと、人口密度がますます高まる。
聞えてくる言語は中国語。
近くを歩いていた日本人老夫婦が、
「なんか日本語が聞こえないねぇ…」と呟いていた。
で、アイスクリームを舐めながら境内を歩く中国人多数。
日本の神社を舐めるのもいい加減にしてくれ。
今日はお祭りじゃないんだ。
別に悪いことをしている訳ではないが、
自撮り棒を使って撮影する若い中国人たちにも、
イラっとしてしまった。
もはや本殿で心清らかにお参りをする気力もなく、
簡単に参拝を済ませ、来た道をさっさと戻る。
寺院が大好きで、来たらついつい沢山撮影をしてしまうんだが、
太宰府で撮った写真は、駅と参道を含めわずか4枚。
太宰府駅に降り立ったのが、11時45分で、
参道にそびえ立つ一番最初の鳥居に戻って来たのが12時。
わざわざ来たのに、太宰府天満宮の滞在時間はたったの15分。
参道を歩く時間も含めてなんで、境内には5分いなかったかもしれない。
今まで多くの寺院を訪れたが、
これほどまでに不快な思いをしたのは初めてだ。
なんて書くと、批判的なコメントが寄せられそうですが、
彼らがやっていることは、はっきり言って間違っていると思う。
「郷に入っては郷に従え」。
この慣用句、元々は中国禅宗の歴史書に記されたことわざですよ。
神社がどのような場所なのかを少しは理解してから来て欲しい。
もはや太宰府で昼飯を食べる気など皆無。
実は翌週に伊勢神宮へ参拝する計画を立てており、
伊勢神宮もマナーの悪い中国人に占拠されていたらどうしよう
という不安を抱きながら、歩いて観世音寺を目指すことに。
途中、太宰府天満宮の駐車場があり、
観光バスが数台停まっていた。
どうやら中国人はこのバスでやって来ているようだ。
駐車場を過ぎると、歩いている人は誰もいなくなり、
やや平穏な気持ちを取り戻す。
そして、駐車場を過ぎてすぐ、民家の横に石碑発見。
解説板によると、幕末から明治時代に活躍し、
多くの子供たちを教育した漢学者・中村徳山の私塾・都成塾跡とのこと。
この石碑、徳山の功績を称えて明治21年(1888年)6月に建てられたもの。
(徳山は2年後の明治23年12月に亡くなっている)
やまうち整体院の角を右折すると御笠川に架かる橋。
後方に見える山は水瓶山。
戦国時代の武将・高橋紹運(じょううん)の城があった山で、
遺構が残っているらしい。
橋を渡るとT字路にぶち当たり、そこに旭地蔵尊。
解説板の下に貼ってあるお願いの貼紙が、申し訳ないが少し笑える。
「お弁当の食べがらをごみ箱に捨てないで下さい。」
「ここに、私物や大切なものを置かないでください。
なくなった場合、自分の責任です。
通行人のせいにしてはいけません。」
「ここに猫を捨てないでください。」
確かに猫の臭いがした。
旭地蔵尊の入口には、半分埋まったお百度石。
なんで埋まってしまったのだろうか…。
そして、どの寺院と行き来するためのお百度石なのかな?
旭地蔵尊から1本目の道を右折し、
道なりに進むとこの風景。
ハナショウブ園。
看板には「花は盗らずに、撮ってください。」という注意書きが。
さっきの旭地蔵尊のお願いの貼紙といい、
なんか微笑ましい。
ハナショウブ園を過ぎてすぐ右手に、
時代を感じる鳥居が出現。
観世音寺の鎮守(ちんじゅ)である日吉(ヒエ)神社の鳥居。
さらに進むと第二の鳥居が出現。
その後ろの木が凄い。
第二の鳥居の奥にも鳥居のようなものがある。
石柱に竹の笠木と注連縄。
鳥居なのでしょうか?
あまり見たことがない。
で、もって、石段が…。
流石に堪えそうなので階段前で手を合わせました。
案内板によるとこの日吉神社は、
平安時代末期に比叡山の日吉大社から分霊されたそう。
江戸時代の地誌には、豊臣秀吉が九州平定の折、
日吉神社に陣を張ったものの、
観世音寺の僧が世情に疎く非礼を働き、
秀吉の怒りをかい、寺の領土を没収されたと記されているとのこと。
そんな観世音寺ですが、現在は立派な講堂が建っております。
正しくは本堂ではなく、講堂らしい。
灯籠が本堂の真ん前にあるってのは、初めて見ました。
観世音寺という名の通り、講堂には観音様が祀られていた。
この観世音寺は、大宰府政庁の庇護のもと、
政庁の東に接して建てられ、「府の大寺(たいじ)」と呼ばれた。
斉明天皇の子が、母の菩提を弔うために建立を発願。
80年の歳月をかけて天平18年(746年)に完成。
かつては講堂、金堂、五重塔などの伽藍を配した大寺院だったが、
火災などで失われている。
金堂と講堂は江戸時代に黒田藩主が再建したもの。
金堂がそれほど歴史的な価値があるとは思いもよらず、
写真すら撮らなかったのですが、代わりにこちらを撮影。
梵鐘。
なんと国宝!
それもそのはず、この鐘は菅原道真と関わり大有り。
道真が大宰府に左遷された時に読んだ歌に登場。
都府楼纔看瓦色
観音寺只聴鐘声
こちらのサイトによると下記の意味らしい。
本来なら長官として事務を執るべき都府楼(大宰府のこと)を、
罪せられた身では近づくことすらできず、
わずかにその瓦の色を見るだけだ。
また、観音音寺に詣でたくとも、
同様にただ鐘の音を聞くだけしか許されぬ。
正確な鋳造年は不明だが、698年頃のものとのこと。
今から1300年も前の鐘。
いったいどんな音がするのだろうか?
大晦日には一般の参拝者もつくことが出来るらしい。
鐘楼の奥に宝蔵があり、
これだけの歴史を誇る寺だから、
多くのお宝が展示されているに違いなく、
かなり魅かれたが、入場料が500円なんでやめた。
そろそろ大宰府跡へ行こうかと、
福岡県道76号筑紫野太宰府線の方へ歩を進めると、南大門跡。
下手したら単なる礎にしか見えないが、
かつて観世寺が大伽藍を擁していた大寺院であったことを偲ばせる。
誰もいないし、聞えてくるのは蝉の声のみ。
太宰府天満宮で耳にした喧噪とは雲泥の差だ。
国宝の梵鐘も間近で見られたしで、
満足しながら76号線を大宰府跡へ向かいながら歩いていると、
明らかに中国人と思しき一行を乗せたバスが何台も通り過ぎていく…。
まさか大宰府跡も太宰府天満宮と同じ状況!?
と超ウルトラ心配になりながら歩く。
途中、大宰府官人養成機関の遺跡である学校院跡や、
月山東地区官衙跡などがあったが、サクサク進む。
そして、観世寺から600mほどで大宰府跡へ到着。
誰もいない!!
というのは嘘で、実はひとり日本人の中年の男性がいた。
彼も同じように写真を撮っていたんだけど、
お互い写り込まないよう譲り合って撮影。
それはさておき、大宰府跡、何もないっす。
なんもないじゃん!と退屈に思うか、
これだけ広大な地に大宰府があったのか!
と歴史的ロマンに浸れるかは、その人次第。
大宰府は、今でいうところの地方行政機関で、
九州全体を治めていただけでなく、
西の防衛や外国との交渉の拠点となっていた。
正確な成立年は諸説あり不明だが、
7世紀後半には設置されたという説が有力。
平安時代、有能な政治家として名を馳せた菅原道真。
その才能が脅威となり、
ライバル藤原時平によって大宰府に左遷されたのが、昌泰4年(901年)。
道真公が見たのは、どのような風景だったのだろうか…。
いまや土台石しかないが、
先の観世寺の梵鐘に関する歌から、古の様子が少しイメージできる。
楽しくて奥の方へも行ってみました。
反対側から見た大宰府跡。
歩いて来た甲斐がありました。
大宰府観光マップというサイトに大宰府の再現画像が上がっているので、
それを見てから来た方がイメージが沸くかもしれない。
太宰府天満宮で食らった不快感は、観世寺と大宰府跡で大分緩和され、
軽やかに大宰府跡から1キロ離れた都府楼前駅を向かう。
というのは嘘で、この日は30度を軽く超える暑さ。
午前中は博多界隈を歩き回り、今もこうして歩いてる。
前夜、やや深酒だったのも手伝って、大分足が重くなってきた。
都府楼前駅に辿り着く途中、川に遭遇。
太宰府天満宮から観世寺に向かう途中に架かる橋で渡った御笠川。
かなり川幅が広くなっている。
御笠川の流れを調べてみたら、
今朝訪れた幻住庵の裏手を流れ博多湾へと注いでいた。
川辺を歩くこと数分で、都府楼前駅へ到着。
時刻は13時8分。
朝飯を食べていないから腹も減ったし、流石に疲れた。
都府楼前駅近くで何か福岡らしい昼飯をと思い、
駅近くを歩いてみるも、
発見できた食事処は韓国料理屋とカフェのみ。
散々悩んだ末、カフェKITCHIN TOMORROWを選択。
理由は煙草。
韓国料理は中が見えなかったが、全面喫煙可の可能性大。
マジでランチ時の煙草は勘弁して欲しい。
半日ヤニ臭いなんて耐えられない。
KITCHIN TOMORROWもカフェ。
喫煙OKかもしれないが、
全面ガラス張りなので中を確認したところ、お客さんは一組のうえ、
左側に離れたテーブルがあり、喫煙者がいても大丈夫そう。
ということで、KITCHIN TOMORROWへ入店。
猛烈に喉が渇いたので、ビールと牛テールカレーを注文。
ビールが喉と胃と肝臓に沁み渡る。
一息ついたところで、カレー登場。
テールは溶けちゃって、
牛タン定食に付いてくるテールスープ的な食感はないが、
しめじタップリでなかなか美味しかった。
時間を無駄にしたくなかったので、
iPhoneで天神へ戻る電車の時間を調べ、
電車到着の少し前に都府楼前駅へ。
以降、「福岡 PART4 住吉神社」へと続く。