今回はGW映画で最もお薦めする2本をご紹介しましょう。
まずは先のアカデミー賞で6部門7ノミネートを果たしたながらも、
マーティン・スコセッシ万歳祭の余波を食らい、
作曲賞のみ受賞という悲運の『バベル』。
世界はかつてひとつの言語だった。
人間は神に近づこうと天まで届く塔を建てようとしたが、
神は怒り、言葉を乱し、世界をバラバラにした。
やがてその街は“バベル”と呼ばれた。
という旧約聖書に書かれた『バベルの塔』をモチーフにしている本作の舞台は、“言語が違う”モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本。
一発の銃弾を発端に、4カ国の登場人物が1本の線で結ばれるという構成で、
通じ合わない言葉と心がテーマとなっている。
特に伊藤Pが強く心を打たれたのが、
モロッコで悲劇に見舞われ、言葉が通じないことに苛立ちを覚える倦怠期のアメリカ人夫婦(ブラピとケイト・ブランシェット)。
そして、母親の自殺と聾唖であることから心の隙間を埋められないでいる日本人女子高生(菊地凛子)と、
その心を閉ざした娘との関係に悩む父親(役所広司)のエピソード。
壊れかけた夫婦の心の機微。
理解し合えない父親と娘。
とても身近で、多くの人が悩んでいるであろう問題を描きながらも、
今の世界状勢を浮き彫りにし、且つ、
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が望む理想的な世界像までも指し示す。
オリジナリティ溢れる優れた脚本と巧みな編集、
情緒溢れる旋律を奏でながらも、時に心の奥底へと突き刺さるような痛みを覚えるスコア、
3大陸を移動しながら、1年以上かけて撮影された努力。
そして、何よりも、
言葉によって発生する、人と人との間の誤解や混乱を突き破るための道具として、
映画という芸術を用いたイニャリトゥ監督の心意気がたまらない。
“映画の可能性への挑戦”だと思う。
次いでもう一本はGW興行の大本命『スパイダーマン3』。
数あるアメコミ映画の中でも、アメコミファン以外をも取り込み、頭一つ抜きん出ている本シリーズ。
なんで、そんなにおもろいのかというと、ヒーローが悪者を倒すという単純な枠の中に、
- ・視覚的な魅力。
- ・ヒーローであることの心の葛藤から生まれるカタルシス。
- ・恋愛、友情、裏切り、憎しみといった人間ドラマ。
- ・パッと見は勧善懲悪だが、悪役にも悪役なりの事情をこしらえ、物語に深みを持たせている。
- ・時にアホらしいと思えるほど滑稽なサム・ライミらしいユーモア(←褒め言葉)。
- ・『2』で明らかになった、マニア心をくすぐる性的なメタファー。(本コラム#46参照)
- ・ヒロインMJがブスでビッチだという(特に今回はヒデーなぁー)ツッコミどころ。
といった、様々な要素が入っている。
語らいどころが多いというのは良い映画の証。
さて、肝心の『3』ですが、勝手に“波”がポイントだと解釈しました。
まず、オープニング・タイトルのCG。
黒い波が押し寄せます。
この黒い波は、駅貼りポスターで見かける黒いスパイダーマンの元であることが、
映画を見れば判るのですが、映画全体の象徴ともなっている。
というのは、今回、メインとなる悪役も含めた多くの登場人物は、
それぞれ自分たちの厳しい現実を担って、
時に道を間違えながらも、「人生の荒波に揉まれながら」生きていきます。
(MJは台風が来ているのに、自らの意思で波乗りに行きますが。。。本当に君は。。。)
アメコミヒーローのアメリカにおける位置付けは、
本コラム#121で述べているのですが、まぁ、国家の象徴です。
で、ですね、
『スパイダーマン』はシリーズを通して、国家の象徴たるヒーローを描く一方で、
一庶民と言える人々、あるいは元庶民の人たちが波に揉まれる様を描いている。
庶民的だから大勢の観客が感銘を受ける。
これが『スパイダーマン』の魅力の一つだと思う。
『バベル』と『スパイダーマン』は、全くタイプの違う作品ですが、
9.11を期に、益々混乱を極める世界と、
強さを失ったアメリカ国家という社会情勢をうけ、
個々を世界や一国家の縮図として描いているという共通点がある。
そしてもう一つ、共通点がある。
それは、共に“許し”の映画であるということ。
この“許し”こそ、娯楽である映画に製作陣が込めた、一番の願いなのではと思う。
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