長時間カットをせずにカメラを回し続けて撮影する“長回し”という技法がある。
伊藤Pは固定カメラの長回しがあまり好きではないのですが、ビクトル・エリセ監督が「エル・スール」(‘83)でみせたカメラ据え置きの長回しは好きだ。
1本の長い並木道。少女が自転車で画面手前から奥の方へと走って行く。ずぅーとカメラは回り続け、どんどん少女は小さくなり、やがて見えなくなる。すると、見えなくなった向こうから、成長した少女が自転車を漕ぎながらやって来る。
少女の成長を1カットで見せ切る素晴らしい演出で、随分前に見たけど、長回しといえばこれ!!ってぐらい印象に残っている。
固定カメラであっても、こういう意味のある長回しだったら良いのですが、例えば、人がただ歩いているところを、ダラッと撮影しているものとかダメっすね。なんか、見ていて退屈なんだよね。
一方、動きのある長回しは、キャストとスタッフが計算しまくって作り出すシーンなので、結構好きなのが多い。
古くはオーソン・ウェルズの「黒い罠」(‘58)。クレーンを使用し、大胆な移動をみせる長回しは、製作年度を考えると相当大掛かりだったことが伺える。
その他、ブライアン・デ・パルマ監督作「スネーク・アイズ」(‘98)の冒頭13分の長回しなんかは、伊藤Pが宣伝担当をした作品ってのもあり思い入れが強い。
最近だとジョニー・トー監督作「ブレイキング・ニュース」(‘04)での冒頭の7分間1カットの銃撃シーンもなかなかです。ただ、この作品はこの7分間に全てを費やしてしまったのか、作品全体としてはあんまり面白くない。
それからトニー・ジャー主演の「トムヤムクン」(‘05)では、4分間長回しの格闘シーンに挑んでいる。「リハーサルは1日に2回ぐらいしか出来ないから大変だったよぉ〜」とトニー・ジャーは言っていた。それだけ事前のチェックが必要なのでしょう。
どれもこれも、役者の動きとカメラの動きが一体化しないと成立しない、綿密な打ち合わせと、緻密な計算の上に成り立つ撮影方法。だからこそ、見る者を魅了する。
そして、先日、強烈な長回しに度肝を抜かれた作品に出会った。
「ハリポタ3」のアルフォンソ・キュアロン監督作「トゥモロー・ワールド」という作品。
子供が生まれない世の中になった近未来のイギリス。主人公はとある紛争に巻き込まれて、戦火の中に身を投じる事になる。
その戦火の銃撃シーンで長回しが見られる。
途中で、「あれ?これ長回し?」って気が付いたのですが、気付いてからもそれはそれはなが〜い、なが〜い長回し。
弾丸が飛び交う路上を逃げ回る主人公。バスに逃げ込むも激しい銃撃を浴びる。再び路上に飛び出し、建物に入ろうとするが、戦車が砲撃。大爆発。隙を見て建物に入り、階段を駆け上り、また銃撃に遭い逃げ惑う。
この間8分。
激しい銃撃と爆発の中を主人公が走り回り、それをステディカムが追いかける。多くの俳優たちの演技と動き、銃撃に爆発、そしてカメラの動きと全てのタイミングが合わないと、こんな撮影は絶対に出来ない。
あと、主人公がバスの中に入った瞬間、人が撃たれ血しぶきが飛び散り、血糊がカメラに付着する。
「うわー、血糊が付いたまま長回し続行!?」って思って注意しながら見ていたのに、いつの間にか血糊が消えていた。
い、いったいどうやって。。。
謎の現象に驚き、高度なテクニックに唸り、恐怖感煽りまくりの臨場感溢れる映像に痺れる。
いやー、凄いよぉ〜。この長回しは。驚愕ですね。驚愕。アカデミー撮影賞受賞もんだよ。
マイク水○さん。こういうのを本当の長回しって言うんですよ。
更に、この映画にはもうひとつテクニカルな長回しがある。こちらも是非探してみてください。
ということで、こういった映画撮影のテクニックを見るのも、映画鑑賞の楽しみのひとつになって頂ければ幸いであります。
PS:この作品、途中で豚のオブジェが宙に浮いているシーンに出くわします。こ、これは。。。大御所プログレ・バンドのアルバムジャケットのパロディでは!?劇中、使用されている曲は最大のライバル、クリムゾンの「宮殿」なのに。。。わかる奴にしかわからない細かいギャグだ。。。
鑑賞後、宣伝担当のHさんに開口一番「豚、気付いた?」と言われ、「当然です」と答えたら、「君だけだよ」って言われた。
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