9.11のテロ。
飛行機が突っ込み炎上するワールド・トレード・センター。
取り残された人々を救出するためビルに入った直後に崩壊し、自らも瓦礫の下敷きとなってしまったニューヨークの警察官ジョンとウィル。
いつ死んでもよい状況を経て、奇跡的に助け出された2人とその家族、そして、救助活動を行った人々に焦点を当て、あの日を描いた映画「ワールド・トレード・センター」。
監督は社会派のオリバー・ストーンなのですが、今回は政治色一切無し。
伊藤Pはオリバー・ストーンの政治色を期待していたんだけど、良い意味で裏切られた。
“家族”の大切さを思い知る1本だったんですけど、この映画のもう1つのポイントは、救助活動に従事した方々。
生き埋めになった警察官2人も、危険を覚悟でビルに入った。そして、生き埋めになってしまった人たちを救出するために、奮闘する消防士、(元)軍人、警察官たち。
いつ崩れ落ちるかも判らない中、瓦礫の中に潜り込む。
家族でもない、他人のためにだよ。
自分だったら出来るかな?って。
そして、今回この映画の特番を制作するにあたり、日本から11人の消防士さんたちが、グラウンド・ゼロへ救助活動に自費で赴いていたことを知った。
※特番ではリーダー格だった濱弘一さんと奥様に取材しています。
そんな彼らの行動と思いを綴った「9・11、JAPAN ニューヨーク・グラウンド・ゼロに駆けつけた日本消防士11人」(著者:中澤昭、発行:近代消防社)を読んだ。
チンパンジー、じゃなくて、ブッシュ大統領をヒーロー視している記述はちょっと解せないけど、グラウンド・ゼロでの救助活動が如何に過酷で、危険で、途方も無いことだったかがわかる。
“映画と併せて是非”という感じですね。
さて、この映画、ヴェネチア映画祭で上映された際には、場内から失笑が漏れたそうな。
各サイトのレビューも、アメリカだけが被害者だと思っているのか!?別に9.11じゃなくてもいいんじゃない?プロパガンダじゃない?などなどあまり良くありません。
でも、燃えているビルに入っていた警察官や消防士たちは、その時“政治”を意識してなんかいない。埋まった2人も、その時はただ家族に会いたい、生きたいだけだった。
それって“政治”なんでしょうか?消防士や警察官の家族たちが、身内の安否を心配する気持ちは、“政治”なんかな?救助にあたった人たちも、そこに生きている人がいる(かも知れない)から行動したんでしょ?
9.11である意味も伊藤Pはあると思う。
ビンラディンが仕掛けたのか、アメリカ政府が自作自演でやったのか、知っていながら阻止しなかったのか、それはわからないけど、あの日、ビルに飛行機が突っ込み、多くの人が死んだ。
そして、生き埋めになりながらも生還した人がいた。人を助けるために多くの人たちが、自らの命を顧みず協力した。
あの日、あの時、そういう勇気ある人たちがいた。この映画はそれを描いている。それでも9.11である意味がないのかな?
9.11があり、この映画があったからこそ、伊藤Pは様々なことを学べたね。
して、どこがプロパガンダなのかな?
プロパガンダの意味知ってんのかな?
どこにアメリカが押し付けるような主義、思想の宣伝があったのかな? 「トップガン」や「ロッキー4」の方がよほどプロパガンダじゃん(って古いよ!!時代が違うよ!!)。
助けに行って、ビルが崩れて、埋まって、家族を思って、家族は心配して、みんなで助け合って救助する姿を描くのって、プロパガンダなの?
確かにキリスト教ってのが出てくるけど、それって登場人物各々の信仰心なわけだしさ。まぁ、キリストがペットボトル持っているシーンはどーかと思った(ちゅうか笑った)けど、伊藤Pは信仰心ってもんが無いから、この辺は良くわからんし、信仰は自由だから、俺らがとやかく言うことじゃないでしょ。
あと、救出活動をした元軍人が、その後、復帰してイラクに行ったというクレジットが入る。ヴェネチア映画祭では、そこが一番の“失笑どころ”だったそうな。
イラク戦争は伊藤Pも正直どうかと思うし、余計なクレジットだと思うけど、映画で描かれているその軍人さん、ちょっと頭が変だからさ。9.11直後のチンパンジーじゃなくて、ブッシュ大統領の国家洗脳にやられちゃったんじゃない?って。
とまぁ、貶そうと思えば幾らでも貶せるだろうし、クサイ映画だからダメな人はダメでしょう。この映画に感動しないとか、面白くなかったってのは個人の感性の問題だから、別にどーでも良いと思うんだけど(逆に自分が感動したことをとやかく言われる筋合いは無いと思っている)、この映画って、そんなにアメリカ!アメリカ!!じゃないと思うんよ。
国家じゃなくて、もっともっとパーソナルな視点だと思うんだけどな。
そこに国家がどーのってことで批判するのは、伊藤P的にはどうかと思うんだ。
もっと優しい目線で見て欲しいわ。少なくともオリバー・ストーンの記者会見でのコメントとか聞くに、
これっポッチも政治的なことを意図してないように感じたけどね。とまぁ、伊藤Pの家族が9.11テロで死んだわけではない。
巻き込まれた一般の人たちの遺族の気持ちを、理解することなんてできっこない。
そして、救助活動の末に殉職してしまった夫や父親を誇りに思う遺族もいるだろうし、無駄死にしたと思う人もいるでしょう。
被害者の遺族の気持ちを考えると、この映画の立ち位置は微妙な部分もあるとは思う。
けれど、この映画のモデル(つまり実際に生き埋めになった)となり、アドバイザーを務めたウィル・ヒメノ氏は、「自分は生かされていると思っている。そして、一分一秒を大切に生きるように心がけている」と語っている。
彼の被害者、そして、遺族への思いを表したコメントでしょう。
伊藤Pは、その気持ちがこの映画に大いに反映されていると思っている。
「裏伊藤Pの部屋」 #018、#019でも書いたけど、オリバー・ストーンって我侭だし、エロオヤジだし、人としてあんまり好きじゃない。
こんな奴に家族愛だなんだと、講釈垂れられても説得力ない。
でも、九死に一生を得たジョンとウィルの気持ちを、オリバー・ストーンが映像で代弁しただけで、
ジョンとウィル>オリバー・ストーンと解釈しつつ、この映画は伊藤P的今年ナンバー1ということで、済!
そして、長い文章ですまぬ!!!
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